(白頭山ネット)

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朝鮮民族の長白山


檀君神話 | 高句麗人の長白山信仰 | 渤海の滅亡  | 宗徳寺 | 金日成神話  | 韓国歌曲

長白山は朝鮮民族にとって、建国神話と深く関わる聖山です。

「三国遺事」には次のような記述があります。有名な檀君神話です。

 檀君像

万物の神で空の支配者の桓仁 が自分の息子である桓雄 に地上に下りて住むように命じました。彼を手伝う風伯、 雨師、雲師など3000人と共に地上へ送り、「住みやすい人間世界になるように助けてあげなさい: 弘益人間」という建国理念を提示しました。

桓雄は太白山(現在の長白山)頂上の神壇樹の下に降りてきて そこを神市 と命じ、律法を制定して人間に芸術、 医療、農耕術を教えました。

この時、同じ穴で暮らしていた一頭の虎と熊が、人間になりたいと願い出ました。それを聞いた桓雄は彼らに 20かけらのにんにくと一本のよもぎをあげ、100日間日光を浴びずに、ただ聖なるにんにくとよもぎだけを食べるように 指示しました。虎はやがて耐えられずに穴を出てしまいましたが、熊は37日目に女に生まれ変わりました。

熊女は桓雄に感謝して、仲間がいなくて寂しいので神檀樹の下で子供を生ませてほしいと頼みました。熊女の願いに 心を打たれた桓雄は、彼女を花嫁に迎え入れ、やがて子供が生まれ、彼を祭壇を支配する統治者という意味をもつ檀君と名づけました。

檀君は賢明な強い指導者として育ち、B.C.2333年平壌城(今の北朝鮮の首都)へ移って来て、朝鮮王朝を立てました。 それ以降1908歳になる年に太白山へ戻り、山神となりました。

朝鮮民族が長白山を民族の聖山として本格的に崇拝し始めたのは、高麗時代、太祖・王建の誕生説話からと推定されます。 「高麗史」では、王建の先祖である虎景が、「白頭山を越えて南側(開城)へ移住して来た昔の高句麗の氏族だった」と記しています。

「高麗史」で、 "鴨緑江対岸の女真族を追放し、白頭山の外側で暮すようにさせた"とあり、 '白頭山'の名称が文献上に初めて記録されました。 白頭山という名前は、成海応の 〈東国名山期 東国名山記〉、李裕元の 〈林下筆記〉 などの文献によれば、 長白山の山頂が雪や白色の浮石で 四季を問わず白く見えていることに由来すると言われています。