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六頂山

渤海国は大祚栄(高王)によって698年に建国されました。祚栄の出自については、靺鞨の一部である白山部の人とみる説、 高句麗の遺民とする説、女真人の巨酋と考える説などがあります。

高句麗滅亡(668)後、高句麗に与して唐に反抗した靺鞨の一部などとともに営州(遼寧省)に移されていました。 696年、契丹の酋長松漠都督李尽忠が唐に叛旗をひるがえすと、それに乗じて部衆を率いて東方へ進軍しました。 則天武后は、将軍李楷固をして祚栄を迎撃せしめましたが、祚栄は高句麗・靺鞨の部衆を合せて、これを大破しました。 かくして祚栄は東牟山(敦化付近)下に城を築き、満州東部に一大勢力を確立し、698年には自立して震国王と称しました。 そこで唐は一転して懐柔策をとり、中宗は705年、侍御史張行岌を派遣して招撫をはかりました。 祚栄も唐との通交の利を考えて、その子大門芝を唐に遣わして朝貢せしめ、ここに唐との和解が成立しました。 その後、713年、玄宗は鴻臚卿崔忻を遣わし、祚栄を左驍衛員外大将軍忽汗州郡督に任じ、渤海郡王に封じました。これより,国を渤海と号しました。

六頂山は東牟山と永勝遺跡に都を定めていた当初の王朝(旧国)の古墳が集まっているところです。永勝遺跡から3kmほどのところにあり、 第一古墳地区・第二古墳地区に分けられます。


頂上が6つあるところから六頂山と呼ばれます。


古墳内の標石



    

【参考】 西古城  八連城
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