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53.東北抗日連軍第1路軍建立

河里会議で朝鮮人工作、回復することについての決議採択。中国革命に参加している朝鮮族の二重使命提示


▲ 金日成の <祖国光復会 10大綱領> 親筆原稿(資料写真)

祖国光復会結成

“祖国光復会”の創立について、金日成回顧録(第4冊) “世紀と共に”ではこのように書いている。

“4月末にすべての準備を終えた私たちは、創立場所を東崗樹林に内定して、そこへ場所を移した。招請 状を受けた代表たちがどうにかこうにかしてほとんど集まって来たが、必ず参加すると返事まで送った南満の全光 (呉ソンリュン)が大会が終わるまで、いかなる事情があったのか、来ることができなかった。 国内代表 では康済河の組職ラインから碧洞から天道教代表と農民代表が来て、穏城地区の党組織により教員代表と労動者代表 がそれぞれ一人ずつ来た。

歴史的な祖国光復創立大会は、 5月1日から始まった。 花は満開ではなかったものの、山全体に春が溢れていた。

会合を控え、代表たちは全員が激情と興奮でときめいていた。

通名で東崗会議と呼ぶその会議は、15日間も進行した...”

創立大会で金日成が反日民族統一戦線を力強く展開し、抗日武装闘争をより一層拡大させなければならないという内容の 報告を述べた後、 “祖国光復会10大綱領”(金日成作成)と “祖国光復会創立宣言”(金日成作成)を大会審議に付した。 代表たちは慎重な討論を重ねた後、綱領と宣言に対して全幅的な支持と賛同を表示した。 “祖国光復会10大綱領”は次のとおりである。

1.朝鮮民族の総動員により、広範な反日統一戦線を実現することで、日本帝国主義の統治を転覆し、真正なる朝鮮人民政府 を樹立すること。

2.在満朝鮮人たちは朝中民族の親密な連合として、日本及び走狗 “満州国”を転覆し、中国領土内に居住する朝鮮人の真 正な民族自治を実現すること。

3.日本軍隊、憲兵、警察及びその走狗たちの武装を解除し、朝鮮の独立のために真正に使える革命軍隊を組織すること。

4.日本国家及び日本人所有のすべての企業、鉄道、銀行、船舶、農場、修理機関及び売国的親日分子の全体財産と土地を 没収し、独立運動の経費に充当し、一部分では貧困な人民を救済すること。

5.日本及びその走狗たちの人民に対する債権、各種税金、専売制度を取り消し、大衆生活を改善して民族的工・農・商業を 障害なく発展させること。

6.言論、出版、集会、結社の自由を前提として、日本人の恐怖政策実現と封建思想奨励に反対し、一切の政治犯を釈放すること。

7.両班、常民その他の不平等を排除して男女、民族、宗教など差別のない人倫的平等と婦女の社会像待遇を向上して女性の 人格を尊重すること。

8.奴隷労動と奴隷教育の撤廃、強制的軍事服務及び青少年に対する軍事教育に反対し、我々の言葉と文により教育して 義務的な無償教育を実施すること。

9.8時間労働制実施、労動条件の改善、賃金の印象、労動法案の確定、国家機関から各種労動者の保険法を実施し、失業 している勤労大衆を救済すること。

10.朝鮮民族に対して平等に待偶する民族及び国家と親密に連合して、我が民族の解放運動に対して善意と中立を表示する 国及び民族と同志的親善を維持すること。

5日間の討議を経た後、金東明(金日成)、李東伯、呂運亨を共同発起人として祖国光復会創立宣言が採択され た。金日成が祖国光復会会長に就任した。かくして反日民族解放闘争の歴史で初めての常設的な反日民族統一戦線が誕生す ることとなった。 祖国光復会の創立は、革命の群衆的地盤を強化する事業で、画期的な出来事になった。 祖国光復会が 創立されることで反日民族統一戦線運動は、抗日武装闘争と密接に結合され、より組職的、体系的に早く発展するようになり、 すべての反日勢力を民族解放のための闘争へ力強く組職動員することができるようになった。 過去の反日会、農民協会、婦女会 など各種反日団体の朝鮮民族を祖国光復会の周囲に集め、反日に総決起させるようにした。 綱領には中朝民族と日本帝国主義者 との対立が主な対立となった状況の下、身近に二つの任務を背負った東北朝鮮族人民が必ず解決して履行しなければならな い政治、軍事、経済、文化、対外政策などの諸方面の問題がはっきりと提示され、一方では中国革命に参加しなければならず、 他の一方では朝鮮の独立のために争わなければならない中朝共同抗日武装闘争の政策も具現化された。

“祖国光復会は民族主義勢力を含めたすべての反日勢力は一ヶ所に団結するようにするために立てられたものでした。 過去の階級闘争を捨てて平和、民主主義の価値の下に一切の抗日勢力を取り込み、全民族が抗戦に飛び出すためでした。 漢族たちは救国会周りに団結して抗日に飛び出して行きました。”

祖国光復会創立について延辺大学歴史学教授・朴昌c先生はこのように指摘した。

祖国光復会が創立された後、金日成は権永壁ら 30人余りの政治工作員を長白山一帯の農村に派遣して祖国光復会を組織する ようにした。そして 7月、祖国光復会長白県委員会を結成、李悌淳が会長を、チャン・チュンヨル、黄クムオクがそれぞれ 青年部長、婦女部長を引き受けた。1937年の初め、長白県祖国光復会は傘下に上崗区委と下崗区委を置いた。

上崗区委傘下には9つの支会を置き、下崗区委傘下には8つの支会を置いた。支会傘下には 49の分会を置き、会員は数千名に達した。

金川河里会議

4ヶ月余りの苦しい旅程を経て、東北抗日連軍第2軍主力部隊である第1師と第3師は安図、敦化、撫松、臨江、蒙江等を 転々としている途中、1936年 6月、遂に南満の金川県河里抗日遊撃根拠地に着いた。

