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23.共産主義思想の温床

学校毎にマルクス主義研究所を設立。青年学生達、民衆の中で反日思想宣伝


▲大成中学校の昔の姿

糸のような雨がしとしとと降る7月11日、龍井第一中学校の校庭は、観光客で混雑した。みんな大成中学校旧 跡を見物しに来た観光客だった。灰色レンガで建築した校舎は、元々の校舎を崩してその場所に全く同じ姿に修 復したものだという。校舎は中間が3層玄関として突き出た2階建てだった。玄関1、 2階の間に“私立大成中学校” という文が力強く刻まれていた。

校舎は東西の長さが36.5mで、南北の幅は8mだった。何年か前まではこの校舎は学校の教務室として使用されており、 崩してまた作った後、今は学校の歴史ショールームになって多くの客を惹き付けている。ショールームには龍井を輝 かせた歴史人物と、大成中学校を含めた龍井の恩真、東興、永信などの学校の歴史を反映した写真と図片が展示されて いた。ショールームに入ると観客たちの前にきれいな女学生解説員が盛んに清らかな声で解説していた。観客たちは女 学生の解説を聞きながら歴史の現場を再現した図片と写真の前でしばしば足を止めていた。

悲壮な歴史の始まりを実感して出て来ると、延辺大学歴史学教授・朴昌c先生の声が聞こえて来た。

“1921年から1924年まで、早期の共産主義者たちによって本格的に展開されたマルクス主義の普及運動は、 青年達の中で激しい炎として燃え上がりました。龍井の多くの学校は革命的青年を養成する中心地になったが、 マルクス主義研究小組などが多くの学校に作られました。特に龍井の大成、東興などの学校は<共産主義の温床>と 呼ばれるまでになりました。”

解説員の女学生は、大成中学校は革命的青年世代を養成する中心地になり、マルクス主義の伝播活動を各地の朝 鮮族地域で活発に展開したと自慢そうに語っていた。

大成中学校

大成中学校は大成儒教の公教会によって1921年に創設された。授業は孔子の思想により指導されており、“四書五経”、 “明心宝鑑”などを主要学科目とにした。孔子の封建倫理道徳は授業の基本内容だった。校舎の玄関右側の屋根裏には “孔子霊牌”をかけ、毎月一日の朝毎に全校生が集まって“尊公儀式”をし、香を立てて“孔子祭”を執り行なったと言う。

大成中学校には外地から来た学生たちが多かったが、彼らの中はマルクス主義の新しい思想を受け入れた進歩的な学生 が少なくなかった。彼らによって多くの朝鮮語のマルクス主義刊行物が学校に伝えられたが、マルクス主義革命思想は秘 密裏に学生たちに伝えられた。1922年、早期の共産主義者たちである李周和、李麟求の指導下にマルクス主義研究小組“ 光明会”が組職され、10人の小組員が運営した。小組員たちは夕方毎に李周和の家に集まり、東興中学校のの教員・鄭重渉 から科学的社会主義理論と民族解放闘争の新しい革命思想についての講座を聴講した。

やがて東興、恩真などの学校の進歩的な学生たちが尋ねて来て、光明会に加わるようになり、研究小組は小組員が30人余り にまで増えるようになった。光明会の活動は公開的に進行されたが、下校の後と日曜日に学校の教室を利用した。休みにな ると学生たちは農村に戻って“冬学”班や夜学班を作り、文盲退治事業を展開した。学生たちは農民たちを集めておいて文 化娯楽活動を展開する機会に、マルクス主義の理論と社会革命思想を熱情的に宣伝し、大衆の中に反日闘争の火種を植えてつけた。

光明会の多くの進歩的な学生たちは、学習を通じて徐々にロシア10月革命の勝利を支持し、中国の“5.4”運動の影響で反帝 国反封建的な新文化運動を創造していった。小組員たちは学校内で封建の迷信を打破し、“孔孟之道”を廃止する一方、民 主と科学を提唱することを主張しながら闘いの矛先を公教会に向けた。

1922年4月1日朝、学校の規則どおり孔子祭を執り行なう時だった。光明会の進歩的な学生たち、煽動を受けた全校学生たち が誰もこの儀式に参加しなかった。学生たちは代表を派遣して学校を改革することを要求した。代表たちはもし学校政府で 要求を聞き入れなければ、最後まで同盟休学をすると宣布した。しかし学校政府では学生たちの要求に回答しなかった。こ れに激怒した学生たちは、校舎屋根の屋根裏に上がって“孔子霊牌”を取り外してしまい、全校学生たちの一様な要求によ って学友会で学校を引受、管理すると宣布した。学生たちは公教会の関係者で保守的な教務主任である林ボンギュを追い出 し、数学教員である玄ギヒョンを教務主任に推戴した。

