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目次][概要][東北地域の回族



回族

回族は、中国におけるイスラム教を信仰する民族集団の一つです。1990年の人口は861万2000人です。 回族は、中国各地に「大は分散、小は集中」(大規模な集落は分散し、小規模な集落は集まって居住する)と称されるような分布状態 で居住していますが、清真寺と呼ばれるモスク(イスラム教寺院)が居住地の中心に建設されています。つまり、清真寺が回族の生活の 中心的な役割を担って来たのです。

自称はホイで、中国ではイスラム教徒を回回(ホイホイ)などと称しています。その理由は回鶴(かいこつ)と呼ばれてきたウイグル族が、 イスラム教徒に改宗したことに因んでいるとされます。その後、イスラム教徒は回回教徒、略して回教徒と呼ばれるようになりました。

回族の分布は広く、居住しない省や自治区は見当たらないといわれていますが、とくに寧夏回族自治区を中心に、甘粛省、河南省、河北省、 福建省、雲南省などに広範囲に分布しています。そのうち西安市を境に以西を西北回民、以東を内地回民と称しています。西北回民は内地への 移住者の供給地であるとともに、イスラム教国の宗教改革運動を直接受ける位置にあります。これに対し、内地回民のほうは漢文化を受け、 外見上漢族と区別がつかない人々も多く存在します。東北3省にもかなりの数の回族が住んでいます。

彼らの主要な職業としては、都市部においては飲食業、小売業、金融業などの分野を中心とした商業を独力で行っている人々が目立ちますが、 農村部では、他の民族と同様に、農業に従事する人々が大部分を占めています。 回族は、1000年を超える長期間にわたり、中国各地で生活を続けて来ました。そのため漢族と混血した人々も多く、身体的特徴や、風俗、 文化などに関しては、すっかり漢化したように見えますが、宗教観については一貫してイスラム教によって来ました。 このように、回族は非常に民族意識に目覚めた集団でした。


明王朝とそれにつづく清王朝時代においては、漢族は、漢化されたイスラム教徒や新彊地区のトルコ系イスラムシュウホイ教徒を、ともに 回民と呼びましたが、前者を漢回または熟回、後者を纏頭回あるいは生回と、それぞれ異なった名称で呼ぶなどして区別しました。 回族は習慣として、豚肉を食用としません。そのため、食用としては羊肉があるいは牛肉が中心となります。また、酒などアルコール類 の飲料も禁止されているので、回族が経営している食堂では酒類を提供しません。さらに、男性のほとんどが白あるいは黒色の縁なし帽 を被っています。これらの回族に共通した習慣は、すべてイスラム教の信仰に由来するものです。

回族と漢族・満州族との間では、たびたび緊張した関係が見られ、抗争が生じたこともありました。その例として、太平天国の乱(1851〜64 年)に呼応して、主として雲南省の回族が反清王朝の戦いを起こし、一時大理に政権を樹立したことなどがあげらます。 イギリス人などの欧米人は、このような雲南省に居住する回族が起こした反乱をパンセーの乱と称しました。これはビルマ(現ミャンマー) などでは、回族がパンセと称されたことに起因しています。とはいっても、チベット族やウイグル族などのように、回族は人口の大半が 特定の地域に集中して居住しているわけではないため、これらの両集団との間に見られるように、非常に大規模な紛争となるまでには 至っていません。しかし、1975年雲南省で発生した事件、あるいはウルムチ事件などでは、回族の反漢族感情をさらに激化させるもの でした。なお近年少数ではありますが、大都市やその周辺部に居住する回族の若者の間には、イスラム教の信仰を放棄する人々が増加する 傾向が見られます。そのため、従来では見られなかったことですが、回族の間で、互いに意思の疎通を欠くことが多くなって来ている とされています。 [参考:『中国少数民族事典』(東京堂出版 2001年)]

