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[特集] 青島に立ち上がる我が民族の新たな基盤(2)

骨組みを作りつつある朝鮮族社会

ある民族がある地域で相対的に独自の社会を構成しようとするなら、政治、経済、文化などの面で 骨組みを作らなければならない。では、青島に進出した朝鮮族の場合はどうか?

経済: 朝鮮族企業と企業人協会

企業はすなわち国力、という言葉があるように、経済を語るにはまず企業を語らなければなるまい。 青島に朝鮮族の企業が一体どれだけあるのかについては、正確な統計がない。 自営業従事者が 13. 2%というアンケート調査が物語るように、零細業者まで含めれば、おそらく数千ヶ所を数えると思われる。 明らかなことは、青島に朝鮮族企業人協会があって、世映玩具有限公司、亜赫公司、クムフン実業有限 公司、トゥダリファーストフード、再一食堂など代表的企業を網羅して会員企業が 170ヶ所を上回るとい う点だ。 1997年、 38の会員企業で出帆した朝鮮族企業人協会は今、李滄区、城陽区、黄島区に分会 を置いている。 企業人協会は対内的には企業のために奉仕し、対外的には朝鮮族社会のために奉仕し 、朝鮮族社会と政府を繋ぐ架け橋の役目まで果たしながら、名実共に青島朝鮮族社会の求心点になってい る。 金ミョンナムを初代会長として、南リョンヘ、黄民国会長へとつながった企業人協会は、青島朝鮮族社会 の運動会、招請公演など多くの行事を主催して来たし、現任の黄民国会長は青島市政協委員として活躍している。

青島の朝鮮族企業は、その業種が多様であることが特徴だ。 もちろん業店の数を見れば飲食業、娯楽業が 一番多いが、玩具、かばん、工芸品、衣類、食品などの加工業、商業、貿易、不動産、印刷、コンサルティン グ、旅行社、インテリア、運送代理など、実に多様だ。 運送代理業を例にとれば、青島に 900社余りの運送 代理業店がある中、韓国人経営が 300ケ所、朝鮮族経営が 30ケ所、朝鮮族勤務者は 300人余りに達する と言う。 朝鮮族は 1994年から韓国企業に勤務する形でこの業界に足を踏み入れたが、去る 2月には 長白山朝鮮族運送協会と言う業種企業人協会を発足するに至った。

朝鮮族の経済活動が活性化するにともない、弁護士業も脚光を浴びている。 朝鮮族企業人協会を網羅 して 50社余りの韓国企業の法律顧問を引き受けている山東興田弁護士事務所の金玉(35歳、中国政法 大学)弁護士を含めて、今 15人の朝鮮族弁護士が同胞企業の合法的権益を保護するために東奔西走している。

教育、文化: ‘沿海新聞’と朝鮮族学校

言論のない社会と言うのは想像することも出来ない。黒龍江新聞社山東支社は山東地域でのハングル 版新聞 ‘沿海新聞’を発行しながら、青島の同胞社会で朝鮮族企業人協会とともにもう一つの求心点の 役目を果たしている。

1997年 3月、南イルジュ、朴ヨンマン記者を派遣して ‘黒龍江新聞’を発行し、 ‘青島特集 ’ などを編集することから始まった青島支社は、 1997年 5月には月2、3回で ‘沿海特 集’ 8面を発行(5000〜1万部)、2001年6月からは月 3回 12面を発行し、青島を中心 に沿海各地に発行(1万 5000部)するまでに至り、今は山東にある朝鮮族と韓国人を対 象に週 24〜36面発行する内容が豊かな週刊紙に変身した。 山東支社は新聞を通じて国 の該当政策など各種の情報を伝達し、同胞社会にスポットライトを当てながら同胞社会の健 全な発展に寄与した。 一方、支社は当地の政府と協調して外資誘致懇談会などの活動を活発 にするなど、当地の主流社会に深く入り込むことにより、当地の党と政府から厚い信任を得、 これを土台として同胞社会と政府を繋ぐ架け橋の役目をしながら、同胞の権 益を代弁するために力をつくして来た。 青島同胞社会のほとんどすべての行事が支社の 主催または協力で進められたといっても過言ではない。 1997年12月に設立され た企業人協会が、支社の積極的な支援の下に設立(秘書長、副会長歴任)した上、そ の後に設立された朝鮮族老人協会も支社の参加の下に成立した。 古い生活の家二軒 に住み、そこで寝食しながら働き、一年に履物を何度も履き替え、足で走り ながら青島で言論の新しい歴史を打ち立てた彼ら、彼らが歩いた創業の道はやはり 青島進出の同胞たちが歩いて来た創業の道と脈を一にしている。

