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13.吉林省 九台市 龍家堡鎮 紅光村(下)

"パパは一歳の時、ママは三歳の時、韓国へ金儲けしに行ったんだって"


▲紅光村の幼稚園児たちが明るく笑っている

村政府の事務室に変わった学校をすり抜け、朴サンファ会計らの案内を受けて村見物に出た。 村の中の道にはいちめんに荒く砕かれた石が黄金色に敷かれていて、二人の人夫がその中で特に 大きな石を捜してはく抱いている。 33万元を投じて村の中道を舗装しているところだ。面白いのは、 工事現場で働く朝鮮族と漢族の労賃。朝鮮族の日当は25元だが漢族は20元だ。村政府が策定した 労賃なので、漢族が逆差別云々と抗議しても無駄だ。差別が嫌ならば仕事をしなければよいではないかと言うわけだ。

朝鮮族皆に村開放

遊休地に外部からの投資を誘致

純粋な慶尚道村を建設したかった初期移住民たちの希望とは違い、紅光 村には今、漢族と、異なる地域出身の朝鮮族もまじって暮している。漢 族の紅光村流入は、村の姿が整い始める頃から始まった。馬を育てなけれ ばならないから馬の扱いに慣れた王さんを、次には果樹園栽培が得意な柳さん、 鍛冶は張さんなど、村に必要な漢族を一人二人と呼び入れた。その結果、現在の紅光村の 漢族は10戸を超える。空家が増え、漢族たちに農業を任せることが日常茶飯事になり、家族も 連れずにこの村に住んでいる漢族も多い。秋の収穫をして決算をする時、この村で農業をする農民 たちが集まれば、そのうち90%が漢族であるほどだから、農業は既に朝鮮族の領分ではないとも言える。

慶尚道以外の地域出身の朝鮮族には、最近になって門戸が開放された。抜ける人が増え、 村の規模が急激に縮むと危機を感じた村政府の幹部たちが'慶尚道出身でなければならない' という固執を捨てたのだ。幹部たちは今、道を作って防護室と学校など、遊休地に外部の投資 を誘致するなどして村を発展させ、朝鮮族を集めたいという希望を話す。単純に慶尚道村に固執す ることができない理由もここにある。

道の傍らに古色蒼然(?)とした草家が目立つ。扉も外れ、屋根には雑草が茂っている。草家に近寄ると朴会計が、 この村の開拓当時に建てた家だと説明してくれる。空家だが小さな菜園には誰かの作った跡が残 っている。腰を曲げて入って行かなければならない低い家には台所一つに2坪にもならない小さな部屋が二つある。 .壁は土壁を積んだもの。当地特有の黒い泥で作った土壁には、私たちの伝統がこもっている。藁の代わりに草を 刻んで入れて接着性を高めた腕前は、まさに私たちの農民たちのそれだ。

とはいえ、限りなく狭苦しく見える小さな草家、この狭い空間には二万里もの遠い異国の沼地を切り開い た朝鮮農民の疲れとため息が溶け込んでいるようだ。貧乏を子孫に残さないように、必死で奮闘した彼らの夢も…。

村の中央には老人協会と幼稚園が建っている。オルガンの音が聞こえて来る幼稚園の規模が、思ったより ずっと大きい。広い運動場と長く並んだ教室などで、教育のためには万事を犠牲にする紅光村人々の熱情 が読み取れる。ところが人がしきりに抜ける村で、幼稚園の運営がまともにできるはずがない。そのため、 教師らの月給も村政府が負担する。

住民たちは外地へしきりに抜けて行く

今の幼稚園児が最後かも

ある教室に立ち入ると、4、5歳くらいに見える子供6人がオルガンの音に合わせてリズムと歌を学んでいる。 "グー出して、パー出して、手を打って…。"韓国の童謡を歌う茶目っ気たっぷりの子供達だから可愛い のではない。見知らぬ人々を意識したように子供達の声と動作がさらに大きくなる。自慢したい子供達 の内心が判るので、勢いよく拍手をしてあげた。

