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長白山の歴史


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最初の記録

長白山には文字に記録され後世まで代々伝わっている歴史があり、古くは4000年ほど前まで遡ることが出来ます。 中国で最も古い地理学の著作《山海経》の中に、既にある程度の記載があります。この本は大禹(夏王朝の創始者と される伝説的皇帝)の家臣である伯益が書いたものと言い伝えられており、長白山の詳細については、大禹王が 治水工事をする時に通った地として記載されています。



《山海経》では、長白山は不咸山と呼ばれ、、「不咸」とは蒙古語で「神仙」の意味です。東北地域に居住していた 各少数民族−粛慎、沃沮、扶余、鮮卑、高句麗、蒙古、契丹など、いずれも東北地域最大のこの高山を神格化して 崇拝しており、多くの神話が生まれ、そのため、どの民族もこの山を仙山と呼びます。

漢・魏・晋

その後、魏晋の時代に書かれた《後漢書東夷伝》の中に、このような記録があります。“漢の武帝が朝鮮に出征した後、 武帝の子・昭帝の始元5年(紀元前82)に、玄菟が高句麗の地へ移り、単単大嶺(長白山)以東の沃沮族、穢貊族は いずれも楽浪に帰属した。”この“単単”の二文字は、満州語の「珊延」と近いもので、「珊延」とは白色という意味です。 珊延大嶺、即ち「白色の大山」という意味になります。

ただ、この記述に対しては異説もあり、韓国・北朝鮮では「漢による朝鮮半島併合の事実はなかった」として、漢四郡の 位置が実は朝鮮半島の外部(具体的には通説でいう遼東郡の内部)に存在したと主張しています。この説の場合、 玄菟は徐々に縮小したのではなく、BC107年から一貫して撫順・瀋陽付近にあったということになります。

南北朝時代〜唐代

《北史列伝−勿吉》編の中にも記録があります。“漠河の南に縦太山という山があり、中国では太皇山と 呼ばれ、人々は非常に畏敬し、山上を汚すことはしない。山には人に危害を加えないクマ、ヒョウ、オオカミがいる。 粛慎、女真、満州族は同一の民族で、山のすぐ北に住んでいる。” ここでは、漠河国の南の端に大山があり、 長白山と呼ばれていると記述されているのです。

南北朝時代のその他の史書の中にも(例えば《魏書》《斉書》など)、 “縦太山”、“縦白山”という呼称の出現が常にあります。また、《唐書−東夷列伝》は、関連記録を見ることが出来ます。 “漠河にいた粛慎、粟末部は最南端の太白山、またの名を徒太山に到着し、高麗と接す。” 明らかなことは、 その時代、長白山の呼び方が統一されておらず、ある者は縦太山と呼び、ある者は徒太山、縦白山、太皇山など様々でした。

遼〜金

東北の契丹族と女真族が、遼や金を建国した後、東北第一の高山について、規範化された呼称「長白山」が 登場します。《契丹国志》に次の記録があります。“長白山は冷山東南千里余りのところにある。・・・動物はいずれも白い。”、 その後の《金史・本紀35》では、“女真に長白山あり”と記載されています。

特筆すべきは、中原で金を建国した女真族が、長白山を彼らの発祥地として崇拝していたことです。 長白山の山頂に向って、国運の興隆や皇帝の健勝を祈りました。金の世宗・完顔雍が即位して間もなく、 1172年(大定12年)、興国霊応王が長白山に封じられました。翰林学士の党懐英が《長白山は霊応王が治める》と書いて おり、文中で極力長白山の神格化をしています。1175年、完顔雍は長白山の北に霊応王の神廟を建立し、大臣達に礼物 を持って供えるように命じました。

世宗・完顔雍

金代中期の文人・趙秉文は長詩「長白山行」にて、元時代の詩人・王結も長詩「遼東高節婦」の中で長白山を称える作品を残しています。

清代

清の時代になると、長白山に対する信仰はますます強くなりました。愛新覚羅誕生神話を作っただけでなく、山岳地域内に 一般の人々が入ることや放牧、狩猟、人参採取を禁止しました。康煕帝、乾隆帝、嘉慶帝などはいずれも、祖先発祥の地で 祭礼を執り行うために長白山へ足を運びました。そしてこの時代には、長白山を聖山として詠ずる詩文集も数多く編纂されました。 康煕帝時代の「望祀長白山」「祭千長白文」(2編)、乾隆帝時代の「祭告長白山文」(5編)、嘉慶帝時代の「長白山告祭祝文」(2編)などです。

康煕帝
乾隆帝
嘉慶帝

1911年には、安図県令の劉建封が朝廷の批准を受け、4度にわたる視察を経て40枚の写真からなる「長白山霊跡全影」と いう写真集を出版しています。