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延吉市    市内のスナップ  市内の地図

人口 40万人(2002年)
面積 1,332,000平米
行政区画 6街道・3鎮:
河南街道、建工街道、新興街道、公園街道、朝陽街道、北山街道、
依蘭鎮、三道湾鎮、小営鎮
 延吉投資指南


延吉市は延辺朝鮮族自治州の中央部・長白山脈の続きにある盆地に位置し、延辺最大の都市であり政治経済の中心都市でもあります。
人口は40万人ほどですが、そのうち40%ほどを朝鮮族が占めています。 92年の統計によると朝鮮族の比率は60%近くだったのですが、この10年で大きく減っていることになります。 朝鮮族のほか、漢族・モンゴル族・回族など、11の民族が住んでいるといわれます。 地名の由来は、山に霧がしばしばかかって煙るところからもともと煙集崗と呼ばれていたのが、発音が変わって延吉になったとも、 吉林からの延長という意味だともいわれています。

  

布爾哈通(プルハトン)河が西から東へと市内を横切るように流れ、 延集江が北から南へと流れ、布爾哈通河に合流しています。 布爾哈通河によって市内は河北と河南に分けられ、 延集江の西は人民公園があるため、公園路と呼ばれます。 3地域のうち河北が中心街として最も栄えています。

  

19世紀初頭より朝鮮の罹災民や山東省・河北省の貧しい農民がこの地で農地の開墾を始めました。 その後、日本が進出して来て、1934年に間島省の直轄市とし、中国東北地方での資源調達基地となりました。 戦後は、中国共産党吉林省委員会が2年ほど統治した後、1952年には延辺朝鮮族自治州が成立、自治州の直轄市となりました。
教育文化都市としての性格も強く、総合大学の延辺大学をはじめとして、10近い専門学校、61ヶ所の中小学校があります。 延辺放送局・延辺日報などの言論機関、70もの芸術団体、延辺芸術劇場、延吉体育館、8万人収容可能の延吉人民体育場もあります。

  


延吉西市場

コスメ、ジュエリー、文房具、シーフードなどあらゆるものを買うことができるこの市場は6つのセクションに分かれています。軽食堂もあります。

延吉アンティーク市場

衣服から電化製品までそろう延吉最大のアンティーク市場。品物は、韓国、日本、その他アジア諸国から集められています。


延吉東市場

安価な商品を手にいれられる場所。皮製品、時計、果物、生鮮野菜、シーフードなどを手に入れられます。肉などは半額で手に入ることもあります。


国際貿易ビル

一言でいえばデパートです。家庭用品、薬、衣服、飾り、家具、野菜などがあります。延吉で一番大きな遊び場があり、地下にはバイキング食堂があります。


熊牧場

熊を殺すことなく熊の胆を取り出す技術で大量生産しています。大量のツキノワグマが飼育されている世界最大の熊牧場です。




延吉教会

延吉市参花街の延吉教会(プロテスタント)は烟集川河畔にあり、西市場近くの公園橋に立てばよく見えます。 その偉容からは朝鮮族の厚い信仰が感じられます。韓国長老派教会の資金援助によって1996年に建てられたものです。 延辺におけるキリスト教の布教は、主として20世紀初頭より始まりました。文化大革命期には礼拝堂が造反派に占領され、 教会での活動は停止状態に追い込まれるなど、その発展は順調とは言えないものでした。かなり自由になったのは80年代に入ってからです。 朝鮮語で行う日曜日の礼拝には数百人が集まり、大礼拝堂がいっぱいになります。一方、漢語の礼拝は一階にある小礼拝堂でおこなわれます。


延吉監獄

1924年、日本が抗日独立運動の志士達を投獄するために建てましたが、多い時は1000名以上の収容者を擁し、脱獄闘争もありました。 現在の延辺芸術劇場の敷地にあります。


師恩記念碑

花崗岩に「師恩記念碑」 と書かれた高さ1.87mの碑石は、その名のとおり弟子達が師匠の恩を記念して建てたものです。 1907年、局子街(延吉の旧名)の西郊外にある和龍に李東輝らの抗日志士が新式学校として彰東学校を設立しました。 この学校はすぐに大きく発展し、3年後には中学校課程まで開設し、多くの人材を輩出しました。 しかし1920年の庚申年大惨事において全焼し、教師達も散り散りになってしまいました。 1935年、この学校の卒業生達が謝恩の気持ちで建てたのがこの石碑です。


烈士陵園

延辺大学東門を出て北に10分ほど歩くと、延吉市の西の丘上に位置する烈士陵園にたどりつきます。この烈士陵園は95年に新しく造られ、 抗日戦争、国共内戦、朝鮮戦争で亡くなった人をまつっています。この中には日本人の名も見つけることも出来ます。

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