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8.吉林省阿拉底(下)

朴サンレ阿拉底村長の願い"朝鮮族の出入国を自由にしてほしい"

この子供達も大きくなって'金儲けしに韓国へ行く'のだろうか…


▲吉林省吉林市龍潭区阿拉底村小学校1年生の子供たちが縄跳びをしている。

一世代の指導者たちと寒くて空腹な移住民たちが必死に開拓した阿拉底村は、しかし今はもう一度試験台 に立っている。改革開放の波がこの村にも間違いなく押し寄せ、新しい挑戦に直面しているのだ。

集団経済時代、他の追従を許さない団結力に中国全体でも最先端を進んで行く村を建設した 阿拉底の人々の凝集力は、1980年代以後、私有化の波が押し寄せたことで弱体化した。83年、 共産党の指示で土地耕作権が私有化され、企業も個人のものになり、うまく行っていた村の経済が活力を失っている。

"一番大きな失策は集団企業さえも個人に差し出したことだった"と李ドンボム財政会計担当は診断する。 総生産額1億5千万元の90%以上を占める企業の売上高が、村の所得に繋がらない現実に対する心残りだ。 4つの自動車部品工場、レンガ工場、養鶏工場などが集団企業として残されたら、この村の長所である集団経 済時代の凝集力で各企業らが今の規模よりはもっと大きくなったはずであり、阿拉底の名声は依然として高か ったはずという惜しさも滲んでいる。

急激な人口減少も深刻な問題だ。村の住民の半分位が戸籍を残しているだけで、実際は村を離れた。韓国に600人 が出ていて、その他中国沿海都市や他の都市へも600人位が去った。このような人口減少は変わらぬ経済力を維持し ているにもかかわらず、村の未来を保証できなくしている。

"数十年の間、農地を作り朝鮮族村を掘り起こしたが、その基盤がわずか数年の間に崩れている"という朴サンレ村長 の歎息は村の住民たちの危機意識をそのまま反映している。村を離れる人の数が増え、教育の危機、家庭の危機、青 少年問題など過去には阿拉底村では想像も出来なかった問題が一遍に現われている。

"韓国で金儲けして来ながら、子どもが農業をすべて台無しにした"という朴村長の話に記者の心も重くなる。 女が行けば男が残り、男が行けば女が残っているという状況で、家庭もまた子どもの教育をまともにできるはず がないという話だ。だからといって皆村に残って農業だけやっているわけにも行かないというところに朝鮮族た ちの悩みがある。中国で子ども一人を大学まで勉強させようとすれば、少なくとも現在の貨幤価値で15万〜20万 元は必要という。したがって彼らが猫も杓子も韓国行きを選択するのは、ある意味当然だ。しかし子どもの教育 のために選択した韓国行きの結果が、結局、家庭崩壊と子どもの教育の破綻を招いているのが朝鮮族村で起きている悪循環だ。

それで朴村長は"韓国政府が朝鮮族の韓国行きが自由に出来るようにしてくれたら良いのだが"と言う希望を伝え た。 5万〜8万元を払ってやっと韓国へ行けば、また戻れるという希望がないから不法長期滞留をするようになり、 遂には家庭破綻が生じ、子供達が変な道へ進むなどの副作用が続出する、というのが朴村長の判断だ。彼らは韓国で 働くことができる期間は一度に3年位が適当だと申し立てた。それ以上滞留期間が長くなれば、韓国の悪しき文物に おぼれてお金も稼げぬまま、怠け者になるというのだ。

"とにかく阿拉底村の栄光を再現しなければならないですね"と聞くと、朴村長は"それで頭が痛い"と打ち明ける。 人材が村に残るようにするためには、都市より良い環境を作らなければならないのに、それは甘くないという告白だ。

阿拉底は過去の栄光を再現するために、95年から他の地域の朝鮮族を受け入れはじめ、今までに150戸余りが新たに 移住して来た。しかし抜けた人々の空席を満たすことはできず、今では入って来る人さえいないと言う。このため 周辺の朝鮮族学校を阿拉底で集中させたが、今の学生数が80人余りに過ぎない状況だ。


