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![]() [目次][概要][満州語][風俗] 満州族
延辺朝鮮族自治州内にも、琿春市に三家子満族郷と楊泡満族郷の二つの満州族郷があります。 黒龍江省の満州族は91万人で、省全体の都市と農村の各地に分散して居住し、80%ほどが農村に居住しています。 黒龍江省は満州族の発祥地です。周代に、 満州族人の祖先は阿什川の流域に居住していました。寧安市一帯の満州族の土着の住民は比較的多く、 黒河、嫩江、チチハル一帯の満州族は多くが北部 国境の警備を強化するために清の康煕年間、吉林、寧古塔など征北軍として駐屯し、開墾して国境警備 をしに来ていた人々の子孫です。 双城、五常、阿城のなどの満州族は、多くが清の乾隆年間に北京から移住して来た人々の子孫です。 その他、一部の満州族人は吉林、遼寧から生計の道をはかるために来た人々の子孫です。 河北の満州族の人口は204.6万といわれます。承徳市、秦皇島市、唐山の遵化市、 保定の易県に満州族の人口が比較的多くなっています。 満州族は直隷(河北)に入って、丘陵に駐屯して防衛に当たり、土地を分割して配置したため、 全省の各地に分布していますが、相対的な集中的居住 区もあります。清朝時代、満州族の社会の政治の地位はその他の民族より高いものでした。辛亥革命により清朝が 倒れると、満州族は特殊な社会の地位を失い、 後は非常に大きな抑圧を受けまし。中華人民共和国が創立した後、各民族はすべて平等となり、河北の満州族の 人民は存分に平等な権利を有することと なりました。20世紀80年代、この省は続けて豊寧、青龍、寛城の3つの満州族自治県と囲場満族モンゴル族自治県を設けていました。 北京の満州族の人口は2000年現在で16.46万人。 山東の満州族の人口は2.5万人で、主に青島、済南、淄博、 濰坊、 青州、煙台と徳州などの地に居住します。 広東満州族の2000年の第5次の国勢調査の時に人口は17972人がいて、主に広州市に集まり住み、広州満州族の 人口は全省の満州族の人口の総計の59% を占めます。特に、もともとから集まり住む越秀区だけで市の総計の31.2%を占めます。広州市外では、省全体で18の市、 65の県に満州族の分布があります。 主に清朝の駐広東満州八旗制度の将兵と家族の遠い子孫です。もとは軍隊制度は3年の期限で駐屯して 防衛に当たることを定めていましたが、後に常駐制 となりました。辛亥革命の時に、駐広東八旗制度の将兵は清の統治を離れ、軍事技術を民間に転用し、広州に 定住することとなりました。 その他、同様の理由により新疆、甘粛、雲南などにも満州族が居住するようになり、現在に至っています。
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