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7.間島日本総領事館

延辺を侵略して抗日闘争を押えた巣窟、延辺の豊かな物質資源を収奪した首脳部


▲龍井市 六道河路 869番地に立つ間島日本総領事館跡地

罪悪の赤い垣根

四隅に厳粛なトーチカを配した薄暗い赤い煙瓦の垣根、2mを越えるその赤い垣根に囲 まれている美色の建築物−龍井市六道河路869番地、龍井市人民政府事務庁舎として 使われているこの建築物こそが、悪名高き間島日本総領事館遺跡地である。今は吉林 省重点文物保護単位に指定され、愛国主義教養の基盤として脚光を浴びているが、日 帝治下に苦しんだあの頃、誰が敢えてこの建築物を眺めることができたものか。

1909年9月4日、清を強要して“間島協約”を締結した。日本は吉林から朝鮮会寧に至 る吉会鉄道修築権を獲得し、局子街、百草溝、頭道溝、龍井などを日本に開放する商 業都市に決め、延辺での領事裁判権を得た。 “間島協約”第2条、第7条の規定によ り、その年11月1日、日本は龍井に設置した“統監府間島派出所”を“間島日本総領 事館”に改称し、本格的な侵略活動を敢行するようになる。

3月13日、記者が“龍井‘3.13’反日運動85周年記念大会”の報道のために尋ねた 時、豪壮なこの鉄大門の前で前任龍井市文連主席・金在権先生に会い、間島日 本総領事館の状況を聞いた。

“今ご覧になっているこの庁舍は、1922年11月に焼けた後、1924年に着工して1926年 に竣工したものです。建築面積は2503平米ですが、垣根に囲まれている敷地は4万 2944平米にもなります。領事館は地下一階まで合わせて3階になったが、中間南側が 見ての通り5階で、突出しています。外壁はクリーム色のタイルを付け、屋根はあの ように緑色のペンキを塗ったブリキ屋根です。庁舍の後に地下室に降りる門があり、 反日闘士たちの取り調べをする監獄でした。今は龍井革命歴史展覧館です。間島日本 総領事館は建立されたその日から、延辺地区で悪辣極まりない罪行をやらかしました。 そして抗日愛国志士たちによって2度も燃やされて灰燼になりました。”

間島日本総領事館は、建立初期には代理総領事と副官1人、書記2人、警察署長1人と 16人の警察官だけだった。しかし1920年に韓国統監府から300人の警察を導入し、総 領事館に警察部を置いた。同時に10ヶ所余りに警察署を設置、1928年10月2日には日 本から100人余りの警察を導入、1931年11月には総領事館警察部に“特殊捜査組”を 置き、地下組織の情報を収集して革命勢力を破壊する活動を敢行した。

“1930年11月の調査によれば、総領事館警察部の管轄下に龍井村、局子街、頭道溝、 銅仏寺、老頭溝、八道溝、天宝山、依蘭溝、小子、傑満洞、八道河子、百草 溝、涼水泉子、琿春、黒頂子、琿春頭道など18ヶ所に警察署あるいは警察分署を増設 しました。1935年5月の統計によると警官は646人でした。”

1937年11月5日、日本と傀儡満州国が締結した“満州国の治外法権を撤回し、南満鉄 道付属地行政権を譲渡することに関する条約”によって、その年12月に“間島日本総 領事館”と5つの領事分館及び警察署を撤回した。


▲齊藤と彼の部下達(資料写真)

血生臭い巣窟

庁舍の後の地下室の扉を開くと、狭い廊下が現れる。何メートルか入って行くと、横 に抜けた廊下がまた見えた。廊下の両側には小さな部屋があったが、間房と顧問室 だったと言う。最初の部屋から五つ目の部屋までは革命烈士博物館を設置する予定 で、既に3部屋は出来ている。

政府の持ち物を整備しながら掘り出したという日帝が使った銃刀で取調の時に使った 道具が陳列されている三番目の部屋に入ってみると、なんとなく緊張して心細かっ た。天井にぶら下っている“鎖”は真っ黒な錆びが付いていたが、見るだけで鳥肌が ぞっと立った。どれだけ多くの反日闘士たちの手首や足首がそこに縛られたのであろ うか。どれだけ多くの革命者たちがこの刑場の露と消えたのであろうか。

“1921年から1937年までの16年間、間島総領事館所属の警察署で朝鮮族反日闘士 を2万8245人逮捕したが、なかでも女性が1121人でした。各種の刑罰を受けた人は1万 6949名にもなります。 <9.18>事変以後である1934年一年の例だけ見てもすごいで す。1年間に3635人が逮捕され、その時延辺に住む朝鮮族が42万6000人余りだっ たので、人口比を計算すれば170名のうち1人が逮捕されたことになります。総領事館 でいかにすればボイラー室まで監獄として設置しなければならなかったのでしょうか ?ボイラー室も足らず、今度は清津監獄に搬送しました。 1930年第4次共産党事件の 時には300人余りの革命者がソウル西大門監獄に搬送されて行ったりしました。”

延辺大学歴史学教授・朴昌c先生はまだ発表していない“1907年− 1945年日 本帝国主義の統治下に延辺の朝鮮族人民たちが受けた被害情況”という論文原稿を手 渡し、悲痛に語った。論文原稿によれば、1907年から1945年の間に間島日本総領事館 の指揮下で日本は延辺地区で朝鮮族反日軍民4万名余りを殺害し、3万8000人余りを 逮捕拘留した。そのうちでも反日関係者が1万165人だ。 1920年10月9日から12月末ま で、日本帝国主義者たちが延辺の朝鮮族反日武装闘争を押えるために展開した大討 伐を、朴教授はこの論文で次のように叙述している。

