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94.延辺朝鮮族自治区の創立

民族の宿望実現、朱徳海自治区初代書記に当選。
数千万の人波、通り飛び出し、プク・チャンゴを打ち鳴らして歓呼



▲ 延辺朝鮮族自治区創立大会で演説する初代自治区主席・朱徳海

国慶一周年に送られた同胞の贈り物

中華人民共和国の建国が昨日のようなに感じられていたら、もう国慶賀一周年を迎えるようになった。 党と政府では全国の少数民族代表と少数民族文工団の俳優たちを北京に招待し、共に節日を過ごす ように用意してくれた。 東北人民政府では朝鮮族代表団を派遣することに決めた。 中共延辺地委位では、 延辺大学副校長の林民鎬を団長とし、抗日烈士家族の金シンスクを団員に、延吉漢語専門学校教務主任 バン・リョンヘを随行員として代表団を構成した。 芸術祝典に参加する俳優たちは新たに創作した歌舞種目を 急いで練習した。

9月 27日、代表団一行は太鼓の音と歓声の中、北京駅に到着した。 数十万の各界代表が駅に出て代表団を 迎えてくれた。

9月 28日、代表団一行は労働人民文化宮で周恩来総理の国際国内情勢に対する報告を聞き、 29日には周恩 来総理の招請を受けて北京ホテルへ行き、晩餐会に参加した。

9月 30日、遂に毛沢東主席の招請を受けて北京ホテルに向かうことになった。 毛沢東、劉少奇、朱徳、宋慶齢、 張瀾、李済深など共和国の主席、副主席たちと政務院総理・周恩来が宴会ホール前で代表たちを迎えてくれた。

10月 1日、北京城は夜明けからドラの音、太鼓の音、爆竹音の中に沸き立った。

林民鎬、金シンスク、バン・リョンヘは招待状を受けて天安門西の観礼台に上がり、俳優たちは北京市民たちと 共にデモ行進に参加した。

毛主席を含む党と国家のリーダーたちが天安門城楼に上がるとデモ行進に参加した人々は手の平が痛くなるほど 拍手を送った。 デモ行進隊に付いて観礼台前を通る時、朝鮮族俳優たちは激動にあふれて “毛主席万歳!”、 “中国共産党万歳!”、“中華人民共和国万歳!”と何度も叫んだ。

俳優・金ソンミンは鉦を引き受けたが、しばらく経つと鉦音がしなくなった。 彼はやっと鉦棒が折れたことに気付いた。 10月 3日夜、中南海の懐人堂で芸術祝典があった。 周総理を含むリーダーたちが既に席に付いていた。 7時 10分、 懐人堂講堂の東側で急に拍手鳴り渡ると、毛主席がホールの中にゆっくりと歩いて来た。

引き続き、贈り物贈呈儀式があった。 多くの民族代表たちは順にそれぞれ主席台に上がり、持って来た贈り物を毛 主席に差し上げた。 朝鮮民族代表団は三番目に主席台に上がった。林民鎬が先に延辺人民たちが国慶一周年を 慶祝する署名簿一冊を毛主席に差し出した。次に金シンスクが朝鮮族チョゴリとチョッキ、ズボン一着を差し出した。 その次にバン・リョンヘが玉石で作った硯を差し出した。 またその次に芸術団団長の金ドングが朝鮮族の灰色の上着 を毛主席に着せて上げたが、上着の寸法と幅は雄大壮厳な毛主席の体格にぴったりと合った。 毛主席は上着を眺め ながら謝意を示した。 ホールでは大きく力強い拍手が鳴り響いた。 最後に俳優チョン・ヨンスクが藍色の絹におしどり を刺繍した座布団を差し出した。

贈り物贈呈が終わった後、芸術祝典が開かれた。 延辺文工団、内モンゴル文工団、新彊文工団、四川省の羌族、 苗族たちの歌舞種目は節日の雰囲気を盛り上げた。

延辺文工団の 5種目はその晩の文芸祝典の 4分の 1を占めた。 先に大 合唱 “勇敢な朝鮮人民は立ち上がった”を公演した。 拳を握って力強く歌う 歌声は懐人堂にこだまし、中南海の庭園を越えて首都人民の胸を高鳴らせてくれた。

中央訪問団、延辺訪問

1952年 7月 24日、彭沢民を団長として、薩空了を副団長とする 中央代表団一行 50人余りが吉林省人民政府副主席・徐元泉の案内により列車で 延吉に到着した。

7月 27日、延吉市 3万名の様々な民族の人民は人民体育場で中央訪問団を歓迎する盛 大な集会を開いた。

28日、中央訪問団を歓迎する運動会があった。 延吉、龍井 3市の 1900 人余りの選手が朝鮮族相撲、ぶらんこ、板跳び試合に参加した。

中央訪問団は延辺で 9日間の訪問活動を終え、8月 2日夕方の列車で去った。

朝鮮族区域自治の宣布

1952年 8月 9日 “中華人民共和国区域自治実施要綱”が発表された 12日後の 8 月 21日、延辺各族各界人民代表大会議の準備委員会議が延吉で開か れた。 会議で準備委員会の常務委員を選抜し、代表会議の任務、代表資格などの問 題を討論、決定した。

