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![]() [社会] 大地震以後、在日朝鮮族の大部分は現地に残る ▲12日、地震で東京空港に滞留する人々。地震後四日目、順次正常化へと回復しているが、帰国する朝鮮族は少ない。 家族を日本に送った朝鮮族が、日本史上最悪の地震と津波の災難に今でも緊張している。 故郷では彼らに早く 帰って来るようにと薦めるが、日本へ行っている朝鮮族の大部分は現地に残る道を選択している。 延吉が故郷の金(57歳、女性)氏は、4年前に娘を東京へ留学に出した後、夫と共に広州へ行った。11日、日本に 大地震が発生したという報道を見て、金氏と夫は娘の安否が心配になり、すぐに数十回も電話をかけたが繋がらず、 心配でイライラしていたが、当日夜11時、娘から無事という電話を受け、一息ついたという。 金さんは、電話が通じるや否や《よかった。早く飛行機チケットを予約して中国に戻りなさい》と薦めた。 だが、 娘は《東京の状況は大丈夫です。 心配しないで下さい。 また、すぐに日本の会社に正社員として就職したので、 休暇をもらうのも大変です》とし、日本に残るといった。 地震発生後すぐに帰ると言っていた別の金(30歳、女性)さんも、やはりしばらく帰国しないことを決めた。 横浜に住む 金さんは、地震発生当日、会社でアルバイトしている時に建物が揺れ、会社の同僚らと共に公園へ行って一晩中避難して 身を守ったという。 彼女の両親によれば、《初めには恐ろしくてイライラし、11日から13日まで電話で中国へすぐに帰ると 泣いていた娘が、14日午前からは平静を取り戻し、一応日本に残ることにした》という。 東京で職場に通っている李(36歳、女性)さんは、むしろ心配する両親をなだめている。 地震発生当日、李さんは会社の 職員らと共に会社の1階で政府から食べ物と飲み物の支援を受け、夜を過ごした後、翌日、長春にいる両親に電話して 無事を伝えた。 彼女は、《日本は災難救助体制が完ぺきで、国民の災害対処意識も強いです。 火災が起きた所もあるが、 混乱はしておらず、秩序整然としています。 私自身か゜心を安定させていれば一切影響を受けません》とし、心配しない ようにと落ち着いて話した。 地震を全く感じられなかったという名古屋に住む沈(41歳、男性)さんは、それ以上に帰る気がしない。 龍井にいる彼の 家族たちは《お金が問題でなく、とにかく早く帰って来い》と毎日のように促したが、《来月永住権を申請した後にまた会おう》と、 帰国日を先送りしているという。 日本にいる当事者よりも、より一層緊張している中国朝鮮族の家族たち。余震が続いている上に東京から わずか160kmしか離れていない福島第一原発1号機に続き3号機まで爆発、放射線に対する恐れが大きくなっており、 家族の胸はずっと焦げ続けている。 統計によれば、現在、在日中国人は留学生まで含めて総計70万人規模、そのうち朝鮮族は10万人程度と推算されており、 大部分は東京地域に密集しているといわれている。 (吉林新聞 2011年3月14日)
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