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[文化] シャッターに染み付く故郷の山河

延辺撮影家協会・朴哲主席を訪ねて



写真撮影がもはや少数の写真家たちだけの特権でない大衆芸術になったとはいうものの、 延辺撮影家協会・朴哲主席の作品が目の前に現れた時、胸がパッと開くような清々しさに思わず口をぽかんと開けてしまった。

にもかかわらず、延辺撮影家協会に自身より芸術性が優れた会員たちがあまりにも多いとして、一人一人 推薦する朴哲主席に、協会を引っ張っていく力のあるリーダーシップを見た。

2008年12月から延辺撮影家協会主席の仕事を引き受けることになった彼は、“共和国建設60周年及び協会設立 50周年”そして“改革開放30年”というタイミングに合わせて短い1年余りの間に多くの仕事をした。

昨年8月に開かれた第3期中国延辺国際撮影文化週間及び中国図們江国際撮影文化観光節は、延辺の撮影史に前例のない 壮挙と好評を受けている。 彼が言うには、延辺国際撮影理論フォーラムをはじめとして36人の国内外撮影家の写真展、 延辺8県市の撮影芸術展覧会、改革開放30周年撮影展覧会を同時に開催したが、合計2000点余りの作品を展示し、前例のない 膨大な規模となったと高い水準を自慢する。 文化節の期間にまた、和龍南坪、龍井三合などいろいろな場所に民俗風潮の 撮影基地を作り、現地の人々を積極的に動員して接待活動を着実に行い、活動参加者たちの終始一貫した好評を受けた のみならず、延辺の特色文化を広くPRする上でも助けになった。

協会設立50周年を迎え、《50年延辺写真巡礼》という分厚い作品集を出版し、延辺撮影家協会会報の《延辺写真》第13期も出版した。

創作があって交流がある協会だけが生きている協会と言えるとし、朴哲主席は地域間、国家間の活発な交流を怠らない。

“第1回延辺観光撮影展”、“共和国建設60周年記念撮影、美術、書道展”等、多数の展覧会を開催する他にも、会員たちと 共に延辺8県市で開催する各種の展覧会に積極的に参加して良い成績を獲得するなど、各県市の間の情報疎通と交流を推進させた。

昨年5月に北京国際展覧センターで開催された中国第12回国際撮影装備映像機資材博覧会の期間中に、延辺撮影家協会と 中国撮影家協会情報センターでは連合にて“延辺民族風潮撮影作品展”を開催、展覧が終わった後、主催側ではすべての 作品を所蔵した。

昨年6月、朴哲主席は延辺撮影家協会と韓国写真作家協会江陵分会との撮影芸術交流協議に署名することにより、以前に 増して活発な国際的交流活動を続けさせることを約束した。

朴哲主席は、正統性だけに固執する頑なな芸術家でなく、情報化時代の流れに歩調を揃えることが出来る文化リーダー でもある。 “延辺撮影”のサイトを開通、運営し、“理想”杯、“現代”杯 オンライン撮影展を成功裏に開催しただけで なく、“延辺撮影サロン”を設立し、12万元を投資して内部設備を作ることにより、協会会員、撮影愛好家たちに大変良い 芸術の場、交流のスペースを作ってくれた。

州政府機関事務管理局副局長など、本業も怠ることなく、どこからこれほどの無尽蔵なエネルギーとアイデアが出てくるのか、 ただ驚く限りであった。 それも計画だけで終わったのではなく、既に成績表を社会にこれ見よがしに出した彼は、並大抵の精力と 体力の持ち主ではなかった。

延辺撮影家協会を引っ張って行きながら、事実体験した困難が一つ二つではなかった。 単純に撮影に対する情熱だけ持って 臨むには、精神的、時間的余裕がある場合は多くはなかった。 その上、協会の特性上、社会各界に散っている会員たちを一堂に 集めるのにも多くの精力が必要だったし、活動経費も非常に不足した。 だが、このあらゆることが、まさに主席として私が しなければならないことであり、越えなければならない山だと考える朴哲主席。自己犠牲、私でなくて誰が協会のリーダーに なれるのかと彼は“サービス”、“貢献”が二言で数えきれない程自身を鞭撻するという。

朴哲主席は事業を推進することにおいて、迫力があるのみならず徹底もしている。

延辺撮影家協会で、昨年、設立50周年を記念して図們江水源地から始め、琿春地域の河口まで踏査創作活動を実施したが、 250人余りが共に動いた大きな活動であった。 他の土地で何日もの間宿泊し、創作活動をしていった途中、険しい地形のために 車一台が転覆する事故が発生したが、出発前に人身保険までしていたなど、非常に事前準備が徹底していたため、何ら 問題なく順調に処理され、活動は円満に終えたという。

撮影というものは、事実本当に難しい工程だという。 いくら意気込んでも、休みの日に10kgを越える撮影装備を持って 山を越え川を渡り、目的地に到着したのに、空の具合は予測するのが難しく、気候的条件が伴わず、撮影を諦めてその翌年に 宿願を果たしたことも、一、二度ではなかった。 だが、このような艱難辛苦を勝ち抜いてレンズに故郷の山河の絶景を表現 した時、苦労して撮った写真の中でただの一枚でも芸術性が優れた作品を得た時の、その満足感は到底筆舌に尽くし難いもので、 あらゆる疲労が全て消え、再び無尽蔵の力が湧くという。

朴哲主席は、延辺撮影家協会の根本趣旨が芸術の発展と社会のためのサービスだという。 現在の東北アジア地域の開放と先導区 開発を推進している中で、観光産業が急浮上しており、これと共に宣伝活動がついて行かねばならず、まさに写真撮影こそが ここで大きく一役買わなければならないという。 それが延辺撮影家協会が長期的に押し進めなければならないことであり、 またこの社会的貢献が後の支えになる時になって初めて芸術性を語ることも出来るのだという。

“文化的教養を高め、友人と広く交流し、社会のためにサービスして身体を鍛える。”自身が撮影人選で得たものを朴哲主席は このように才覚をもって答えた。 撮影装備を持って故郷の山河を歩き回り、隅々に息づいている万物をレンズにて表現するのが とても好きだといいながら、彼は自身よりも延辺撮影家協会の会員たちの創作活動舞台を用意するために苦心に苦心を加えている。

(延辺日報 リ・リョンファ記者 2010年5月13日)
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