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30.薬水洞の二人の抗日闘士

両足を失った朴相活、這って敵を誘う。秘密守るために金順姫、舌を噛み切る

薬水洞の柳

新しく立てた薬水洞抗日記念碑の右側には、見るからに立派な千枝万葉の鬱蒼とした柳1本 が静かに立っている。近くで見ると、二抱え異常もある。遠くから見えた、あの柳だった。柳の 周りは誰かの手によってきれいに整備されていた。柳の木陰には小さな白い碑石一つが立て られており、碑石の周りを赤いレンガで押し固めてあるのを見ると、厳粛な気持ちになったりした。 碑石と柳はかなり低い潅木に囲まれており、敷地には小さな門までつけてあり、出入りする時はそ の門を開閉しなければならなかった。碑石の前面にはこんな文字が真っ赤に刻まれていた。

抗日烈士朴相活永垂不朽
中共龍門郷委員会
龍門郷人民政府


小さな門を開けて入って行って碑石の裏をよく見たら、朴相活同志の革命簡歴がこのように刻まれていた。

朴相活同志革命歴史簡介

一九○四年吉林省和龍県龍水郷石国村農民家庭中生、 一九二四年十一月参加抗日工作、 一九三一年九月安 図県倒木溝赤韋対責任人之一、 一九三六年迷昏鎭東北人民革命軍第一軍二師任軍需部長、 一九三七年十 二月四一和龍県龍門郷薬水洞抗日戦闘中光栄犧牲。
一九九○年六月五日

朴相活同志の碑石を守っている柳は、1924年に植えたものだという。つまり80星霜を生き延びた木ということだ。

朴相活は幼い時代、旧学書堂でよく勉強して目を開かねばならない年頃に、生活の懸念のためやむを得ず勉 強をやめ、農機具を持って親に付いて畑仕事をしなければならなかった。 1924年、龍井 東興中学校に通う 薬水洞の青年達と近付きながら、反日思想の影響を受けた朴相活は、革命の道に出る大きな意志を抱くよう になる。ある日、朴相活は家に柳を植えてから、幼い弟を呼んで、このように意味深長な言葉を残したと言う。

“私はこの木と生死を共にするつもりだ。民族の解放のために柳のようにどこにでも根付いて枝打ちしながら育 つよ。革命勝利の旗が空に高くなびく時、柳は革命に誇りを感じるはずで、民族革命のために命を捧げた先烈達 を思うことだろう。”

少し後、薬水洞でも秘密裏に初期マルクス・レーニン主義団体が組織された。朴相活はこの団体に入って行って、 夜間学校も立て、小作農たちの中に革命の火種を振り撤いて行った。ソビエト政権の一員として直接申春同志の 指導を受けた朴相活は、6月10日、“5.30”暴動に参加する計画を立て、その準備に忙しく走り回った。 1930年6 月10日、中共薬水洞支部が建立されたまさにその日、朴相活は華々しく中国共産党に加入した。この時から朴 相活は、辺疆区ソビエト政府で、車廠子抗日遊撃根拠地で、安図県赤衛隊の責任者、東北抗日連軍第一軍2師 の軍需部長として活動した。

1937年、朴相活は2師から6師へ派遣される途中、足に激しい凍傷を負って遊撃隊病院に入院するようになった。 傷はパンのように痛々しく腫れ、足の指は腐って、骨がすべて見えていた。命を守るには切断手術をしなければな らなかった。しかし病院には麻酔薬や手術刀のような薬や医療機材がなかった。そこで朴相活は決然と言った。

“私は両足を失ってでも生きなければならない。生き抜いて、最後まで抗日をしなければならない。今から一緒に 切断手術をしよう。”

“朴相活は金属棒を叩き潰して刃物を作ってから手術を始めた。

友達たちよ 準備しよう 手に武器持って
帝国主義侵略者を粉砕し
勇進勇進出よう 気力一杯に
億千万回死んでも 敵を撃とう
出よう 決死の闘いに...