8月 29日から 9月 2日まで、遂に延辺朝鮮族自治区第1期各族各界人民代表会議が延 吉市人民劇場で召集された。 300人余りの代表が会議に参加した。 東北人民政府 代表・王一夫、中共吉林省委書記・李夢齢、吉林省人民政府主席・栗又文が大会に出席した。

董玉昆が会議で “吉林省人民政府延辺専員公署”を陳述し、朱徳海が “吉林省延辺朝鮮族自治区是正建設に関する報告”を述べた。 報告で朱徳海は “延辺朝鮮民族自治区は中華人民共和国の構成部門で、延辺朝鮮民族自治区人民政府は 1級地方政権機関として共同綱領と上級人民政府の決議、指示、法令 に基づいて民族区域自治実施要綱の規定によって自治区内で 自治権利を行使し事業を進行する。 延辺朝鮮民族自治区人民代表大会と、間もなく創立 される延辺朝鮮族自治区人民政府の任務は、民族の特徴に鑑み、民族形式を通じて民 族の平等政策を貫徹し、多くの民族人民を団合させ、体系的に手続きを踏んで政治、経 済、文化建設を進行することだ”と指摘した。

大会で正式に延辺朝鮮族自治区人民政府を創立し、 “自治区人民政府組職条例”と “民族団結に関する決意”を通過させた後、初代人民政府主席、副主席、秘書長などを 選挙した。朱徳海が初代延辺朝鮮族自治区主席に当選した。副主席には 董玉昆、崔採が当選し、秘書長には霍明光、副秘書長に は朴チャンム、チャン・グクグンが当選した。田仁永、ヨ・フン など 32人が委員に当選した。

大会では抗日戦争勝利記念日の 9月 3日を延辺朝鮮民族自治区創立記念日と規定した。

自治区傘下には延吉市、延吉県、和龍県、汪清県、琿春県、安図県 が含まれており、人口は総計 85万 4000人余りだった。 そのうち 朝鮮族が 53万名と62%を占めた。

自治区人民政府主席・朱徳海が延辺朝鮮民族自治区人民政府創立 を荘厳に宣布すると大会場は歓呼のるつぼとして沸き立った。

どれだけ望んで来たことだったろうか。これはその昔、抗日戦争の時期に “祖国光復会 10大 綱”で提出された東北での朝鮮人民族区域自治の完全な実現で、資産階級デモクラシー を追求した愛国志士が辛亥革命直後に国会に提出した民族自治方案のさらに高い 段階の実現だった。 朝鮮族は遂にこの国の主人になったのだ。 朝鮮族は少数民族の身分で世 界人口 4分の 1を占める新しい中国の広い土地で、思いきり歩き回ることができるよう になった。

過去、朝鮮人は文献上では開墾民、朝鮮人、韓国人、高麗人、甚だしくは三 韓人などと呼ばれながら、固定された族名さえない亡国民−流浪民 の生活を営んで来なければならなかった。 しかしもう朝鮮族と いう政治概念の確立と共に、こんな歴史現象を完全に消したのだ。 荷物を担いで峠を越えて来た民族、はしけ船に乗って 川を渡って来た民族、その民族が骨を埋め肉を埋めて、遂にこの地の主人になった。 土地革命と戦争の炎が飛び散った抗日戦争、解放戦争の日々に祖 国江山に真紅の血を迸らせ、英雄の意気を見せてくれたその民族が、この 地の堂々たる主人になったのだ。

この日、延吉市の通りは、数千数万の歓呼の人波に溢れ返った。路地と通り ごとに民族服を着た住民たちがプク・チャンゴを鳴らして、興に乗って踊り場 を作りながら、自治区創立の日を慶祝していた。 この人波の中には若き日の作曲家・金 ソンミンもいた。 彼は崔チャンジュンが先ほど書いてくれた “自治州創立の歌”の歌詞 を手に握り、住民たちとともに踊り歌い、狂喜していた。 興に乗って 踊った金ソンミンは突然に膝を折って楽譜を書き始めた。

それ、爽快で、良いね良いね
海蘭江も歌い、長白山も歓呼するね
それ、ふわりとチャンゴを鳴らそう
延辺朝鮮族自治区が出来たよ...

席を発って起き上がった金ソンミンはすぐ作曲した歌を声高く歌った。 周りの人々は 金ソンミンの歌に合わせてプク・チャンゴを鳴らし、興に乗って踊った。 美しい歌声 は朝鮮族の宿望を乗せて、遠く遠く響いて行った。 (終り)
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