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[文化] 映画皇帝・金焔誕生100周年記念会

金焔誕生100周年記念追慕会および金焔研究会発足式、上海で開催

 

1930年代を最も華麗に飾った中国映画皇帝・金焔(朝鮮族)誕生100周年記念追慕会および金焔研究会発足式が、11月27日上海で開かれた。

延辺作家協会浙江創作委員会(南方アリラン代表・李光仁)と延辺人民出版社上海支社(代表・金昌錫)主催で開かれた この日の行事には、韓国と中国の学者・文人。企業家。総勢20人余りが参加して、金焔の墓が安置されている上海福寿園にて、 金焔の一生を追憶し、故人の業績を賛えて故人の冥福を祈る意味で、霊前に3分間の黙祷を捧げ、献花して追悼詩を詠じるという 順で行事が進められた。

最近、新上海人として活躍しながら"映画皇帝・金焔評伝"の執筆を終わらせた作家の金昌錫氏が金焔の一生を紹介して '金焔映画研究会発足'を宣言し、追慕会に参加した様々な知人、企業家たちの終始一貫した賛同を受けた。

金焔研究会は延辺作家協会浙江創作委員会の傘下に、金焔についての研究と資料発掘を趣旨として結成された民間団体だ。

金昌錫氏は宣言文で、'金焔映画研究会'は金焔の未亡人・秦怡を常任顧問に迎え、新年に"中国映画皇帝・金焔"評伝の出版を 契機に正式にオープンしたいという確固たるメッセージを伝えた。

この日の行事参加者たちは、"映画皇帝という名声に似合わず、彼についての資料発掘研究および記念会が活発に展開出来ずに いる"としながら、今後、金焔についての研究と資料収集および発掘広報に万全を期そうと一様に同意を集めた。

金焔は原名が金徳麟で、1910年4月7日にソウルで生まれ、2歳の時、韓国最初の西洋医師であった父・金弼淳が105人事件に かかわって中国に亡命した時、家族と共に中国に移住して中国国籍を取得した。 1919年、父親が日本の密偵に毒殺された後、 家族と別れて独立活動家の叔母・金淳愛(独立活動家・金奎植の夫人)の家に移り、苦学して中高等学校に通った。

1927年、上海へ行って劇場切符売りなどで辛うじて生活していたが、1929年、孫瑜監督に抜擢され、映画界に初めて足を踏み入れた後、 さまざまな孫瑜映画で主役を演じた。 1931年、'桃花泣血記'を経て1932年、孫瑜の'野草閑花'に当時最高の女優・阮玲玉と 出演しながら最高の人気俳優に到達した。

その後、1930年代、代表的な写実主義映画として選ばれる'大路'(1934)、'野バラ'(1934)、抗日映画'長空万里'、日本が香港を 占領した当時最初にフィルムを探して焼却してしまった映画'壮志凌雲'(1936)、'なくした愛(失去的愛情)'など40編余りの映画に 出演して、一躍中国映画皇帝という桂冠を抱くことになった。

中華人民共和国が建国された後には、上海映画製作所副主任、上海人民代表大会代表、中国映画作家協会理事などとして活動し、 白楊、趙丹と共に中国で3人しかいない国家一級俳優に任命され、毛沢東の面会まで受けた。 彼は1983年12月、73歳を一期として上海で生を終えた。

(黒龍江新聞 ホン・スンボム記者 2010年11月30日)
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