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11.吉林省 梅河口市 平等村

韓国はただ金儲けのための所、 "南側を向いて小便も出来ない"


▲平等村の住民たちが畑にとうもろこしの種を撤いている。

華豊村から曲がりくねった農道みたいな未舗装道路を十五里ほど行ってみると、結構大きな村、 平等村が現われる。すぐ近隣の村だが、行政区域は山城鎮所属のち華豊村とは違い、中和鎮所属だ。

行政区域だけが異なるのではなく、この村は漢族と混在して暮すという点でも、徹底的に朝鮮族村 を固守している華豊村とは違う。朝鮮族200戸に大して漢族は300戸で、漢族の人口が多い。朝鮮族の 住民たちは尚州、青松、安東、大邱など慶北出身が大部分だ。

李ヨサム華豊村村長の案内で尋ねた平等村老人協会の事務室には、礼泉郡が原籍地である盧キルボ 会長など老人協会会員4人が座っていた。彼らのうち、尚州市が故郷であるヤン・チルグさん(76)は、14歳 の時に親に付いて満州へ渡り、礼泉郡が故郷である崔ソンウンさん(73)は1941年、先に来ていた父親が メッセージを送ったので一家で移住、金オクジンさん(73)は青松郡が故郷で、14歳になった年の1945年、 家族と一緒に中国に渡って来た。

故郷がそれぞれ異なる彼らは、親に付いてあちこちを転々とし、1950年代この村に定着した。だからこの 村も初期の移住村ではなく、2次的な移住村のつもりだ。したがって老人たちもこの村にいつ朝鮮族が初め て腰を据えたのかなど、村の形成初期の歴史に対しては正確に分からない。

老人たちはただ自分らが定着した1950年代、この村には既に100戸余りの朝鮮族が暮していたと回顧する 。交通が便利で、土質が良く、水源も良いという事実が知らされ、あちこち散らばって住んでいた慶尚道出身 者たちが集まって来たとのことだ。

漢族と交わって暮して見ると、1958年に土地分配が施行され、この村でも一度、民族の葛藤を経験するように なる。地方政府が漢族たちに水田を全て朝鮮族に渡すようにとの指示を出し、漢族の不満が大きくなったのだ。

当時、漢族たちは'朝鮮の奴らが中国に入って来て、他人の土地を奪って行く'と不平をぶちまけたが、近隣の 華豊村の場合と違い、物理的な衝突にまでは至らなかった。水田を耕作したおかげで、朝鮮族は漢族に比べ ると良い土地を分配され、この村の年寄りたちはそのため'中国人たちが愚かだ'と思っている。

そのような考えの一方には、中国共産堂に対する感謝が色濃くある。 "私は朝鮮で家もなく、木の家に住ん で来たが、ここで私の土地を持ち、住まわせてくれたのは有り難い。韓国へ行ってお金も稼がせてくれたし…" という崔老人の言葉から受けた感じだ。韓国で金儲けする機会を与えてくれたことに対する感謝は、共産堂だけ ではなく母国にもしなければならないのではないかと言う思いがちょっとしたが、とやかく言う事でもあるまい。

現在、この村から韓国に出稼ぎに行った人は100人をはるかに上回る。おおよそ一家に1人位は韓国に出ている というから、200人に近いかも知れないという気もする。村の案内をしながら盧会長は、"この家も韓国へ行ったし、 あの家も韓国へ行ったし、あそこも韓国行ったし…"と言いながらしきりに空家を示す。

"ここの人々は農業はしません。いつも息子を信じて、田は中国人にやり、マージャンでもしながら一日を過す。そ んな人が多いから、祖先を祀るためですら人集めが大変です。"

盧会長の言葉のとおり、村には年寄りと子供たちだけが残っていて、それなのにお金はあるから、平等村の人々 は仕事をするときも漢族を雇ってやらせ、直接腕をまくることはない。

