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27.内モンゴル自治区 札蘭屯市 成吉思汗鎮 洪光村(下)


▲ ムクゲ遊覧村の高いブランコ。
紅光村の住民たちは、しばしばこの遊覧村に集まってブランコ、板跳び、 農楽など我が民族固有の民俗遊びを楽しむ。

"コリアンドリームなんかちっとも羨ましくない"

成吉思汗鎮の町並と接している紅光村 1隊を経て、紅光村 2隊を訪ねる途中、未舗装道路の左右には韓半島の南 側から上って来た初期の移住民たちが数十年間にわたり血の汗を流して開拓した田が広がっている。ちょうど雅魯河 から引き入れた堰の水で濡らされている農土には、特に小さな砂利がたくさんまじっている。あまり石が多い所なので 、指一、二本く゜らいの大きさの砂利までいちいちつまみ出すことはできなかったはずだ。

紅光村 2隊まではさほど遠くはない。 しかし実際に村で車を止めようとしたら、趙オクジャ書記が、もう少し行こうとい う。何か自慢したいものがあるようだ。さすがにしばらくして、それらしい所が見えて来た。

新たに作った大きな建物と池、ブランコ、板跳び施設などが揃っているこの 'ムクゲ遊覧村'は、趙書記と里人たちが大き な期待をかけている所だ。 成吉思汗鎮など外地の人々を呼び入れて、ここでお金を使わせる考えだ。 鯉とフナがすべて手 に入れば、池を有料釣り場に変えて、客を誘致する計画も立てている。食堂は既に外地の客たちで繁盛している。紅光村の 人々もここで 8.15、敬老の日などは、しばしば犬をつないでおいて踊り、船遊びなどもする。そのたびにアリランの調子 と農楽のリズムが周辺野辺にこだまする。

まだ未完成である遊覧村の庭先には、 '工事中'であることを説明するように鉄棒が転がっている。村の遊覧村建設計画を 上級機関が支持してくれるので、村政府は必要な土地を 1年に 1100元という格安で孫ジョンホさん(56)に賃貸しした。 つまりこの遊覧村は孫さんの個人事業であるわけだが、彼の事業が成功すれば紅光村も他の村に比べて裕福になるという 考えで、町中が支援している。 趙書記は、村の入口から遊覧村まで花の道を造成し、ここを訪ねる外地の人たちを喜ばせ てあげなくてはならないと付け加える。

しばらく遊覧村の周辺を見回してから、室内で席を移した。蔚山が故郷という村の元老・朴マルスさん(79)も席を共にした 。食べ物を前にして朴さんから村の歴史を聞いた。朴さん一家は1934年満州に移住、吉林省兆南県に2年とどまった後、黒 龍江省龍江県龍徳村を経て61年にこの村に入って来た。彼はこの村で85年まで書記として働き、村の歴史にも明るい。

1941年、何戸かの朝鮮農民がここに来て、今の1隊と2隊の間に定住した。水があり、平地だから腰を据えただけのことで、 他の理由はなかった。彼らはあちこちに散らばって小さな水路を開きながら、荒れ地で水田農業に挑戦した。崔ソクドク、 盧ジョンゴルらの初期移住農民たちの名前が朴さんの口から出る。45年8月にまた10戸余りが合流し、初めて村らしい村が 形成され、すぐ30戸余りになった。以後にもだんだん増え始めた村の規模は、51年140戸、61年200戸と大きくなった。1970年 代の人口が1千名を越え、村は全盛期を迎えた。

しかしそんなに賑わった村も、7〜8年前から韓国ブームが吹き始める揺れる始めた。今までこの村からは200人余りが韓国へ、 沿海州へと去った。韓国で3年熱心に働いて25万元という大金を送った人もいるが、怪我をしたり病気になったりしてお金を 儲けることができなかった人もいる。趙書記の2番目の娘も韓国に出てから4年になるが、'未だにお金がない'と言うし、 ヨンソンの母親である4番目の娘は7万元を払って韓国に出て、やっと借金は返したという。


