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74.延辺人民民主政権の建立

延辺人民代表大会挙行。延辺行政督察専員公署を結成、民主政権建立


▲ ソ連紅軍とともに東北に帰って来た東北抗日連軍の将校・姜信泰(左)、 周保中(中)、金光侠 (資料写真)

延辺人民民主大同盟

“ソ連紅軍が延辺に進駐した後、まもなく ‘間島臨時政府’が立てられたが、主席 は満州国の間島省副省長だった者で、政府の職員と言うのはいずれも満州国間島省の 役所で働いた者たちでした。 すると売国の敵、スパイ、警察などの残余勢力が再生 の希望を抱いて集まって来始めました。 こんな情勢で中共延辺委員会は、池喜謙 と姜東柱に満州大同盟組織準備事業を任せました。 1945年 10月 27日、延辺 労動者・農民・青年・女性総同盟 3次委員会拡大会議が開かれました。 会議では 総同盟を延辺人民民主大同盟に再組織し、池喜謙を委員長にしてチョン・サン グンなど 27人を委員にした執行委員会を構成しました。”

延辺人民民主大同盟設立についての延辺大学・崔ホンビン教授の力説だ。

“ソ連赤い軍隊歓迎委員会”が解体された後、赤い軍隊司 令部の指示に従ってその年 8月 24日、池喜謙、 姜東柱、朴ドンウンなどが龍井、 延吉、朝陽村等で前後して労動者同盟、農民同盟、青年同盟、女性同盟 を結成した。 革命的群衆団体をさらに団結させて統一するた め、 9月初に多くの地方群衆団体の代表 20人余りが龍井に集まって延辺労動 者・農民・青年・女性総同盟を結成することを交渉・ 討議して、 池喜謙、朴根植、南昌洙などで総同盟準備委員会を構成し、準備活動に取り掛 かった。

9月 19日、延吉で延辺労動者・農民・青年・女性代表大会が開かれた。 延吉 と和龍二県の代表だけでも 600人余りにもなった。 会議では池喜謙、朴根植、 兪日煥、姜東柱、南昌洙、チョン・サングンなど 30人の委員を選び、姜東柱を委員長 にした延辺労動者・農民・青年・女性総同盟執行委員会を構成した。

10月20日、中共東北委員会の決定によって東北抗日連軍延辺分遣隊の姜信泰を書記 (軍事部長兼職)に、姜東柱(組織委員兼職)、池喜謙(宣伝委員兼職)、全允弼、 朴根植らを委員にした中共延辺委員会が建立された。東北委員会は民主大同盟を東 北で群衆を組職・動員する主な形式にするようにと延辺委員会に指示、延辺委員会では民主 大同盟が労動者・農民・青年・女性総同盟よりさらに広範囲な群衆性を備えたことを認めた。 同時に延辺委員会宣伝委員の池喜謙に民主大同盟組織準備活動を任せた。

10月27日、延辺労動者・農民・青年・女性総同盟第3次委員会拡大会議が開かれ た。会議では延辺労動者・農民・青年・女性総同盟を延辺人民民主大同盟に再組織 して、デモクラシー中央集権制の原則によって池喜謙を委員長に選び、チョン・サングンら 27人を委員にする執行委員会を構成した。 会議では民主大同盟宣言と綱領を討論、採択した。

延辺人民民主大同盟が建立された後に続いて各県では民主大同盟本部を設立、区と村には 民主大同盟支部と小組を置いた。延辺鉄道組合も延辺人民民主大同盟総部に 帰属した。 1946年 2月までに、各民主大同盟組織建設事業が終わったが、同盟員総数は 14万 5000人に 達した。 なかでも朝鮮族が 94%余りを占めた。

1946年 7月、中共東北局の決意精神によって民主大同盟の幹部と指導者たちは、農村の土 地改革工作隊と民運工作隊に参加した。 都市と農村の民主政権が普遍的に建立される と、延辺人民民主大同盟はその歴史的使命を果し、 1946年 8月に解体された。

民主政権の建立

1945年 11月、中共中央東北局と吉林省工作委員では、延安幹部・雍文涛らを延辺 に派遣した。 この時から延辺の民主政権の建設が実質的に始まった。 1月 15日、 東北局と吉林省工作委員会の指示精神に従って、中共延辺委員会を中共延辺地方委員会に変 えた。 延辺地方委員会委員は雍文涛、姜信泰、朴一禹、ジン・タン、ウン・チォン、ク・フェクィら 7人で、雍文涛が書記を引き受けた。 地方委員会 は延吉、和龍、琿春、汪清、安図など 5つの県を管轄した。 地方委員会では 幹部を各県に派遣し、県党委と人民政府を建立することに決めた。