学友会では教員たちと交渉して学校運営方案と過程案を作成した。彼らは社会科の教授を主として自然科と外国語(英語、日 本語)、漢語を教授し、芸能科としては習字、手工、図画、音楽、体操などの科目を設置した。そして各種宗教儀式を無条件 に廃止すると宣布した。同盟休学して4日ぶりに学生たちは学校教育を宗教と徹底的に分離させ、復校した。

1923年3月、初期共産主義者である金思国が、ロシア沿海州から龍井に来た。彼は方漢民、金正h、李明煕らと力を合せて、大成 中学校の付設学校として“東洋学院”を立て、校舎の階下2階を使い、大成中学第1回卒業生を主として70人余りの学生たちを募 集した。東洋学院では共産主義宣伝部と特別部を設置して、マルクス主義と社会主義理論を基本とする授業内容にして、先進青 年たちを養成した。東洋学院は延辺の初の無産階級民主主義の新しい教育を創始した学校だった。

かくして東洋学院は日帝の目に刺さった刺になった。日本総領事館では、東洋学院を大きな禍根と考え、無くしてしまおうと 画策した。1923年8月、日本は彼らの走狗たちを使い、夜半に学校の庭先に爆弾を埋設しておき、領事館警察を出動させて掘 り出した後、50人余りの学生たちを逮捕する“爆弾埋設事件”をデッチ上げ、結局、東洋学院を廃校にしてしまった。逮捕し た大部分の学生たちは次々に釈放されたが、金正hなどはソウル西大門刑務所に圧送された。金思国と李明煕などはロシアに 亡命するしかなくなった。かくして革命活動が活発に展開された大成中学校は、一時的に革命の低調期を迎えることとなった。

東興中学校

橋を渡って西の方に少し行くと、“龍井第三中学校”という看板をかけた学校がある。皮革工場と垣根一つを隔てたこの 学校が、まさに東興中学校旧跡だ。ついこの間まで“東興中学校”という看板がかかっていたが、今は“龍井第三中学校” という看板に変わっている。

しとしと降る夏の雨にあいながら、学生たちはきれいな傘をさして楽しく登校しており、顔には生気があふれていた。 いろいろな草花で校庭はよく手入れされており、昔の東興中学校の跡とか精神を称える記念碑みたいなものをと捜すことは できなかった。ただ平凡な普通学校の姿だった。

“東興中学校も大成中学校のように1920年代、マルクス・レーニン主義の伝播と革命闘争が活発に展開された学校です。 この学校では林民鎬のような多くの優秀な革命人材を育てたんです。”

東興中学校についての朴昌c先生の紹介だった。

東興中学校は天道教信徒で一時期延辺の反日闘争で有名だった間島国民会司法部長を引き受けている途中、国民会軍・ 安武将軍の副官として活躍した崔翼龍と、共産主義者・朴ジェハ、金ソヨンなどによって1921年10月1日創立、崔翼龍が校 長に推戴された。この学校では1925年12月から新学制を採用し、男女共学を実施、社会主義に反する学科目を廃止して学校内 で革命家も呼んだ。

東興中学校は創立の初期からマルクス主義が伝播され始めた。各地から来た進歩的な学生たちは、マルクス主義団体で発刊した “夜明けの鐘”などの刊行物とマルクス・レーニン主義や社会革命思想を宣伝する出版物を採用して学習した。 1923年、 ロシアの沿海州から来た共産主義者・朴允瑞、朱青松の指導下に“社会科学研究会”、“学生懇親会”などマルクス・ レーニン主義研究団体が結成され、同年、上海から来た林虎などが学校内で宗教と教育を分離する闘争を発動した。 既に先進的な思想を受け入れた教職員と学生たちは、宗教・迷信と封建家父長制思想を打破して科学と民主を提唱するこ とを支持しながら、“教育宗教分離”を主張、学校が宗教に隷属することを反対する闘争を積極的に展開した。

1925年4月には進歩的教員・金ソンホの指導下にマルクス・レーニン主義研究団体である“読書会”が誕生した。

東興中学校の学生たちも大成中学校の学生たちと同じく、マルクス・レーニン主義を学習した後、大衆の中に入って行っ て宣伝活動を続けた。学生たちは休み期間を利用しては農村に降り、夜学を作って子供たちと実学青年及び女性と老人た ちに朝鮮文を教え、革命歌曲を学ばせ、革命の道理を宣伝した。

林民鎬、金セグァンなどは故郷である長興洞(和龍市東城鎮太興村)で“東求青年会”を組織し、革命思想を宣伝しながら 大衆を革命へ誘った。彼らはさまざまな文体活動を展開する形で青年達に新しい思想を宣伝しつつ、闘いの炎を燃やした。 盧昌律は小五道溝(和龍市東城鎮郷)に下がって“青年会館”を立て、マルクス・レーニン主義を宣伝した。

1926年10月、龍井で設立された朝鮮共産党満州総局東満区域局は傘下に4つの支部を置いたが、 支部のメンバーはほとんどが龍井の各中学校の教員たちだった。彼らのうち、朴ジェハ、金ソヨンなどは東興中学校教員だった。
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