![]() |
中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト | Search by Google: | ||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||
![]() |
![]() [文化] "映画で在中同胞の問題が解決出来れば" 海外映画祭で相次いで注目され、11日開幕した第58回カンヌ映画祭‘評者週間’に新作‘芒種’が招請されるなど、 中国映画界の寵児に浮上している在中同胞・張律(43)監督が、自分の初の長編映画である‘唐詩’の封切り(20日) に合わせ、韓国を訪ねた。張律監督を語る上で欠かすことができない人物がいる。‘唐詩’と‘芒種’を製作した トゥエンターテイメントの崔斗栄(43)代表だ。 人々は彼を称えて“張律に人生をかけた人”と言う。撮影監督出身で映画‘烏口’のプロデューサーを担当もした 彼は、張律の映画に惚れ込み、2003年に映画社を設立し、私財をはたいて張律の初の長編映画‘唐詩’を製作した。 カンヌ進出作品となった‘芒種’は中国と合作で製作した。 “その堂々として近寄りがたい感じ。彼の映画を見てからは‘私の命は君に預ける’という心情になったのです。 張律だけがそんな映画を作ることができると思ったんですよ.”(崔代表) “崔代表の名前に入っている‘斗’という字 は中国では米を研ぐ器、すなわち財物を意味します。 私にお金をたくさん儲けさせてくれるみたいだったので、一緒にやろうと言ったのです。ハハハ。”(張律)冗談で受 け流した張監督だが内心は別のところある。 “何より私の作品を一番よく認めてくれる、それが崔代表だ。一緒に したかった”と打ち明ける。 二人が初めて会ったのは2001年。当時初の短編映画‘11歳’の後半作業を控えていた新人監督・張律は、一緒に小説 を書いて親しく過ごした韓国の李チャンドン監督にSOSを打診、李チャンドン監督は当時、映画振興委員会で働いてい た崔代表を紹介した。それが初の出会いだった。 ‘11歳’の未完成フィルムを見た崔代表は“張律にすっかり惚れ込 んで”資金を集めて送って張監督を支援し始めた。 世界映画界の注目を一身に受けている張律監督だが、映画を始めてから5年にもならない。延辺大学中文学科を卒業し て同じ大学の教授であった彼は、1989年急にすべてのことをやめて、自分の表現によれば‘ぐうたらな生活’を始めた。 こうして10年の間、殆ど家にだけいた。 “アパート隣家にお爺さんが独身生活をしていたが、2年経っても一度も顔が 見られなかったです。 ‘カタン、カタン’と音は聞こえるのに。好奇心から、毎日壁に耳を当ててお爺さんの動きを観 察したりしたんです。ある日妻が言いました。‘あなたはそのお爺さんとまったく同じだ’と。” ‘唐詩’はその時の経験を活かした映画だ。手痙攣症を病む元すりがアパートに篭って閉鎖的な生活を続けて行く話だ。 “意思疎通についての話です。孤立してますます、実のところ意思疏通したい欲望が強まる現代人についての話”と彼は説明する。 二番目の長編であると同時にカンヌ招請作である‘芒種’は、キムチを売りながら生きて行く朝鮮族行商の話だ。資 本主義の波が荒々しい現代中国で、周辺人として生きて行く朝鮮族の自画像が盛り込まれている。 “200万同胞の喜怒哀楽に背を向けることはできなかったよ”という張監督の言葉に、崔代表が“張監督としては、 中国で投資を受けるのはさほど大変なことではないです。敢えて私と共に映画に取り組むのは、何よりも我が民族の 問題を一緒に解決したいという望みのためです”と言う。 一緒に海外映画祭も数多く通った。 ‘11歳’がベニス映画祭短編本選競争部門に上がり、去年‘唐詩’はロンドン、 ロカルノ、香港、バンクーバー映画祭などに招請された。 絶え間ない‘論争’のうちにお互いに対する信頼と愛情で結ばれている二人の映画人は、カンヌ映画祭に共に参加す るため、16日一緒にフランスに向かう。 (延辺通信 チェ・ジヒャン記者 2005年5月13日) 関連記事:2005.04.22朝鮮族監督、史上初のカンヌ招待
|