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![]() 民族詩人尹東柱(ユンドンジュ)の墓 この世を去る日まで空を仰ぎ見て 一点の恥もなきことを・・・ 日帝時代の抵抗詩人として「序詩」「星を数える夜」などの数多くの作品を残した韓国の国民的詩人・尹東柱。 龍井の朝鮮族キリスト教徒共同墓地には彼の墓があります。同地の大成中学には詩碑があります。 彼の詩碑はソウルの延世大学、また同志社大学今出川キャンパスにもあります。
1905年乙巳保護条約により当時朝鮮の外交権が日本側に奪われます。1909年には日ー清の間に間島協約が結ばれ、 清は朝鮮の北部の「間島(現在の中国吉林省朝鮮族自治区)」を取り、日本は満州鉄道の利権を獲得します。 尹東柱は1917年、この間島の地で生まれます。 尹東柱は平壌(ピョンヤン)で中学校を卒業した後、ソウルの延禧専門(現延世大)文科に進学します。 そこで崔鉉培など民族主義的学者達に師事します。1942年、尹東柱が立教大から京都の同志社大に転入した時、 恩師崔鉉培を含め多くの韓国語学者が逮捕されます。 いわゆる「朝鮮語学会事件」です。韓国語がこの世の中から消えようとした時です。 ほどなく彼も逮捕され、1945年2月16日、福岡刑務所にて26歳という若さで獄死しました。 彼が投獄された理由、それは当時使用を禁じられていた朝鮮語(ハングル文字)で詩を書いたことが、 治安維持法違反とされたからでした。日本に支配され踏躙されている祖国・朝鮮。詩人であった彼は、 そんな祖国・自民族に対する想いと「大日本帝国」への抗議の意志から、自民族の誇りであるハングルによる詩作を重ねました。 生き延びる道はありました。ハングルでの詩作などしなければよかったのです。そういうことをすればとんな目に会うのか、 よく分かっていたはずです。でも彼はやめませんでした。そしてそのために捕らえられ、「生きる」という営みを無理やり 奪い取られてしまったのです………。 彼のその短い生と死は、そしてこの短い詩の言葉は、「ほんとうに生きる」とはどういうことなのか、 それを私たちに問いかけているようです。 そのような暗い時期に書かれた彼の詩は涼しいほどに美しく、「星」に託した作者の望みが切なく伝わります。 序詩 この世を去る日まで空を仰ぎ見て 一点の恥もなきことを 木の葉を揺らす風にも わたしの心は痛んだ 星をうたう心で すべての逝くものたちを愛さなくては そしてわたしに与えられてた道を 歩まなければ 今宵も星が風に吹かれた |
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