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14.遼寧省 瀋陽市 蘇家屯区 花苑新村(上)

教育の集中、人の集中、文化の集中、仕事の集中

'民族のアイデンティティ守ろう'朝鮮族集中村の建設


▲村政府事務室の前から眺めた花苑新村アパート団地内の全景。金箔を施した鳳凰像はこの村の未来を象徴している。

瀋陽は中国東北3省(吉林、遼寧、黒龍江)の中心都市で、'奉天'という、今とは違う名前と呼ばれた時代、 いろいろの事情を抱いて大陸へ移住した我が民族の哀歓があちこちに立ちこめている所だ。当時、 朝鮮人たちが集団的に集まって住んだ西塔は、今もその時代を再現したように韓国人と朝鮮族によっ て占領(?)された状態だ。

西塔から瀋陽の町並みを横切って遼陽に向かう南側道路に沿って30〜40分ぐらい走ると、広い 舗装道路の周辺に爽やかに土地が開ける。道路に沿って'どくどく'流れる堰が異彩を放つ。大都市 の隣近だが、それほど濡らさなければならない土地が多いという傍証だろう。

そしてしばらく後、やがて右側に現われる粋なアパート村….今まで行って来た朝鮮族村とは形からして 大きな差があるこのアパート村が、私たちが尋ねて来た慶尚道村'花苑新村'である。

広い野原の中、一つだけ立っていて、さらに雄大壮厳に見えるアパート村は、快適性と大都市との 近接性などさまざまな側面で良い条件を揃えていることをひと目で知ることが出来る。この村は現在、 朝鮮族社会全体から話の種に浮上している朝鮮族集中村のモデルの一つとして注目されている。

中国の改革開放以後、韓国や沿海都市に移住する朝鮮族たちが急増、数十年の苦節のあげく、 ようやく形成された伝統的な朝鮮族社会が根こそぎ搖れており、大都市近隣などの条件が良い所 に朝鮮族集中村を建設しようという運動が展開されている。花苑新村がそのモデルとして浮上して いるのだ。朝鮮族集中村の建設運動は教育の集中、人の集中、文化の集中、仕事の集中など を通じて民族のアイデンティティを固守しなければならないという主旨で始まり、現在、瀋陽市の満融村、 花苑新村、吉林市金豊村、海林市新合村など多くの地域で展開されている。

花苑新村の入口駐車場に車を止めておいてアパートに近付くと、ガードマンがじろじろと調べるように 取材陣の隅々を観察する。そのためだろう.南北にアパートが長く続き、東西の方にアパート管理事務室 と附帯施設で塞がっている構造が、まるで中国客家人の集団家屋である丸い住宅を連想させる。民族の アイデンティティを守り通すという意志が嬉しく、ガードマンの厳しい視線も全く不快ではない。

入口の建物に陣取った村政府事務室に上がると、朴ヨンジン党支部書記(55)が、この里人とみられる男と 話を交わしている。が、交わす言葉の半分が中国語だ。大都市近隣に位置づいた村であればあるほど、 中国語を使わなければならない事が多く、それでかなり多くの数の朝鮮族たちが朝鮮語より中国語をより流暢に使う。

仕事を終わらせた朴書記は、席を勧めるやいなや、ただちに村の歴史と自慢を披露し始めた。 25年間、党書記 として働いただけに、この村には彼の知らないことはない。

花苑新村の元々の名前は連盟村。中国光復以後、東北3省の50の県から集まった朝鮮族が建設した村だ。 当時集まった人々は大部分慶尚道人で、それで今もここの人々は当然、慶尚道の言葉を使っている。当時の 連盟村は今の姿とはかなり違っていた。なにしろ広い土地なので、朝鮮族たちはあっちこっちに散らばって暮 していたし、そのように家がとぎれとぎれに散らばった周辺地域を一つの村単位にまとめたものが連盟村だった。


▲朴ヨンジン書記がこれから開発しなければならない地を示し、花苑新村の未来を説明している。


▲敬老堂で過している花苑新村の老人たち。他の地域の朝鮮族の老人たちと比較すると、はるかにきれいな身なりをしている。

1949年から、朝鮮族たちは今の花苑新村周辺の裏山を水田に開墾、米作りを始めた。その後、56年、 共産党の集団化指示に従って里人たちは骨身を切って開拓した土地を差出し、他の土地の割り当てを 受けた。この土地をまた特有の勤勉さにより全て水田に変貌させると、連盟村は周辺の工場で働く人々 でさえ職場をあきらめて定着するほどに噂が立った富裕な村に生まれかわった。

しかし同じ村と言っても、蘇家屯区の市街地のいろいろなところに散らばって住んでいたので、お互いの 間の往来が不便だという短所もあった。それでも集団経済時代には職場で会ってお互いの間に情も交わし、 情報交換もできたが私有化経済体制に転換してからは、それさえ難しくなった。会う事自体が難しくなったら、 人情も自ずから遠くなった。

それに私有化経済体制と共に改革開放の風が連盟村にも吹き、住民たちが沿海都市や韓国などの 外国へと抜けて行くようになり、村の将来を保証することができなくなった。そうでなくても他の朝鮮族村 と違い結束力が弱かった連盟村が、このように朝鮮族村のアイデンティティさえ喪失する危機にあうと、 朴書記など村の指導部は議論の末、"集まって暮すことができ、都市生活の恩恵も受けることができる 文化住宅団地を作り、民族のアイデンティティを守ろう"と言う結論を下した。今の集中村概念のようなもの だったが、当時としては連盟村だけの問題だった。

環境は良かった。大都市瀋陽の近郊だったし、自転車で10分ほどの距離である蘇家屯市内に朝鮮族 小学校と初等・高中があり、教育環境も申し分なかった。めぼしを付けた村の前に道路もスッと伸びた。 このような環境を検討したあげく、村指導部は出来るという確信を持つようになった。

95年いよいよ1期工事に着工した。まさに今の花苑新村の場所だった。自治体の50万元と個人の投資資金 200万元が資金になった。

5期工事まで仕上げられた現在、花苑新村にはアパート13棟とその他附帯施設など7万5千平米の建物が 立ち並んだ。全体で670世帯のアパートが順調に分譲され、入住民の数は2千名余に達する。.附帯施設の 中では結婚式場、舞踏場、カラオケ、ビリヤード場、ボウリング場、エアロビック室、サウナ、ランドリー、図書館、 ゲートポール場、テニス場、ジム、ローラーリンク、子供の遊び場、託児所と幼稚園などが含まれている。 一言でいえば、団地の中だけでかなりの文化生活が可能な位の施設が揃ったわけだ。今までに投資さ れた金額は7千万元に達する。

朴書記は、"ところがこれは序の口に過ぎない"と言う。現在までに開発されたのは計画面積の4分の1に 過ぎないという説明だ。

問題は、これからますます開発事業が大変になるということ。 "良い環境だけ揃えておけば入って来る人は 多いが、土地規制が厳しくなるなど中国でも各種の規制が増えており、これを解決しながら事業推進をする ことが次第に難しくなっている"と朴書記はいう。 "嬉々として仕事に打ち込んでいた時は分からなかったが、 これからは心配だ"という告白だ。

それで彼は、これからは地域開発会社を決めてこの事業を仕上げるという構想をしている。 "大変だが、 私たちがしなければ私たちの気に入るように、特色ある街にすることができない。結局、私たちの力でやり こなさなければならない。個人も儲けて民族も助ける、そんな道を追求しようと思う"と朴書記は強調した。

(嶺南日報)


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