▲遊覧村の池。養魚場兼遊船場として使われる


▲洪光村のリーダーたちが村発展の新しいきっかけとして期待をかけているムクゲ遊覧村の全景。
裏手の大きな建物が現在繁盛している食堂だ

そうかと思えば、趙書記の姻戚は7万元を払っても、三人の息子の誰も韓国に出ることができず、'今、死にたい気分だと 言う'と言った。

このようにお金を使っても夢をつかむことができない場合が多く、行って見たところで大きなお金を稼ぐこともできない 事例が増えており、今は'招待ならばともかく、お金を使ってまでしては行かない'という雰囲気が定着しつつあるのは、 むしろ幸いという気がする。

村が揺れてはいても、趙書記はこれが逆にチャンスなのかも知れないという考えをする。土地が広くて人が少なければ、 1人当り所得を高めることができるし、そのようになれば土地を完全に守り通すことができるのではないかというのだ。 10筆(1筆は1ha)の農業を行えば、1年に7万元は儲けることができるし、あれこれすべて勘案すればこれは韓国へ行って 苦労するよりずっとましだというのが趙書記の考えだ。禹ガンソプ村長も4筆の農業を行い、1年にここの基準では少なく ない2万元を儲けるという。

このように残った人々がもとの場所で機会をつかむためにも、土地は必ず守らなければならないと趙書記は念をおす。そ れで去年、2隊に漢族が入って来ると村では1年に管理費5000元を払わなければならないと脅かして追い出した。家まで売 って引越しした人がいたが、村のリーダーたちが出てその家を取り戻した。

遊覧村で食事を終え、3隊村へ移動した。町内に崩れている草家が見え、ところどころ人々の去った家が散らばっている。

家の前庭先でバイクの手入れをしている厳ミョンホさん(39)は、今 9年前に韓国にお嫁に行った妹の招待を待っていると ころだ。 招待状が来れば夫婦が一緒に去るつもりで、農業もしていない。 チチハル朝鮮族中学校初中 1年生の一人娘は、 親戚の家に預けている。 厳氏が韓国へ行ってお金を儲けて来なければならないのも、この娘のためだ。 厳氏の家の近隣に ブリキ屋根の家が目立つ。 ここでは初めて見るブリキ屋根だ。厳氏と一緒にいたカン・キョンシクさん(60、咸鏡道会寧出 身)は、米軍が捨てて行くドラム缶を加工して屋根を葺いたが、まだ丈夫だと説明してくれた後、 "慶尚道の方々が人柄が 良い"と慶尚道村に住むためのリップサービスをしてくれた。

この村でも韓国と外地に出た家族がいる家は飾り方からして差がある。 レンガが清潔で、 家がきれいだ。 もの静かな路地 道は鴨が占領している。 路地が終われば水たっぷりの田が現われ、その田にも鴨が遊ぶ。

あれこれ見回していると、鳥と町内の犬たちの鳴き声が半端ではない。こうしていては泥棒と間違えられるのではと思って、 つい後ろ向きになると、方ジェジュンさん(67)がドアを開けてこちらを眺める。

方さんは奥さんの李ヘスクさん(66)とともに韓国で 22ヶ月働いて、去年帰って来た。 高齢にも関わらず手まめに仕事をして、 13万元を稼いで来た。老いても子ども達の世話にならずに自立更生するという計画を持って選択した韓国行の目標は、どうに かこうにかして果たしたわけだ。 ところが方さん夫婦の目にはまだ平沢工場で受け取れなかった労賃 365万ウォンがチラつ いている。 不法滞留の前歴のため、二度と韓国の地を踏むことができないかも知れない彼ら夫婦の立場にしてみれば、さほ ど惜しい金ではない。

日暮れ、汽笛を鳴らして村の前庭の鉄道を貨物列車が通り過ぎる。 "一日も泊まらないで、こんなにフラリと去って行く方が どこにいるのか"と、 名残惜しがる趙書記と村の人々を後にして、我々一行は急いで次の行く先に向かった。

(嶺南日報)


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