歴史

13世紀以降、中国に移住してきたトルコ系・アラブ系・イラン系のイスラームを信仰する者、及びその子孫を中核に、《漢族との雑婚が進ん だ=混血》の結果、形成された民族集団です。言語は、方言はあるものの、漢族とほぼ同じ、外見も漢族とほぼ同じです。 もともと唐宋時代の西北であった“大食”と言う郡の民族を源として発展して来ました。元の時代の第二番王“元世祖”は大理国 を攻略・占領し、回族の“賽典赤”と言う人を雲南省の官房長官の官位に任命したため、回族は大量に雲南省に移住しました。 長期にわたり、漢族及びその他の民族と一緒に雑居したため、回族の身形、着飾りは当地の各民族と基本的に一致することになりました。 例えば、廸慶州の回族は チベット族とよく似ています。西双版納(熱帯雨林のある観光地の名前)の回族の婦人は きつい袖の上着を着て 下に同じ形状のスカートを穿き、タイ族の婦人によく似ています。白族地区に居る回族は 白い服装を着ます。漢族が居る地区に住む回族は 漢族式服装を着ます。紅(結婚祝い)、白(老人が世を去る)事、或は祝日には 男性は 白くて小さい帽子を被ることが大好きです。 生活習慣においては 回族が固有の伝統と回教の教規を守ります。それに 衛生のことに気を付け、豚肉を食べないのです。

回族の人は 主にイスラム教(回教)を信じます。集中し居住するところには ほとんどイスラム教の寺があります。 回族は、モスク《清真寺》を中核として居住しています。 周辺には、回族が経営する「清真食堂」または「清真菜館」、病院(回民病院)が必ずあります。 学校(回民学校)のあるところも少なくありません。

信者は、男性は《清真寺》、女性信者は、女性信者専用の《清真女寺》へ礼拝に行きます。 一日の礼拝は5回ありますが、全ての礼拝をモスク 《清真寺/清真女寺》で行う信者は少ないようです(礼拝はどこでやっても可のため)。

女性信者専用の《清真女寺》は《清真寺》の敷地内にあったり、少し離れたところにあったりします。 中国全土では2万3000カ所あるとされますが、徐々に増えているそうです。 《清真女寺》がない地域では、《清真寺》の礼拝所内をカーテンなどで仕切って使っています。

モスク《清真寺/清真女寺》には、アーホン(Akhwund)と呼ばれる宗教指導者が常駐しています (清真女寺は女性のアホーンに限られる)。 大きいモスクには複数おり、最高位はイマーム(伊瑪木/導師)と呼ばれます。 アホーンは、宗教的指導の他に、人生相談やもめ事の 解決にあたります。ただし結婚式に立ち会うことは、ほとんどありません。 回族の子供の名前の命名を行ったり、故人の命日に、 クルアーン(古蘭経)などを詠んだりします。信徒は 普通 “ムスリン”と呼ばれます。

雲南省に居る回族は 主に 三つの祝日があります。それは精進落ちの祭日、コルバン祭日、聖の祭日です。 すべての祝日は回族がイスラム教を信じる事と 緊密な関係があります。  

●誕生時に「経名」と呼ばれるムスリム名を付ける(ムハマンド=穆罕黙徳、など)。

●結婚式は、結婚の事実を政府に登録するのみ(清真食堂などで会食を行うのみ)。

●信者が亡くなると、すぐにモスク《清真寺/清真女寺》へ運ばれ、追悼式を行い、死後3日以内の午前中に、 箱子という遺体を運ぶ箱に入れられて、遺体のみを、メッカ(麦加)の方向に向けて埋葬(土葬)される。 回族の墓石には、漢字とアラビア文字が併記されている。

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文化大革命時、激しい宗教弾圧があり、紅衛兵組織(毛沢東派)によってモスク《清真寺/清真女寺》は破壊されたり 閉鎖されたりしました。イスラームの教義では、信者は土葬に限られますが、文革時は 火葬にされたこともありました。宗教指導者(アホーン) は弾圧され、処刑された者もいます。1980年代になり、宗教活動は再開されました。

中国政府は「民族区域自治」政策を行っています。回族の場合は、寧夏回族自治区と、 他に2つの自治州・約10の自治県があります。
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