短い授業時間が終わると、子供達がガラガラの運動場に殺到する。漢族4人を含めて。

この村の幼稚園児は漢族4人を含めて、総勢20人だ。もしかしたらこの子供達がこの幼稚園の運動場を歩 き回る最後の子供達かも知れない。周辺から先を争って嫁入りしようとしたほどに先進的な村だった紅光村 も、今では次第に赤ん坊の泣き声を聞くことができない活気を失った村になりつつあるからだ。


▲住民たちが空家を壊している。

子供達の中で、こぎれいな風体と可愛らしい顔でよく目立つ李ムンクムちゃん(6)は、親が皆韓国に 発ち、'叔母さんやお婆さんと'一緒に暮す。父親は一歳の時、母親は三歳の時に行ったので、 今まで顔を見られなかった。 '会いたくないの?'と思わず投げた質問に、子供の表情が興奮し て来た。 "会いたいです"今にも泣きそうな顔になる子供の声は力がない。 '余計な質問をしち ゃったな'と思い、舌打ちをした。このような離散の痛みはムンクムちゃんだけが経験しているのではない。 現在この村では270人余りが韓国に出ている。行って来た人も100人を超える。

村の東には精米所と飲馬河駅がある。駅には一日2本の普通列車が止まり、紅光村の住民の 長春など外地行きを助けている。優雅で淡白な歴史を見回している時、急に満州原野のうら寂しい 風が激しく吹いて来る。紅光村一帯は満州でも特に風が強いことで有名だという。荒々しい風が吹 く時には、家の中でも心細いほどで、そのため火事も多いという。

"漢族たちは放ったらかしですが、朝鮮族は火種だけはきちんと消します。団結がよくできるから…。 "朴会計がふと言葉を濁ごす。蜂の群れのように集まって来て一瞬のうちに火種を消してしまう朝鮮 族のその団結力を、そしてその人々とその時代を、今彼は懐かしがっているのだ。

◇咸鏡道の中の慶尚道老人、金ゴンさん



"訛りを使いにくい。一度だけでも故郷に行くのが願い"

金ゴンさん(75、吉林省 九台市 新立朝鮮族村)は、星州郡が故郷だ。彼が9歳になった日 、彼の一家は'満州が素晴らしい'と聞いてすぐに故郷を発った。布団一つ、壷 一つを持って鴨緑江を渡った彼の一家は、日本人たちが中国人を追い出して造成 した開拓村に定着、光復の日まで3年の間農業をやった。日本人たちが退くと追い出さ れた漢族が戻って来て、朝鮮の人々の品物を奪い、婦女子に暴行をはたらくなど、横暴を働いた。 朝鮮人たちは黄金色に立ち上げた'集落'を残して避難するしかなかった。その後、彼は舒蘭、永吉 県、吉林市阿拉底、そして再び永吉県と転々としたあげく、慶尚道出身の60戸と共に紅光村から 10里余り離れた新立村に住み着いた。

集団体制時代、新立村は1隊から7隊までに生産隊が分けられていた。彼の住む村は7隊。 7隊を除いた残りの村は、皆咸境道出身一色。それで7隊は咸鏡道の中に島のように存在する慶尚道村になった。

慶尚道村として知られてはいるが、今、新立村7隊村で慶尚道の名残を捜すのは簡単ではない 。この一帯の住民の絶対多数が咸鏡道出身なので、年が経つに従って言語と風習が咸鏡道 式に変わったからだ。1950年代から、学校で平壌語だけ使うようになり、その他の言葉は訛 りだからとして使うことができないようにした影響も大きい。この村の若い人々はもうどんな言 葉が慶尚道の言葉かも区別することができない。このように咸鏡道と平安道出身者が優勢な 地域で、彼らとまじって住む慶尚道出身者たちの場合、歳月が流れるにつれて自然に慶尚道 だけの言語と文化を喪失する事例が満州地域では有り勝ちだ。

"私の村で慶尚道の言葉を使うのが決まり悪いんです。皆笑います。何だかんだと冷やかすんです。 この地方の言葉を使おうと思っても、すぐに慶尚道の言葉が出てしまう。"咸鏡道の中の慶尚道人とし て生きて行く金ゴンさんは、"故郷に一度行きたくても、なかなか出来ないね"と惜しがった。

(嶺南日報)


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