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16.遼寧省 瀋陽市 蘇家屯区 大淑郷新興村

2千名も住んでいるが、老弱者のみ



結婚する娘は珍しく、去年生まれた赤ん坊はわずか2人…学生もますます減り、閉校 の危機…"それでも漢族の嫁はダメ"

新興村では村長選挙を控えて住民たちの論争が激しくなっている。 '野心がなければ 朝鮮族ではない'という朝鮮族の諺のとおり、村を導こうとする人物がとても多く、 町中がひとしきり政治病にかかっている状態だ。韓国TVを熱心に視聴したから、細か いことまで学んだのかと思ってやや苦々しい気分にもなる。

おかげで村長や村政府の指導者たちと接触し、取材をしようとしていた計画は諦める しかない。外国人の身分で、もし誤解でもされたら大変だからだ。

それで知り合いから紹介された人が新興村に住んでおり、原籍地が慶山市という小説 家崔テヨル先生(60)だ。ほっそりした体に端正に髪をオールバックにしたこぎれいな 印象の崔先生は、"一丸となって団結して村が発展する道を模索しなければならない のに、お互いに村長の座を奪おうと6、7人が出るせいで、今、村の雰囲気が大騒ぎ だ"と言いながら舌打ちをする。瀋陽市周辺の朝鮮族村という、よく似た環境だが、 新興村は正体されている一方隣近の満融村と花苑新村は良きリーダーに恵まれ、現代 的で都市化された朝鮮族集中村に生まれかわっていることを眺めていることしか出来 ない新興村の住民たちの立場では、このような地位争いが好ましいわけがない。

尋ねた時間がちょうどお昼頃。人を捜し回るのが困難な時間なので、一応食堂から尋 ねる。 600戸に2千名余の住民が住む大きな村らしく、食堂は数多い。朝鮮族村の食 堂だが、従業員は皆漢族だ。 'お金を少ししか与えないから'食堂で働こうとする朝 鮮族はいないという。食べ物も私たちの伝統から随分外れ、中国の食べ物に近付きつ つある。朝鮮族よりは漢族の客が多いから、仕方ない事かも知れない。

この村にはまだ小学校が残っている。 '瀋陽市蘇家屯区城郊朝鮮族中心小学校'は 思った以上に規模が大きい。 3階位の建物に運動場は200mトラックが充分に収まる大 きさだ。いくら苦しくても子供達の遊び場と勉強する場所だけはたっぷりと用意する 朝鮮族同胞たちの心遣いには、いつも感嘆させられる。

運動場には6、7人の子供達が熱心にサッカーボールを蹴っている。あの子供達に韓 国と中国がサッカーをすればどちらの方を応援するのかと聞けば当然中国だと答える だろう。民族意識は残っているが、あの年齢ぐらいの子供達の胸の中で、祖国は当然 '中国'である。

'我が民族の文化芸術を育てよう'という文句が大きく書かれている廊下の階段を上が り、主任教師(校監)の事務室に入る。霊泉が原籍地であるイム・ギェファン主任教師 (54)は、ひと目で朝鮮族と分かる親しい外貌で近付く。彼は1977年に赴任して以来、 ずっとこの学校に在職中だと言った。

1943年に設立されたこの学校の規模は学生127人に教師23人(幼稚園含む)。 一時は42 人に達した教師の数が半分近くまで減ったが、学生に比べて教師の数が多すぎるとい う感じを否定出来ない。それほど学生数が急減している。わずか10余年前の90年代の 初めでも、この学校の在校生は570人余りだった。生涯を民族教育事業に投じて来た イム先生は、そのために最近は心配が多い。瀋陽市政府は'学生数が100人未満や一学 年が完全に消えれば、学校の門を閉める'と言う原則を適用しているが、この学校が いつまでその基準を満たして尊属できるのか、心配だ。

"この大きな町内で結婚宴が珍しくなったぐらいだから、学生が減るのは当たり前で はないか"と崔テヨル先生が言う。去年、戸口(住民登録) 2千名のこの村で生まれた 子供はたったの2人。娘がいないから独身男性が結婚