▲漢族の勤労者たち。阿拉底村のある自動車ケーブル工場で働いている労動者たち。朝鮮族の青壮年の大部 分が韓国や大都市に発ち、工場の現場勤労者は85%以上が漢族だ。

小学校と初等中学、高等中学まであった時代には、学生数が500人を超えた。しかし高等中学は79年に閉校になっ たし、初等中学は95年に門を閉めた。小学校を終えれば今では吉林市の朝鮮族中学校に進学しなければならない面倒 が後に続く。父兄たちの負担も当然増える。

とかく心配を共にしながら老人協会を訪ねた。村の規模と同じく老人協会の建物も他の村とは比較にならないほどに 大きく、しっかりと構えられている。右側と左側の部屋では男女に分けられた老人たちの活動室があり、その部屋の 中では老人たちが人が来るのか行くのかも分からぬままマージャンに夢中になっている。

傍で雑談していた老人たちに故郷の方々が訪ねて来たと挨拶をすると、ある老人が席をはたいて立ち上がる。 一緒に話を交わそうと勧めると、彼は"私は金正日が好きだが"と笑って席を外す。分かってみれば彼は黄海道出身だった。

金ミョンアムさん(72)は浦項市から9歳の時に満州へ移住し、孫ミョンホさん(70)は蔚珍から出て43年に移住した。 親に付いてあちらこちらに移動しつつ住む場所を探したが、満州の土匪と地方軍閥の謀略を除けば特に大変な苦労は しなかったと老人たちは回顧する。土地が広くて'熱心に働けば食べ物ぐらいは出る所'が満州だったという。彼らは 韓国にも行って来た。韓国訪問の所感を聞くと、"韓国に住みたい。暮して見れば楽ではなかろうが、英語をとても沢山 使うから言語の疎通が出来なかったよ"と言った。

この村の慶尚道人のうち、安東人が70%にもなるという言葉を聞き、ここでも安東'両班'らが政治をしているのかと聞 いてみた。 "日本の奴らがいた時、みんなみすぼらしい木の家に住んでいたのに、両班もサンノムもあるかね"と言い ながらからから笑う。

ところが民族に対する彼らの自負心は相当だ。韓国のセマウル運動のように心を合わせ、最高の村を築いたという自負 心もあるが、老人たちを敬って隣り同士で助け合う美風良俗を守って来た事は朝鮮族だけの自慢の種だ。老人たちは"この 村で若い朝鮮族が争うことを見た事がない。今も漢族たちが争っても朝鮮族は争わない"と言い切る。この村の漢族は50戸位。 初めには言葉を使う人が必要なので漢族を何戸か受け入れたし、後には党から貧しい漢族を受け入れてくれと要求して来たの で20戸が移住して来た結果だ。

老人たちと話を交わしていると、李ドンボム会計が早く昼食をとって工場見物をしなければと急き立てる。この村の工場 をすべて見ようとするなら半日あっても足りないと言いながら。

村の食堂にはもういつでも豊富な食べ物が調っている。毒々しい中国お酒も例外なしに食膳の上に置かれている。調った食 べ物の半分以上が残ればまともにお客さんのもてなしをしたと信じる中国の習慣どおり、食べ物はそのまま残る。思い切り 飲んで、明日発てばどうなのかという彼らの勧誘を振り切って、老人たちの遊び場であるゲートポール場、子供達が縄跳び しながら遊んでいる小学校、年間600万匹のニワトリを生産する養鶏工場、自動車用ケーブルを生産して長春自動車工場に 納品する部品工場などを忙しく見回る。工場の規模は期待以上だ。養鶏工場は飼料から孵化、生産まで一貫体制が出来て いて、部品工場は従業員200人に年間売上高が3千万元を越す。ただ従業員の85%が漢族ということが心残りだ。ひと月に わずか何百元をもらって働こうとする朝鮮族がいないせいだ。

記念写真を取って後ろ向きになる一行に、李ドンボム会計は村の進入路を130万元を投入して舗装し、民俗村を作るなど の構想を現実化させ、阿拉底を朝鮮族集中村として必ず育てたい念をおす。若い指導者たちのこのような意欲に、阿拉 底には相変らず脈があると信じたくなる。

(嶺南日報)


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