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37.東満抗日遊撃隊 (2)

革命的群衆、苦しい環境で抗日遊撃隊を支援。壮大になった遊撃隊、遊撃根拠地の建設に拍車


▲抗日将兵 金日成、崔賢、安吉(左側から)

琿春県遊撃隊

1932年1月、中共琿春県委軍事部の金ハング(金ヒョク)、方鉄山、李グクジンら15人の優秀な青年達は、 大荒溝の深山の中に密林の野営地を立て、別動隊を建立した。隊長は姜錫煥が引き受けた。

1932年2月には烟筒子西溝で10人余りの隊員で突撃隊を建立、姜一武を隊長に推戴した。突撃隊は 敵方の手から武器を奪った他、過去、反日民族主義武装団体で埋めておいた銃20丁余りと多くの弾薬を 掘り出して隊伍を武装した。

別動隊と突撃隊は勇敢かつ機敏に敵の手から武器を奪って自隊を武装した。1932年春、突撃隊員・呉イ ルパ、李ヘボンらは警察分隊の家屋修理に動員された当地の農民たちの中にまじって警察分隊トラックに 入って行った。彼らは働きながら動態をよく見ている途中、水を飲みに入って行くふりをして家に入り、鉄砲を 磨いている警察たちを倒した。李ヘボンは手に掴むやシャベル一本を持って大門に駆け付け、番兵を殴り倒 した。彼らは銃二丁を奪い、大門をすり抜けて来て、山道を駆け上がり、烟筒子に帰って来た。この時から 李ヘボンは“シャベル男”と言う別名を持つようになった。

1932年6月初、県委書記・徐グァンは、10人余りのヨング突撃隊を連れて東拓会社武装自衛隊を夜襲し、 銃10丁を奪取した。そして別働隊員3人は敬信郷会寧峰海関長の宿舍を夜襲して拳銃1丁を得た。

何回も戦闘で武器を確保した彼らは、県遊撃隊を建立する事に決めた。 1932年6月、琿春県委は東満特委 の指示にもとづき、大興溝チョンス洞で党、団の熱烈分子の会議を開き、琿春県遊撃隊の建立を決め、 烟筒子西溝にヨング遊撃隊(嶺南遊撃隊ともいう)を建立した。姜一武が隊長で、李チョング(漢族)が政委 に任命された。初めには1個中隊しかなかったが、金テジュンが中隊長を引き受けた。 7月には隊が2個中隊 に増えると、具ソニルが第2中隊中隊長を引き受けた。冬に至って隊員が130人余りに増え、銃が100丁になる と、遊撃隊は3個中隊に編成された。

琿春県委では救国軍ワン・オクジン部隊に党員と共青団員達を派遣し、統一戦線活動を強化するようにした。 その結果、救国軍13団では、銃14丁を支援した。この武器を土台に、大荒溝でファング遊撃隊(嶺北遊撃隊と もいう)を建立した。姜錫煥が隊長で、朴斗南(後に変節)が政委に任命された。その後、救国軍ワン・オクミョンを 連れて遊撃隊に越えて来ると、彼を隊長、尹ソクウォンを政委に任命した。

1933年1月、遊撃隊に対する指導を強化するために県委では、ヨング遊撃隊とファング遊撃隊を合併して琿春県 遊撃隊を組み合わせ、孔ホンシンを総隊長、朴テイクを政委に任命した。銃隊の下に2個大隊置いて第1大隊長に 孔ホンシン、政委に朴テイク、第2大隊長にシム・ランドン、政委に朴斗南を任命した。遊撃銃隊は130人余りに 増えて琿春県大荒溝、烟筒子、汪清県羅子溝一帯の密林の中で活躍しながら日本侵略者に深刻な打撃を与えた。

遊撃隊が建立されてからいくばくもないうちに、日帝軍は烟筒子“討伐”を敢行した。1932年7月、小船隊隊長・ 黄ジョンヘがヨングで秘密連絡を行っている途中、ヤチムボン付近で100人余りの“討伐隊”を見付け、直ちにヨング に帰って知らせた。遊撃隊はヨングから3里程離れたところで待ち伏せ戦を展開し、敵10人余りを射殺、軽傷を負っ たものの“討伐隊”を撃退させた。同じ時期にヨング遊撃隊のいくつかの隊員たちは、磐石郷にある日本人の畜産 会社の牧場を襲って、牛160余頭を奪い、ヨング遊撃区へ連れて来た。

1933年初春、琿春の土豪たちと悪質地主及び親日商人たちは東興鎮の商人 たちと資金を出し合って東興鎮に兵站品商店を建てる事にして25台の馬車に商 品を一杯積んで琿春を発った。この知らせを手に入れたヨング党委では張スリムに 20人余りの遊撃隊員と赤衛隊員を従えて待ち伏せ襲撃をするように指示した。彼らは ロリョングの裏山に待ち伏せていている途中、親日商人たちの荷を積んだ馬車が 待ち伏せ圏に入って来ると猛射撃を浴びせた。護送隊に付いて来た日本軍兵士隊 6人と満州軍何人かが射殺され、それ以外はばらば らと逃げた。遊撃隊は馬車25台に積んだ被服、靴、小麦粉、塩など多くの物資を奪取した。.