あまりにも痛いので、額に豆粒のような脂汗が滴り落ちた朴相活は、じっと堪えながらその場で“遊撃大行 進曲”を歌った。麻酔しない足を金属棒を叩き潰して作った鈍器で切断するというのは、想像することもでき ない事だった。その鋸の刃が骨を切る時の痛さを、どんな言葉で形容することができようか。ただ革命のた めに生きなければならないという固い信念一つがあったから出来たのだ。切断手術は延々六日間も続いた。 手術は前代未聞の英雄叙事詩だった。手術は戦闘だった。生命を得る戦闘、その生命で敵を打ち破ろうとす る熾烈な戦闘だった。

その年、旧暦12月4日、間諜の密告により、病院が敵方に包囲されてしまった。朝まで身動きできなかった朴相活 は、不死鳥の如く、とんでもないことを考えていた。敵を誘引して同志を助けようとする燃える精神は、両足のない 彼を動かし始めた。朴相活は両手を雪の中に深く差込みながら、身を動かして這って進み始めた。雪の上には、 朴相活が這って動いた跡がクッキリと残った。外に出た朴相活は、青黒い空を仰ぎ見ながら、遠くから近付いて来 る日本警察たちを怒りの眼差しでにらみつけながら大声で叫んだ。

“お前ら!革命者がここにいるぞ!”

そしてためらいなく身を投げ打って崖の下に落ちた。

敵は朴相活の這った跡に付いて崖の方へゾロゾロと押しかけた。その間に戦士たちは安全に移動した。

柳の木、薬水洞の柳は歴史の生き証人となって、今日も風に揺れている。革命のために最後の血一滴まで捧 げた、犠牲になった主人の魂を称えるため空に踊っている。

不屈の女闘士・金順姫

延辺には朝鮮民族の英雄的な意気を見せてくれる伝説的なエピソードがとても多い。その中でも薬水洞の女闘士・ 金順姫の話は凄く感動的だ。

金順姫は1910年、安図県小沙河で生まれた。彼女は先輩たちの影響下で早くから革命に参加した。金順姫は 1931年2月と3月、二度に渡り秘密裏に薬水洞に行って来た。雪の後の足跡のように、彼女が通った後には必ず 跡が残った。金順姫は当地の群衆を動員して学校を立て、子供達に文を教えるように革命の道理を分かりやすく話したのだ。

1931年4月、金順姫は薬水洞赤衛隊隊長の宋テイクと結婚した。薬水洞へ来た金順姫は、赤衛隊隊員として 活躍し、薬水洞に対する敵方の討伐が激しくなると、赤衛隊は山に入って行った。金順姫は村に残って群衆た ちを導き、地主と闘争しながら食糧と衣服など必需品を赤衛隊に供給し、小船隊を導いて裏方の仕事を着実に遂行した。

薬水洞を目に入った刺のように思っていた頭道溝の日本領事分館と警察署では、1932年旧暦10月下旬から11月 初旬の間に連続して3回も薬水洞を大討伐した。

11月4日、早朝だった。200人余りの日本守備隊、警察、自衛団が急に薬水洞を三方から包囲した。日本人たちが 闇に乗じて細鱗河へ近付いたため、村から幾里も離れていない最初の歩哨線でも敵を見付けることができなかった。 二番目の歩哨線である村近所で敵を見付けた時は既に手遅れだった。村は既に包囲された後だった。党組織では 革命の力を保存するため、幹部、遊撃隊員、赤衛隊員と小船隊員たちを直ちに避難させた。しかし妊娠していた 金順姫は組職に負担を与えないように村に残っていた。

村に入って来た討伐隊は血眼になって走り回った。親日派を先に立たせて家々毎に捜索した。彼らは10軒余りの家 と学校に火をつけた。煙と炎が一気に村を覆った。家でこの惨状を眺めた金順姫は、急に日本警察の靴の音が聞こ えて来たので、水がめを抱えて出ようとした。台所の戸がガラリと開き、日本人たちがドカドカとなだれ込んで来て、 胸に銃剣を突き付けた。

“どこに行く?”
“川へ行くんだ。”
“へえ、川へ行くのかい?こんなとこを通って?”