朝鮮族小学校の設立は青島朝鮮族社会の形成において重要な意義を持つ仕事と言わなければ ならないだろう。 2000年 8月に設立して 12人の学生でスタートしたこの学校は、 今、26人の教職員に 170人余りの学生を持つ学校に成長した。幼稚園と小学校 6学年が 全員寄宿制を実施しているこの学校は、青島市教育局の公式許可を受けた民営学校として、 実情に合わせて朝鮮語教科書と漢語教科書を併用しながら最高レベルの教育を目標に 最善をつくしている。延辺・龍井で教鞭を取った金チャンウン校長は、まだ運営資金が乏しい 状態だが、学生が沢山来て、また同胞社会の支持がある限 り、大丈夫だと自信ありげに語った。 まだ多くの学生たちが漢族学校に通っ ているが、少なからぬ親が子どもたちが民族語を失わないことを願っているので (アンケート調査によれば 76.6%)、 学校の発展は時間の問題と彼は付け加えた。今や、より 多くの人々が戸籍を移すことによって、公立学校の設立も可能ではないかと言うと、金 校長は、そうなってくれれば何も言うことはないと答えた。

この外、青島の開放が加速化するに伴い、中国海洋大学、青島大学などの大学で次々に 韓国語学部を開設しており、この二つの学校だけでも今 29人の朝鮮族教員 が招聘され、教鞭を取っている。 これは青島の朝鮮族社会での知識人層の形成を意 味するもので、将来、同胞社会に大きな影響を及ぼすことになるだろう。

青島テレビ放送局で一日 10分とはいえ、朝鮮語ニュースを流すようになったこと も、青島での韓国人、朝鮮族社会の発展情況を示すものだといえよう。

朝鮮族社会の重要な表徴: 老人協会

老人の欠けた社会は完全な社会とはいえない。 青島老人協会によれば、青島に 6000 人位の老人がいると推定される。 青島市朝鮮族老人総協会の傘下に 19の分会があり、 ほとんどすべての区域(市)を網羅している。会員総数は 900人余り、その中で、李滄区の4つの 分会に 200人余りがいる。 各 分会は各々活動室を持っており、毎年、文芸競演と運動会を開催し、青島市の関係 行事にも招請されて公演をすると言う。去る 5月 8日に第7回老人協会運 動大会が朝鮮族学校で開かれたが、 700人余りが参加、 そのうち運動選手が 446人だったとは、 ただ驚くばかりである。

青島にそのように多くの老人たちが行っているということは、それほど多くの完全な家族 が移動したということであり、また老人たちがそれほど膨大な協会を構成しているという事実 は、彼らが家庭を脱して当地社会に進出しているということを示している。 これは青島朝鮮族の社会形成の重要な表徴だと言える。

老人総協会・金ジェリョン会長によれば、在青島の老人のうち80% が農村から来ており、大部分が子どもに付いて来ており、個別には働きに来てたものの 年を取ったので休んだりアシスタントの状態になったという。そし て会員のうち 80% 位が自宅を持っていると言った。 協会の何人かの責任者たちの生活状態を見てみよう。

金ジェリョン(総会会長、66歳): 撫順、大学専科、中医。96年に青島に来た。4人 兄 妹のうちで 3人が青島に来た。 1人は会社出勤、1人は電子会社経営。 1人は編物工場経営。 住宅 7軒、車 3台。

金ウォン(総会副会長,62歳): 五常、大学専科、医師。 1998年に青島に来た。2人の息子のうち 1人はオートバイカーセンター経営(月収 2万元位)、1人は韓国会社に勤務。 住宅 1軒、 店2軒。

李ヨン(李滄区分会副会長、61歳): 吉林、 中学校長歴任、 98年青島に来た。 3 姉妹 (1994〜1995年に青島に来た)の中で、 2人は韓国会社に勤務、娘 1人はビニール袋工場を経営 (月収 10万元)、 嫁が印刷工場を経営(月収 2万元)。 住宅 6軒、 乗用車 3台。

ドン・クムジャ(李滄区分会副会長、 60歳): 海林、初等中学、 農民、1994年青島 に来た。 3女、 1人は食堂(現在、海林に工場運営、北京に店)、 1人は服屋、 1人は新しい店。

以上にて在青島朝鮮族の一端を覗うことはできるが、彼らはおそらく “中産階層”と見 なければならないだろう。  

(黒龍江新聞 パク・ヨンマン、ナム・イルジュ、ホン・マンホ記者 2005年7月4日)
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