このように韓国から儲けて来たお金でむだ飯を食いながらも、平等村の人々は韓国人の陰口を叩くのに熱心だ。


▲吉林省 梅河口市 中和区 平等村。舗装道路を境界にして衛星アンテナが走っている南側が朝鮮族居住地だ。

2回も韓国に行って来たという盧会長が一番ひどい。

"(記者を示して)あの人も韓国人だが、韓国人は冷たいね、ほんと。88年に韓国へ行った時、親戚らが最初は 抱きしめて泣いて泣いて大騒ぎしたのに、帰る時は見向きもしない。薬はよく売れたけど。"

盧会長は1988年、中国のお金で薬を1万元分買った後、母を連れて韓国へ行った時の経験話を打ち明け、 韓国人を批判した。当時彼は、母方の伯父と又従兄弟に会い、薬を売ってくれと頼んだが、その結果20倍の 利益を得ることができた。

ところがその過程で、親戚らが薬代をさらに吊り上げ、 自分の懐に入れた事を彼は理解できず、大金を儲けたのを見て一族に一部を渡しなさいと要求する時は、もっ と呆れたという。道中、用便がしたい時、喫茶店を尋ねて高いお茶を飲んでからトイレを利用しなければならない ことも、彼には陰口を叩く対象だった。とにかく韓国の人々は金儲けするように出来ていたというのが彼の結論だ。 それとともに彼は"私たちも今では金ばかりいじっているから、人心が冷たくなっていくよ"と、韓国の人々もお金が 多いから人心がそうなのではないかと自分なりに解釈している。

韓国人に対する寂しい感情は、崔ソンウンさんも同じ。彼は"天安に住む従兄弟と連絡がとれた、最初は睦まじく 電話も掛けて来るが、招請状の話が出るといつそんなことしたかと思うぐらいに連絡を断ってしまう"と言いながら 無情な人心に頭を振り回す。彼はまたこの里人の中には韓国に行って来た後'南側では小便も出来ない'と言う人 がいると仄めかす。

このような韓国人に対する残念な感情を打ち明けながらも、年寄りたちは"韓国へ行かずに残っているのは、どい つもつまらない連中です。若い人が家に残っていては滅びる。お金を儲けて来なくてはならない"と言いながら若い 人々の韓国行きを歓迎する。つまり、母国は彼らに金儲けする機会を提供するだけの所に映っているのかという思 いに息苦しくなる。

村の中央をセメント舗装道が通る。その道を境界にして、南側には朝鮮族が暮し、北には漢族が集まって住んでい る。見掛け上、朝鮮族の家と漢族の家を区別する方法は、二つの.衛星アンテナがかかっていれば朝鮮族で、門の 間に福を祈る漢字文句が付いていればその家は漢族だ。

農業はやらないと言いながらも、朝鮮族の家に藁束が積まれているのでおかしいと思っていたら、盧会長は 田を貸してやる代わりに食糧と藁束を受け取るのがここの一般的な慣行だと説明する。その藁束は石炭と一 緒に燃料として大切に使われる。

盧会長に、家を見せて欲しいと頼むと、気軽に案内してくれた。早目に韓国で大金を儲けて来た彼の家らしく、 広くてきれいだ。オートバイが二台もあって、衛星アンテナも目立つ。家の構造は真ん中が台所で両側に部屋 が二つある。物置もレンガ作りだ。

都合よく村にバスが到着、何人かの人を下ろす。この村にはバスが二台ある。このバスは近隣の朝鮮族小学校 が門を閉めたので、30里離れた山城鎮の朝鮮族学校へ60人の子供達を運ぶなど、住民たちの足役をたっぷり と果たしている。

遠く野原をかけている低目の山と、村の前のぼた山などを遥かに見回して去ろうとすると、盧会長が" ところでこの頃韓国情況は如何ですか"と言いながら引っ張る。話が大好きで人柄も良い彼に、'中国に入って来て から随分経つのでよく判りません。毎日韓国のテレビを見ているから、私たちよりもっとご存じなのでは?'とはぐら かして道を急ぐ。韓国に対する朝鮮族の寂しい感情を何とか解してやらなければならないという宿題をかかえて…。

(嶺南日報)


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