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八連城

9年ほど渤海の都だった東京龍原府は、琿春市の八連城にその中心がありました。 八連城は半拉城、古土城、八磊城、八壘城、半拉城子土城等とも呼ばれます。琿春河沖積平野地帯の西端で、この城の西3.5kmのところを豆満江が流れています。 南東部に日本海が拡がり、新羅・日本との交易に適した場所でした。 八連城の周辺には温特赫部城等の渤海遺跡が沢山あります。 構造は土城で、外城の周囲は2895mで、城の形・大きさは西古城と似ています。各外壁の中央には門のような痕跡もあります。



日本の鳥山喜一氏が1923〜24年に調査し、斎藤甚兵衛氏が1937年から発掘し、大体の構造が判明しました。 渤海に特徴的な瓦、壁、仏像などが出土し、特に二仏並坐像は高句麗の仏教文化をそのまま受け継いだものとして注目されています。

 二仏並坐像

渤海第3代の文王がここに都を置くことになった理由については諸説ありますが、日本との貿易をより円滑にするためという経済的な理由が有力です。 「渤海の貴族間の抗争に対して配慮した」「新羅への侵攻機会をうかがうため」という説もあります。 現在、琿春市が中国の開放特別区に指定されて国際的に注目を集めていることは、この地が持つ歴史的な意味を新たにするものと言えるでしょう。 一方、北朝鮮からは東京龍原府の位置が北朝鮮咸鏡北道の清津市付近であったという主張が出されています。しかしそれを裏付けるような巨大な宮城や 古墳群等が見つかっておらず、琿春説が幅広く支持されています。

【参考】 六頂山  西古城

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