11月 15日、中共延吉県委員会と延吉県人民政府が設立されたが、雍文涛が書記 を兼ねて王プムイルが県長を引き受けた. やはり 11月 15日、延安幹部ジン・ タン、ジュ・ケムン、ソ・チュンソンらが汪清に派遣され、中共汪清県委員会を 新しく組職, ジン・タンが書記を引き受けた。この日、汪清人民民主大同盟代表大会を開き、 汪清県臨時政府を撤廃、新しく汪清県政府を建立、ジュ・ケムンが汪清県県長に 推薦された。 やはり 11月 15日、延安幹部のウン・チョン、チン・ホンジョな どが和龍に行き、中共和龍県委員会を設立、ウン・チョンが書記を引き受けた。 11 月 19日、初の和龍県政務会議を開催、和龍県臨時政府を解消し、 新しい和龍県県政権を成立させた。臨時政府県長キム・ジョンケを新しい県長に推薦した。

11月 20日、延辺地方委員会の指導の下、延辺人民代表大会を開いて民主政権建設事業の第一歩 を踏み出した。 大会で池喜謙が大会準備の経過報告をし、無記名投票方式で 延辺政務委員会の委員、政務委員で構成された延辺行政督察専員公署 を結成した。 政務員委員にクァン・ソンジョン、 ドン・ゴンイルな ど 3人が選ばれ、なかでも姜信泰、林啓学、池喜謙、朴根植、姜東柱 などが朝鮮族だった。 クァン・ソンジョンが専員に、ドン・ゴンイルが副専員に選ばれた。 延辺政務委員会では間島臨時政府を撤廃した。 大会では日本人 処理問題、間島市改称問題、汪清県反動分子に関する問題と満 州国の時期に建立した忠魂碑・ 記念碑破壊問題など 9つの議案を採択した。大会ではまた “中韓民衆に知らせる文”を発表した。

11月21日、延辺行政督察専員公署 第1次政務委員会が開かれた。 ドン・ゴンイル、リュウ・ペンリョン、林啓学、池喜謙、朴根植、姜東柱、ハン・ウンスンなどが会議に参加した。 政務委員会会議では “10大施政方針”を採択、公布した。

この施政方針は “延辺行政督察専員公署布告”に 専員公署の成立を熱烈に擁護し、施政方針を正しく貫徹して延辺を立派に建設しよ うという内容の “偉大な発端”という社説が発表された。

時を同じくして、延辺支委と各県党政指導機関では、村級選挙活動を試験 的に実施した延辺専員公署と各県政府では各層が選挙事業の幹部養成班を作り、 政府選挙事業の幹部 2878人を養成した。 選挙工作隊は先 に 4つ街頭、89の村にて村級選挙事業を試験的に実施した。 一定期間の実施により 経験を得た後、普遍的な村級選挙と民主政権の建設事業を進めた。そして 1949年 3月に、延辺全体の村級選挙、民主政権の建設事業がほとんど終わるように なった。 引き続き各県で区級、県級人民代表大会を開き、区、県人民政府を 建てた。かくして県、区、村 3級の人民政権の建設事業を成功裏に達成した。

1945年 11月 23日、中共吉林省事業委員会の批准を受け、延辺軍分区を設立、姜信泰 が司令官を引き受け、雍文涛が政治委員を引き受けた。 下に 4個団を 置いた。 第1団団長は朴洛権、第2団は朴根植が引き受 けた。 12月 8日、文正一が率いる朝鮮義勇軍教導隊が延辺に到着した後、延辺軍分区 は 6個団に拡がった。 兵力は 1万 2000人余りに達した。

12月になり、延辺行政督察専員公署は、延辺公安局を設立す ることを決定、ジュン・フンムを局長に任命した。

12月 5日、姜信泰は、吉東保安軍司令官の身分で琿春に行き、 琿春県県長・韓ソクドとともに満州国警察を基礎に組織されている 県公安局部隊を解消し、吉東保安軍琿春警備大隊を作った。 李リムスが大隊長を引き受け、韓ソクドが政委を引き受けた。 下 に 8個中隊を置いたが、800人余りの隊員を持っていた。

12月 8日、 文正一が率いる朝鮮義勇軍先遣部隊 30人余りが延吉に到着した。 先遣部隊はクァン・ソンジョンなど専員公署の指導者たちの歓迎を受けた。 延吉に朝鮮 義勇軍弁事処が設立され、文正一が主任に任命された。

12月 12日、朝鮮義勇軍副司令官・朴一禹が率いる数百人の朝鮮義勇軍第5支隊が敦化を経て 延吉に到着した。
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