1933年5月、琿春遊撃隊少将崔ジンと朴チャンジュンは隊員たちを従えてソリュック ドで日本軍が護送する20余台の馬車を襲って日本軍9人を殺害し、銃9丁、小麦粉40袋を奪った。

1934年4月6日、40人余りの遊撃隊員たちは塔子溝集団部落の自衛団を夜襲 して副団長シン・ヨンテクを殺害、12丁の銃と千余発の弾薬を得た。遊撃 隊員たちはすぐに自衛団の巣窟を燃やしてしまうと、畜産組合の牛3匹を奪った。その年 5月12日、遊撃隊員たちは反日兵士たちと手を取り合って五道溝集団部落を襲っ たが、この戦闘で傀儡軍4人を殺害、2人を負傷させ、13人を生け捕って銃 17丁と多くの兵站品を略奪した。

琿春県の根拠地の人民は苦しい環境の中で抗日遊撃隊の抗日闘争を熱情的に支 援した。遊撃隊は行く先々で人民の暖かい慰問を受けた。人民 は生命の危険を冒して遊撃隊に食糧を運んでくれたし、生活用品を供給してくれた。ヨング の女性達が朝鮮に渡り、反物、靴、靴下などを買ってキョンシンクに持って来れ ば、そこの青壮年たちは物品を担いで山を超えて遊撃区に運んで行った。遊撃隊の物資 購入と輸送のためにキョンシンク会寧峰の地下工作員金キュソンら何人か同志らは献身的 に活動した。女性達は遊撃隊に服を作って送った。ヨングの7人の 女性は日本軍たちの“討伐”が心配される中、4本の裁縫針にて昼も夜も悪戦苦闘して 遊撃隊員たちの服を作り、必要な時に供給した。女性達は日本人が攻 め寄せれば、裁縫機、布などを山奥や地中に隠しておいて、敵方が帰ればまた掘り だして服を作った。

大荒溝の“3.1”学校では、児童たちを組織して歩哨、連絡、情報収集などのよ うな児童たちの力に合った仕事をした。学校では革命歌曲を歌ったし、毎週土曜日なら ば講演大会を開き、宣伝隊を組織して遊撃隊の戦死たちと病院の負傷兵たちに慰問 公演をした。

1934年3月末、琿春遊撃隊は東北人民革命軍第2軍独立師第4団に編入され、新 しい戦闘任務を遂行した。

延吉県遊撃隊

1932年春、中共延吉県委は党、団の熱烈メンバーの会議を開いて上級の指示精神にもとづき、抗日 遊撃隊を建立して敵の武器を奪取して自隊を武装するように訴えた。かくして依蘭溝、老頭溝、八道溝、海蘭溝等 で突撃隊、赤衛隊を組織して敵方の手から武器を奪取し始めた。

1932年春、依蘭溝少年先鋒隊隊長・朴君が地主から拳銃二丁を奪取し た。延吉ブクサン村の金ホンキュは、局子街東街で歩哨ら立っている傀儡満州国 警察の銃1丁を奪った。大馬鹿溝では公聴団団支部書記リム・ツンイクなど5人が龍井、 朝陽村の近所で地主の家を襲って銃2丁、拳銃2丁、猟銃何丁かを奪った。 7月に公聴団員・金チュンジンは、烟集崗ヨンソン村で傀儡満州国警察 を川に突き落として拳銃を奪取した。 8月に崔賢ら3人はソドンクの地主宅を襲って銃 5丁を奪取した。

こうして略奪した武器を土台として、1932年初夏、延吉県依蘭溝と老頭溝で 遊撃隊が建立された。依蘭溝遊撃隊は隊員30人余りであり、隊長は朴チュン、 老頭溝遊撃隊は隊員20人余りで、隊長は朴スチョルだった。遊撃隊は 1932年夏から初冬までおおよそ20回余りの戦闘をした。依蘭溝遊撃隊は小 烟集崗保安団派出所を襲って銃11丁を奪取した後、7月のある日には小 百草溝で日本軍討伐隊を狙い撃ちし、引き続き樺甸子公安派出所を襲って銃何丁 かを略奪した。 8月には八道溝警察署を襲って日本人の鉱山資本家と 警官たちの財産を没収した。 9月にはユ・ランファン、金ドンキュなどの遊撃隊員たちは 依蘭溝付近で“延吉爆弾”により日本軍軍用トラック3台を襲って 敵20人余りを殺傷、銃20丁余りを奪った。

1932年10月、依蘭溝遊撃隊と老頭溝遊撃隊は連合して延吉県遊撃隊を建立した。

1932年11月、日本の侵略者たちは多くの軍隊を集結して東満遊撃隊に対する第1次“大討 伐”を敢行した。延吉県遊撃隊と赤衛隊は、敵方の“討伐”に対立して勇敢に戦った。 遊撃隊は三道湾大同溝で400人余りの“討伐隊”と二日の間 戦い、敵90人余りを殲滅し、王隅溝に攻め寄せた日本軍と傀儡軍を狙い撃ちし て多くの殺傷者を出した。

延吉県遊撃隊は“我々を保存して発展させ、敵を殲滅して追い出すことができる 戦略的基地”を創設するため、王隅溝、石人溝、三道湾を中心にした布爾哈通河 以北の山間地帯に抗日遊撃根拠地を開拓した。遊撃根拠地を創設した 遊撃隊は、あちこちに神出鬼没して敵方に大きな打撃を与えた。

徐々に壮大になった延吉県遊撃隊は遊撃隊遊撃隊として拡がった。大隊長に朴ドングン、政治委員 に朴キルが任命された。隊員は130人余りだった。彼らは銃60丁余りで、拳銃15 丁、その他原始的な武器と“延吉爆弾”で武装した。大隊の下に4個中隊を置いたが、第1中 隊は三道湾に、第2中隊はブアムに、第3、 4中隊は王隅溝に 駐屯した。遊撃隊員は烟集崗、八道溝、依蘭溝、三道湾 等を出入りしながら遊撃活動を活発に展開し、敵方に打撃を与えた。

1932年3月末、延吉県遊撃隊は東北人民革命軍第2軍独立師第1団に編成された。
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