“日本は侵略軍2万名余を動員し、<庚申年大討伐>を敢行した。その大討伐 で日本の侵略者たちは野獣性を余すところなく発揮し、三光政策 (全て殺し、全て焼き払い、全て略奪する)を遂行した。その討伐を人々は<間島 惨変>と言う。 討伐で反日軍民2600人余りが殺害された。”

間島日本総領事館では、1919年3月13日、当地の軍閥と結託して“3.13”反日デモを 弾圧し、1930年5月には延辺の人民が発動した“赤い5月闘争”を弾圧した。 1931年9月20日には、八道河子の小明堂で機関銃で12人の壮青年を殺害し、 死骸を家に入れて火をつけて燃やしてしまった。 1932年4月2日には侵略軍第19師団 が延辺に立ち寄り、“千名を誤殺しようとも共産党を一人も逃すな”と叫び、野 蛮なホロコーストを敢行して4000人余りを殺害した。間島日本総領事館の指揮下で 敢行された罪行はそれ以外にもどれだけ多いのか、数え切れない。

“間島日本総領事館では、龍井に皇民教育を施す初等学校を建 てた後、局子街、頭道溝、百草溝等に分校を増築した。領事館では生活費、 教科書、寮を供給してくれるなどの手段で多くの朝鮮族学生たちを誘引し、引き 入れました。第1期卒業生の中で40%が日本巡査か警察職員になったことだけ見て も、これら の学校で親日分子養成を主眼としたということが分かりますね。事実が証明するよう に、 日本が間島総領事館を設置したのは侵略の勢力を拡大するためでした。 朝鮮人を保護するというのは口先だけで、事実は朝鮮 人を支配するためのもので、朝鮮の殖民統治に脅威を与える反日基地を撲滅する ためのものでした。総合的にみて、間島日本総領事館は、延辺を侵略して抗日武装闘 争を弾圧し、延辺の豊かな資源を収奪する首脳部でした。”

朴昌c教授は激憤して語った。

牛皮一枚の伝説

金在権先生は、間島日本総領事館周辺にはこんな話があると言いながら話し出した。

“己酉年に起こった事だと言います。日本の連中が清政府を踏みつけにして 龍井に総領事館を立てる事にしたんです。ところで作るときには大きく 作って、少しでも中国の土地を多く呑み込みたかった領事達は、悪しき工夫を作り上げたんです。”

日本領事は、局子街にある清・道台府の尹長官に会った.

“長官もご存知のように、我々両国は昔から親善的な隣り同士でした。私が今日、長官 とこのように席を共にして国の仕事を談論できるとは栄光の至りです。”

“ところで何の用事で尋ねて来たんです?”“貴政府で龍井に私たちの総 領事館を置く事にしたではありませんか。”

“それで?”

“領事館員たちが到着したのですが、建てる所がなくて困っているのです。”

“おお、国で承諾したことなのに、建てる所がないなんてとんでもない話です。一体どれだけ 大きな建物を建てるおつもりか?”

得たりとばかり、領事は腹の中で笑いながらも、表面的には取り入るふりをした。

“私たちはもともと海の真ん中に住む小国の人間ですから、贅沢は言いません。 ただ領事館を建てるところに、牛の皮一枚程度の土地だけあれば充分ですね。”

いくら大きな牛でも皮一枚では小さな面積にしかならないのに、領事館 を建てる場所を牛皮一枚分くれとは、一体どういうつもりなのか、 理解出来ず、官員たちを呼んで経緯を伝えた。

“建てさせてやりましょう。牛皮一枚程度の土地から少しでもはみ出して建 てたら、煮え湯を飲ませてやりましょう。”

ある官員がそう言うと、皆、それが良いと同意した。ことは簡単に決定し、日本領事は立ち去った。

ところが、その時からいくらも経たないうちに、日本の連中が龍井に豪壮な総 領事館を建てたという噂が尹長官の耳にまで聞こえて来た。尹長官は激憤して龍井に駆け付けた。 到着して見たら果して、高い垣根に囲まれた中に大きな高層建物が聳え立っていた。

“これが牛の皮一枚分の土地だというのか? ”

“われらは口約束どおり牛の皮一枚分ぐらいの土地に領事館を建てただけです。”

“お前の目は節穴か?こんなに大きな建物を建てておいて、牛の皮一枚分とは!”

“一度、直接測ってみて下さい。”

領事は予め準備していた牛の皮を部下に持って来させた。 ところが、その者が持って来た牛の皮は剥ぎ取ったままではなく、 一本の糸のようにズルズルと細く切り出した牛皮だった。領事が切り出した牛皮を つないでみろと言うと、子分たちが蟻のように集まって来て、短い時間に 牛の皮をつないだ。間違いなく、大きな牛皮一枚だった。

“この牛の皮一枚をどんどん伸ばして行けば、ちょうど私たちの領事館の 塀回りと同じになります。牛の皮一枚をそのまま置いても、糸のように切り出してつないで 、牛の皮一枚です。どんな形にしようが牛の皮一 枚は一枚であって、二枚や百枚ではないじゃありませんか?”

勝ち誇ったような領事の顔に唾でも吐きかけてやりたかったが、自ら答えた言 葉ゆえ、尹長官は口が動かなくなってしまった。こうして龍井に豪壮な日 本総領事館が建つことになったのだという。

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