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[社会] 《けちんぼ》婆さんと白黒テレビ、そして感動


▲息子と共に白黒テレビを視聴する黄今淑さん

琿春市近海街太陽村4条に住んでいる黄今淑(69歳)さんの家庭は、近所でも噂の《病気家庭》であり《貧困家庭》であると 同時に《けちんぼ家庭》だ。

30年ほど前から、彼らの家庭は村でも公認の貧困家庭であった。 真面目に仕事をしないからではなく、病気のためであった。 持病で苦しむ夫のために毎日を病院で過ごさなければならず、夫の病気が治るかと思えば疲れ切った黄今淑さんが病床に倒れた。 幼い息子も結石を病み、娘も目が見えなくて苦労した。 家庭を維持しようにも労働力がないので生産隊に借金をする しかなかったが、家庭全員が病気に苦しみ、彼らの苦労は筆舌に尽くし難いものであった。

しかし苦しい闘病生活に借金ばかり嵩んだ彼らにも、暖かい手は差し伸べられた。 生産隊では治療費に加え、小牛一頭を与えて 育てさせ、公社信用部では帳簿に記入する方法で病気治療に支障がないように治療費を先払いしてくれた。 請負耕作を始めても 彼らは何年かの間、毎年300元ほどの最低生活報奨金の世話になった。

《あの頃のことを思えば、本当に国家に感謝しているし周辺の人々にもお礼を言いたい。 死ぬまで忘れることが出来ません》  最も苦しかったあの時期を思い出しながら、黄今淑さんは目がしらを熱くする。 その頃からこの家庭では、苛酷なほどに 物惜しみする節約精神が生じたという。

請負耕作を始めて熱心に仕事をしたおかげで、借金も返し、生活が次第に楽になり始めたが、彼らは苦労したその時期を 忘れなかった。 苦しい生活状態のために婚期を逃した息子・韓洙東(41歳)氏は、酒・タバコを遠ざけるが、今まで携帯電話を 持ったことがない。 家に固定電話があれば十分なのに、なぜわざわざ電話費を払って携帯電話を持つ必要があるのかと いうのが彼の返事だ。


▲《苦しい時期に比べれば、今はあまりにも幸せです》 お婆さんの後に家庭の器物全てが見える。

この上なく素朴な彼らの家には、新しい製品はただの一つも見つけることは出来ない。 食卓、箪笥はもちろん、 古い14インチの白黒テレビをのせる引出しのある机まで、全て古い物だ。 他の家ではどこもが捨てた70〜80年代の家具 であった。 テレビも家に設置した簡易アンテナで受信出来る中央1TV、吉林TV、延辺TVと琿春TVの4つのチャネルだけ視聴 することが出来た。

娘が韓国に嫁入りする時と夫が3年前に亡くなった時を除いては、彼らの家庭では市場に行って肉を買って食べるような 贅沢なことは殆どなかったし、野菜を買うことも全くなかった。 農作業費用がかかるので人夫を雇うことはほとんどなく、 お婆さんはまだ自分で田畑に出て行って働くという。 他の人々がテレビを見る時、彼らはラジオを聞きながら早目に電灯を 消し、他の人々がカラーテレビを買って白黒テレビを捨てる時、彼らは150元を払って古い白黒テレビを買った。 そのテレビが壊れると、再び50元を払って買い、それも壊れたので30元を払って今見ている白黒テレビを買った。 目が悪いのでカラーテレビを見るとチカチカして見ることが出来ないというのがお婆さんの説明だ。

彼女の息子・韓洙東氏は、家庭の経済収入は主に一丁ほどの畑から得ており、年に8000〜1万元程だと 紹介しながら、いつかある親戚が出国のためにお金を借りに来て母親に拒絶された話をしてくれた。 《やめておいても生きて行けるのだから、満足ということを知らなければならない。まだ多くの人々が 腹いっぱいに食べることも出来ず、暖かい服を着ることも出来ないでいることを知っているか?》と、 お婆さんが語ったその「多くの人々」とは、地震や洪水などで災害を受けた災害区の人々であった。 そんなことを 知るよしもない親戚は、不機嫌そうに家を出たという。

こうして噂になった《けちんぼ》婆さんが、度量大きくお金を使ったことがある。 最初は2008年5月20日、 白黒テレビを通じて汶川大地震の惨状を目撃した後であった。 《数万人もの人々が命を失い、数万人もの 人々が家がないのに、私たちはこのように遠く離れていて何の支援もすることが出来ず、辛かったです。 それでも 赤十字社を通じて災害区を支援することが出来たのは幸いでした》彼女が出した義援金は僅か3万元、何年間も貯めた 貯蓄の全額だったが、琿春市で個人名義で寄付した最高金額であった。 2回目は玉樹地震の時、3回目は今回の7月28日の 洪水で延辺の一部の地域で災害を受けた時だったが、各々1000元ずつを寄付した。

暮らし向きが裕福でない普通の農民である黄今淑さんは、痩せたスタイル、浅黒い肌にすでに腰が若干曲がった お婆さんだ。 彼女はこのように話す。 《人は感謝することが出来なければならず、助け合って生きることが 出来なければなりません。 私たちが苦しかった時、国家が助けてくれました。 国家が困難に直面した時、 私たちが持っている力の限り支援するのは当然なことだと考えます》 あまりにも素朴な真心に充ちた話だ。

韓洙東氏に、まだ苦しい生活状態なのに母親が貯蓄の全てを寄付したことについてどう思うのかと尋ねた。 《私たちも苦しい時期を過ごしました。 だからこそ災害区の人々により一層同情することになるのかも知れません。 愛によって生きる世の中ではありませんか? 何もなければ寄付したくても寄付することは出来ません。 あるものを 寄付するのは、至極当然なことではありませんか? 母は今、他の人々ほどには恵まれないが、食べて着て生きるのに 何の心配もないと言います。 母のやることを私は支持します》 この母親にしてこの息子ありだ。

2009年12月、黄今淑さんは、延辺朝鮮族自治州人民政府から地震災害義捐部門で《特殊貢献賞》を授与された。 これについて黄今淑さんは、災害地区に寄付するのは、いかなる名誉や称賛も受けるためのものでない。 特筆大書する 必要もないと再三繰り返した。


▲黄今淑さんと彼女の息子が住んでいる家

(吉林新聞 2010年8月20日)
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