金順姫は泰然と外に出た。討伐隊は金順姫を見て、村の何人かの女性達と一緒に静かにしろと怒鳴った。

村には歩哨に立ったり、病気のためにまだ避難できなかった赤衛隊部隊長のチョン・テギョン、李ドクギル、 小船隊隊長・金ドボンらも捕まって、チョン・テジュンの家の庭につれて来られた。

金順姫は敵方が自分の身分を知っていると直感した。チュン・ミョンファおばさんが順姫に、少し離れている 赤衛隊員・許リョンナムの家へ逃げなさいと目配せした。順姫の一挙一動を密かに察した討伐軍は、順姫を 捕まえて審問を始めた。

“お前が金順姫か?”
“そうだ!”
“共産主義者たちは皆どこへ行ったのか?”
“知らない!”
“お前の旦那はどこに行ったのだ?”
“知らない!”
“食糧はどこに隠した?”
“知らない!”

すると彼らはいきなり鞭を突き付けた。 それでも知らないとしか言わなかったので、彼らは四角い棒を 指の間に挟みこんででたらめにしごいた。 順姫は歯を食いしばって痛みを堪えた。 体罰の後には、チョン・ テイン老人の家の庭先に連れて行った。 そこには既に少なからぬ同志らが連れて来られていた。 自分を眺 める同志らの目のおかげで大きな力を得た金順姫は、さらに激しく敵方と対立した。

彼らは銃剣で順姫の腹をちくちく突きながら皮肉った。

“お前、腹の中に何が入っているのだ?”
“判らないのか? 偉ければお前らを捕らえる英雄だろうし、出来損ないなら大通りをほっつき歩くお前らみたいなやつだろう!”

順姫の言葉は鋭い刃物のように敵方の肺腑を抉った。彼らはさらに激憤した。

“赤の女め! 共産軍はどこへに行ったのだ?”
“待ってなさい、もうすぐ貴様らを捕まえに来るだろうから!”

野獣と化した討伐隊は、金順姫を地面に倒した後、大きくなった腹の上に板を置いて、足ででたらめに 押さえつけた。 順姫は気絶したが、すぐにまた我に返った。 それでも口を割らないので、今度はやかん で唐辛子を口に詰め込んだ。苦痛に堪えながら身もだえし、腹の中の新しい生命さえ野獣のような軍人たち のために不幸にあわなければならない事を思えば心臓に刀がめりこむようだったが、金順姫は口を食いしばって堪えた。

“この女、言わないつもりか? お前の舌が耐えるか、このベルトが耐えるか、見てみよう!”

熊の手みたいなベルトが連続して順姫の口を割ろうと振り下ろされた。 しかしそれは妄想だった。 順姫は叫びながらモ口を食いしばった。 もしかしたら心が迷い乱れたうちに秘密を漏らしてしまうのではないか と思った順姫は、歯で舌を噛み切った。 順姫は大きく口を開けて、切れた舌と赤い血を彼らの顔に吐いた。

彼らは金順姫ら 8人をしっかりと縛って家の中に閉じこめた。 最後の瞬間が迫って来たことを直感した人々は、 力の限り叫んだ。

“日本帝国主義を打倒しよう!”
“中国共産党万歳!”

軍人達はひとしきり機関銃を連射した後、家に火をつけた。 家からは続けて悲壮な叫び声が聞こえた。 その時、 金順姫は 22歳だった。 薬水洞は金順姫のような朝鮮族抗日闘士 60人余りが熱い血を散らせた地でもあるのだ。
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