7月 4日、 中共南満特委では金川河里の後方基地である恵家溝密営で 50人余りの代表が参加した第2次党代表大会を行った。 東満特委書記や第2軍政委である魏拯民が一個連の兵力を率いてちょうど河里に到着し、会議に列席するようになった。 そうでなくても南満党組織と第1軍に共産国際第7回代表大会の精神と共産国際中共代表団の指示精神を伝達しようとしていた 魏拯民は、直接大会で上記の精神を報告するようになった。代表大会で第1軍軍長・楊靖宇が軍事報告を、南満特委書記・ 李東光(朝鮮族)が党の地方事業報告をした。大会では中共南満特委第1回代表大会以来の経験と教訓を総括して、今後の活動 方針と策略を制定、統一戦線の活動を強化して党組織と抗日連軍を強固にして発展させる問題を討議した。 この会議では また、朝鮮人工作を回復することに関する決議が採択され、朝鮮族は日帝を打倒した後、自発的に東北に残って自治を実 現することもでき、朝鮮解放と独立に身を投じることもできると明確に指摘した。

中共南満党代表大会が閉会された何日か後の 7月 7日、魏拯民と楊靖宇は金川河里にいる抗日連軍第1軍密林の野営地で東 南満特委及び第1、第2軍の主な指導幹部連席会議を召集した。 会議には楊靖宇、魏拯民、李東光、リュウ・ジャゴン、 王仁斉など 10人余りが参加した。 会議で魏拯民が共産国際第7回代表大会の精神と共産国際駐在中共代表団の満州省 委を撤廃し、東満、南満、吉東、松江の4つの省委を組織し、抗日連軍を “路軍”として編成することについての指示精神 を伝達した。 会議で楊靖宇が東北抗日闘争の新しい情勢を分析し、東北地区の中共党と抗日連軍部隊の目前の戦闘任務を提 示した。 会議では共産国際駐在中共代表団の指示精神に基づき、延辺地区と東辺道地区で活動している第1軍と第2軍を合併 して東北抗日連軍 1路軍に再編する問題と、二つの地区の党組織を合併して東南満省委を設立する問題を重点的に討論した 。延辺地区の抗日遊撃根拠地は既に敵方によって破壊され、第2軍の主力も既に南満に移動して来た状況だ。 これは 1、2軍 の合同作戦と共産党の統一指導にとって堅固な基礎となった。そして会議では東南満党組職を合併して中共南満省委(あるい は中共南満党組織を合併して中共南満省委に再組織することを決めた。 魏拯民が中共南満省委書記に選ばれた。魏拯民、 楊靖宇、王徳泰、李東光、李学忠、゙亜范、金日成、伊俊山、安イファ、周樹東、陳翰章、王潤成、宋鉄岩、 呂伯岐、全光、王仁斉など 16人が省委員に選ばれた。

会議では第1、第2軍を連合して東北抗日連軍第1路軍に編成して統一的な軍事指揮機関である東北抗日連軍第1路軍総司令部 を組織した。 総司令兼政委を楊靖宇が引き受け、副総司令・王徳泰、総政治部主任を魏拯民が引き受けた。 第1路軍傘下に 第1、第2軍を置いて 6つの師を配置した。 元々の第1軍の 1、2、3師はそのままとし、第2軍の 3つの師を 4、5、6師に改称 した。 第1軍軍長と政委を楊靖宇が兼職、政治部主任を宋鉄岩、参謀長を安光勲が引き受けた。第1師師長に 程斌、 政治部主任に侯国臣、参謀長に李敏煥、第2師師長兼政委に゙国安、参謀長に李希敏 、第3師師長に王仁斉、政委に周建華、参謀長に楊俊恒が任命された。第2軍軍長を王徳泰、政委 を魏拯民、政治部主任を李学忠、参謀長を劉漢興が引き受けた。 第4師師長に安鳳学、政委に周樹東、参謀長に朴 徳范が任命された。 下に 3つの団を置いたが、第1団長に崔賢、政委に林水山、第2団長に畢書文、政委に呂伯岐、第 3団長に郎華哥、政委に周樹東が任命された。第4師師長に史忠恒、政委に王潤成、参謀長に陳翰章が任命された。 下に 3つの団を置いたが、第4団長に侯国忠、政委に王潤成、第5団長に方振声、政委に王松柏が任命された。 第6団は団長 、政委を決めずに直接指導する事にした。 第6師師長に金日成、政委に゙亜范が任命された。下に 4つの団を置いたが、第7団長 に孫長祥、政委に金在範、第8団長に銭永林、政委に汪振亜、第9団団長に馬徳全、政委に金サン ホ、第10団長に徐ハクチュンが任命された。 2軍の兵力はおよそ 3000人余りになったが、朝鮮族が大多数を占めていた。

河里会議では東北抗日連軍第1路軍の遊撃活動方針と任務を定め、第1、第2軍と各師の活動区域を区分した。第1軍軍部と第 1、第3師は、共産国際駐在中共代表団の熱河、水原に移動して管内の紅軍の同情と合同せよという指示に従って遼南、遼 西へ進軍、広い地域で群衆を発動して遊撃戦を繰り広げることとし、第2軍軍部と第2、第6師は撫松、蒙江、通化、長 白、臨江などの遊撃区で闘争を続けながら、長白山抗日遊撃根拠地を開拓する事にした。第5師は、東満、綏寧地区に残 り、第5軍と合わせて遊撃活動を展開すると同時に、第1路軍と南満省委、第3、第5軍及び北満、吉東党組織との連携を確保する事 にした。
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