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[社会] 延辺の昨日と今日の秩序意識変化



共和国創建60周年と改革開放31周年を迎え、私は延辺の人々の建国初期と今日の現実について公衆道徳と 秩序意識の変化発展を書いてみたい。

過去の公衆道徳と秩序意識の希薄

延辺の過去と今日に光を当て、対比させて優劣を見分けるのは今日を生きていく私たちに幸福とは何かを理解するうえで、 非常に有益なことだと信じて疑わない。

1950年代初、延辺地域の主要な交通手段は汽車であった。 列車が通じる線路は長春−図們、牡丹江−図們、朝陽川−開山屯、 朝陽川−和龍だ。 延吉市の交通手段としては、馬をつないで引っ張って通う四輪馬車何十台かのみ。それも合作化が始まるや消えた。

建国前夜には二輪がついたゴムタイヤ人力車があったが、建国後には資産階級思想の産物として跡かたもなく消えた。 当時、 汽車に乗って外出しようと思えば、普通、10里、30里もの道を歩かなければならなかったし、偏狭な山奥からは50里、 200里の道を歩いてやっと汽車に乗ることが出来た。

そして両足は最悪の状態になった。 靴裏が磨り減って穴が開き、ぺたぺたと縫って履くとその形はそれこそ醜くなる一方だった。

たとえば汽車に乗ろうとしても、延着したり満員になる時が多かったし、お互いが先に乗ろうと押し合い、近づいて 喚きたてることが日常茶飯事であった。 列車に乗った後には安心したように、ドカリと座って大笑いしながらおしゃべりを始める。

老人弱者が立っていても見ぬふりをし、時々は席を譲る人々もいたが日照りに種が芽を出す如く、滅多に見ない現象であった。

当時、社会の気風は男ならばタバコを吸って酒を飲むことが出来なければならず、酒とタバコは男の代名詞も同じだった。 走る列車の中でタバコを吸っても止める人がなかったし、吸う人々も自責感もなく堂々と吸った。 紳士的な男たちは 《北極》巻煙だとか《迎春》タバコを鼻高々に自慢気に吐き出す。 あっという間に列車の中はものすごいタバコの煙で 窒息するほどになる。

滑稽な話を一つ

長春−図們行の列車にお互いに面識のない延吉チョンガーと琿春娘が向かい合って座り、故郷への帰り道であった。 延吉チョンガーはこれ見よがしに《北極》巻煙を吸ったが、深呼吸してタバコの煙を肺まで吸い込み、舌先を伸ばし つつ吐き出した。 煙は春の日のかげろうのように円を描いて空中に咲いて上がった。

この光景を面白そうに眺めていた琿春娘は、浮かび上がる円の中心を指で刺して遊んだ。 これが喜劇的な縁になり、 婚約にまで辿り付くことになったのだという。

秩序は文明と人格の尺度

今日、私たちは情報化時代、文明時代の入り口につかつかと入りつつある。 情報ネットワークは地球村に続キ、 地球村が一つになる桑田碧海時代だ。 延辺も全国と同じように陸地ヘ空ヘ海ヘと通じる道が開かれ、四通八達を成し遂げた。

四方に繰り広げられる高速道路、山間僻地まで通じる舗装道路では、軍馬が疾走するように色々な車が走る。 家の前に立って手さえ上げれば、どこへなりとも目的地まで乗せてもらえる。

1950年代初め、農村には電話があったが偏狭な山間の村にはなかった。 招待状とか訃告は、10里も200里も人が歩いて伝えた。 しかし今は網のように伸びた通信ネットワークが、衛星を通じてあっという間に地球村のあちこちを繋いてくれる。

今、汽車に座ってみてもタバコを吸う人を見つけるのが難しく、押しながら近づいて来る人も見られなくなりつつある。 老人弱者を見ると、進んで席を譲ってくれる。 従業員たちは顧客を王として迎え、親切にサービスをしながら 顧客のために犬馬のように誠を尽くす。 人々の精神世界は一新され、隔世の感を醸し出す。 天地開闢で生きる喜び を感じる世の中だ。

私たちが生きている世の中は唯我独尊の世の中ではなく、共に生きる世の中だ。 愛は分かち合えば大きくなり、 悲しみは分かち合えば小さくなる。

今、延吉市は全国100大都市に仲間入りし、文明都市の中に堂々と入った。 首府都市がこうなった以上、私たち 皆が文明市民になるべきだ。

精神文明の建設は《初めは立派》なものだったのが、次第に減ったり、または終わりすらもまともに出来ない 《竜頭蛇尾》になってはならない。

文明的な社会であるほど秩序意識が強い。 秩序を守るということは、人格を守るということだ。

(吉林新聞 パク・キュチョル記者 2009年10月8日)
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