▲小学校の子供たちが休み時間を利用して運動場で遊んでいる。

出来ず、それで町内で子供の泣き音を聞くことが大変になったのではないかという。 新婚家庭がないから新居を作る事もなく、だからこの村が徐々に老けた(?)村になっ て行っている。それでも漢族の娘を嫁に迎えることもできないから、いたわしいこと だ。仕方なく隣り同士で暮すことはあっても、漢族と血を交ぜる結婚をこころよく思 う朝鮮族はいない。漢族の娘を迎えたら忽ち同化されてしまうという警戒心が強い。 この町内では、今や35歳にならなければオールド・チョンガーとはいえないという、 笑えない話も行き交う。今ではそのチョンガーたちさえ娘のいない村を捨てた。


▲小説家崔テヨルさん。慶山市が故郷である崔先生の夫人は、現在韓国のある歯医者 の家庭で保母として働いている。

学校が消えれば村も消えるというイム教師の心配を後にして、また村に帰って来た。 村の中央には中国朝鮮族村では滅多に見られない、青い木陰のある広場が造成されて いる。歴史の短い朝鮮族村では通常、韓国のように巨木を見ることは出来ないが、こ の村には広場に結構雄大で威厳ある木が陰を作っている。広場の後の老人会館の壁に は'親切と笑いで晩年を楽しく過ごす愛の家'という文句が大きく書かれている。

男女に分けられた二つの活動室では、新興村の年寄りたちがマージャンと花札で一日 を過している。 '故郷はどこか'という質問に老人たちは'全員慶尚道'と言いなが ら、同じ慶尚道の言葉を使う記者に暖かいほほ笑みを送る。

41年から始まった新興村の開拓過程では、河ビョンスという人の功績が大きかった と、チョン・クァングク翁(84)は証言する。彼は当時、日本人に雇われて漢族たちの 土地に溝を掘り、20里離れた渾河の水を引いた。もちろん漢族たちの反対を無視して 無理やりに進めた事だった。このために河氏は光復になるやいなや、慌てて母国へ避 難、面倒を避けた。

たとえ日本人の権勢を借りたとはいえ、このような事をやり遂げた河氏に 対して、住民たちは今まで有り難いという感情を持っている。水なしには暮すことができない 我が民族が新興村に根付くことができるようにしてくれた人という評価だ。

原籍地が青島郡である李ジョンス老人会長(68)の家は、日本統治時代の末頃、中国に渡って来て、 彼が11歳になった年の47年まで撫順で他人の土地で小作してから、親戚のいた新 興村へ移住した。十歳上の姉(現在、大邱市居住)が、光復の日、帰国して実家の 家族たちも一緒に帰ろうとねだったが、母親が耕作した土地が惜しく、帰国の時期を延ばした せいで今まで帰国することができなかった。秋の収穫を終えて帰国の途についた時は 鴨緑江が閉ざされた後だった。

このような家族史を打ち明けた李会長は、"当時、新興村は平地のうえ暮しやすいという噂 が立ち、主に外地の山里地域に住んだ朝鮮族、特に慶尚道出身者たちが大挙して集 まった"と説明した。村が徐々に大きくなることに奮い立った指導者たちは、中国の共産化 以後、人々をさらに集め、朝鮮族自治郷を作ろうとしたが、 民族主義者の烙印を押され、共産党員たちに攻撃される苦渋を経験したりした。

このようにして建設された新興村は、4〜5年前まで漢族はたったの1軒しか住まない、純粋な朝 鮮族村を維持して来た。唯一の漢族は言葉を使う人が必要なので受け入れた。その漢族を持っ て里人たちは'きれいな朝鮮族と馴れ合って暮していたから、その家族は他の漢族と は酒席も憚るほどまでに朝鮮族化された'と面白がる。

今はこの村にも漢族たちの流入が増えている。村に入って来て朝鮮族の土地を借りて農 業をする漢族たちは、"昔はお前達が我らの領土を借りて田植えを していたが、今は私たちがそうしている"と冗談を言ったりする。

老人たちに"遊びの邪魔をして申し訳ない"と挨拶をしながら立ち上がると、 李会長が笑えない冗談を投げた。 "邪魔って、一体何の邪魔かね?いつも遊んでばかりいるのに…。"

(嶺南日報)


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