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![]() [文化] 朝鮮族・許青山、韓国Kリーグ水原三星チームで挑戦 遼寧省瀋陽生まれの24歳の朝鮮族・許青山が、韓国Kリーグ水原三星サッカーチームで可能性に挑戦する。 3年ぶりの優勝を狙う水原三星チームは、今シーズンの代表級メンバーを大挙迎え入れた。 番外指名で水原の ユニフォームを着た許青山には、厳しい競争だ。 だがKリーグの名門である水原のユニフォームを着ただけでも嬉しい スタートであり、許青山は《自負心を持って訓練している。 水原は韓国最高の名門》と語った。 2006年に韓国の地を踏んだ許青山は、高等学校を卒業して中国2部リーグ南京に入団したが、チームが解体されてしまい、 サッカー人生が終わるところだった。 その時、兄が《韓国へ行ってしっかりとサッカーをしなさい》と忠告した。 兄は 中国U17の代表選手にまでなった《サッカーの天才》であった。 しかし伸びて行くことが出来ず、サッカーを止めた。 許青山は中学生の時、韓国の中学校チームと練習競技を数多くした。 その時に縁のあった相手チーム のコーチの助けで、 2007年、明智大学に入学した。 韓国のサッカー舞台へのデビューであった。 彼は《初めは非常に苦しかった。 だが、ひたすら訓練だけやった。 1学年の時は先輩たちからしごかれる時でしょう。 だが、 私は同じ学年の友人たちより二歳年上だったので、先輩たちが私を虐めることはなかった》と回想した。 2008年秋期連盟戦は、 彼にとってチャンスであった。 明智大は3位となり、彼は優秀選手賞をもらった。 それでもプロへ行く道は狭かった。 昨年11月、ドラフトに願書を出したが、どの球団も彼を指名しなかった。 《もう終わりだな》と 思った瞬間、ドラフトが過ぎてかなりの後、水原が手を差しのべた。 大学サッカーに精通した尹成孝・水原監督が身体条件 (身長189p、体重85s)の良い許青山の潜在力を見て、番外指名にて選んだのだ。 許青山は《私は何としても成功したい》と語った。父親は慶州で、母親はソウルの漢方医院で仕事をしている。 息子を支援するために故郷の中国・瀋陽を離れてきた。 彼は《事実、兄が私よりサッカーは上手だった。 兄が成し 遂げられなかったプロの夢を韓国で成し遂げてみたい。 苦労する両親のためにも、水原のユニフォームを着て競技に 出る姿を見せたい》と語った。 (吉林新聞 2011年2月15日)
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