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[社会] 青島李村市場の朝鮮族商人たちに会う


▲青島市李滄区、李村市場の全景

3〜4年前まででも青島市で朝鮮族が最も多く居住する地方と呼ばれた李村には、100年余りの歴史を誇る李村市場がある。

1892年に形成された李村市場は青島市無形文化財リストに上がった有名な市場であり、李村河東橋と西橋を中心に 東西の長さが約1000m、広さが約90mの区間の川底に位置している。 西橋の西側は主に農副産品、穀物、草花など、 東橋との間は主に野菜、海産物、肉類や肉製品など、東橋以東は主に小商品と中古商品を経営している。 陰暦で2、7日に 大きな市場を開き、四方区や李滄区の住民たちが雲の群れのように集まって沸き立つという。



この李村市場の東西橋間の小食品類の売台に行けば《オソオセヨ、何になさいますか?》という耳慣れた韓国語を聞くことが できる。 五味子、甘草、紅花の種などの調味料とタンポポ、さつまいもの幹、乾燥メンタイ、山菜、トラジ、 乾燥ツルニンジン、どじょう、朝鮮族キムチ、味噌、コチュジャンなど朝鮮族が喜んで買う食品を経営する30〜40余りの売台が 集中した小食品通りに入ると、延吉のある市場の道路に入ったのではないかという錯覚を覚えるほどだ。

この市場で最も早く商売を始めた朝鮮族を探したところ、龍井市開山屯から来たという朴ポクスン(56)さんを挙げる。 朴さんに よれば、彼女が青島に来たのは、開山屯紙工場を退職した1998年度だったという。 初めは韓国企業に勤めたが、自由に仕事を したくて選択したのがまさに今やっている商売だという。

延辺では、商売というものを全く知らなかった朴さんは、開放都市に来た韓国人と韓国企業、そしてその会社のためにこの都市に 来る朝鮮族を相手に僅かな元手で商売を始めた。 《商売というものが本当におもしろいと思いませんか? 初めは卑しい人々が するものだと思っていたので恥ずかしかったのですが、徐々にお金が出来て得意客が多くなるにつれて、恥ずかしいという考えは すっかりなくなりました。》 どのようにすればさらに多くのお客を呼び寄せるかを苦心することになり、顧客が望む品種を 購入することに気を遣うことになったのだという。 ちょうど漢族のお客が大根漬けやニンニク塩漬けのようなものを買っていく ので、漢族も朝鮮族の食べ物を食べるのかと尋ねたところ、初めはあまり買って行かなかったが、今は多くの漢族が買って食べる と語る。

《韓国人や韓国企業が多かった2〜3年前まででも、商売はかなりうまくいきました。 ところが李村にあった多くの会社が城陽区に 移り、また金融危機のために多くの韓国人が帰国して、朝鮮族も目立って減ったのです。》 彼女の話によれば、韓国企業に 勤める朝鮮族は会社が移転すれば会社について動くので、城陽区にたくさん移ったのであり、また韓国訪問就職制が実施され、 少なからぬ朝鮮族は試験を受けて韓国に行ったようだという。

10年間ほど商って集めたお金で、昨年には莱西市にアパートを作ったという朴さんは、息子(28)が上半期に実務韓国語試験の 抽選に当たり韓国へ行くことになったといって非常に喜んでいた。 夫と息子、そして朴さんまで三人家族が皆、韓国語試験を 受けたが、息子一人が抽選に当たり、残念だけれどもそれでもこれからも機会があるから、韓国に行くのは近いことだろうと 話すのであった。



李村市場で最小年齢の朝鮮族を探したところ、牛肉売台を経営する黒龍江省佳木斯湯原出身の朴ジンファ(男25)氏であると、 誰もが親指を出して持ち上げる。 《商売が本当に上手です。》

高校を卒業した2004年に父について青島に来た朴ジンファ氏は、青島に来る時の目的は今の牛肉商売ではなかったという。 故郷で米加工工場を経営していた父親が、故郷の米を青島に進出させてみようと努力していた時だった。 しかし実際に青島に 来てみると、事情は違っており、牛肉商売の方向に変えることになったという。

牛肉をあまり好まない漢族に比べ、牛肉を好む朝鮮族が大挙青島の土に押し寄せて牛肉供給が需要を満足させることが出来ないと いうことに気付いた朴氏の父親が、牛肉商売を選択したのだ。

《泣きながらただ耐えるしかありませんでした。》 朴氏はその時の状況を回想して泣きそうな顔になったかと思った途端に微笑んだ。 高校を卒業してすぐに他人の前に出るのも恥ずかい若さで、牛肉商売をさせられるのは本当に嫌だったという。 今になってみれば、 それが全て経験になり財産になったのだ。

李村市場の肉類売台は、肉に水をたくさん注入することで噂の高いところだ。 朴氏は自分から牛肉を買っていく大部分のお客が 朝鮮族や韓国人なので、漢族の商売人たちのように水で薄めることは出来なかったという。 そうすると、毎日一匹ずつ牛を 捉えていたが、他の売台よりさらに早く売ることが出来るようになった。 それを目障りに思った漢族の商売人たちが、放って おくわけがなかった。 一度は牛肉を運んでくる途中、誰かが彼の牛肉にペンキをかけ、牛肉を捨てさせるようにしたことも あったが、それが地方新聞に掲載され、大衆の関心を呼び起こし、彼の牛肉はさらによく売れることになったのだという。 李村付近で飲食店を経営する朝鮮族の大部分は、彼の常連になったし、彼の牛肉を買ってこそ安心出来るという。

城陽市場にも牛肉売台を一つ用意して、父親が直接経営しているという朴氏の家について、周辺の商人たちは真に商売の進め方が 早い人々だと語る。

名前を明らかにしたくないという某おばさんは、記者にこうした話も聞かせてくれた。 《私たち朝鮮族は、一つにならなければ ならないのに、あまり固まりたがりません。 以前、各自広がって物を売っていた時は、一ケ所に集中しようと心を共にしました。 ところが実際に一ヶ所に集中して商売をすることになると、また地方によって割れて行き、分かれたのです。 黒龍江とか吉林とか 延辺とか言いながら、本当になぜこうなってしまうんでしょうか?》

東北3省の様々な地区で様々な職業に従事し、勢いのある改革開放の波に乗って青島の地に南下して李村市場という小さな垣根の中に もう一つの朝鮮族の町を形成した彼らは、小さな自らの努力で新しい部門を創造している。 朝鮮族であれば嬉しく、朝鮮族で あれば兄弟のように思っていたが、実際に多くが集まるとまた地方によって別々になるという話を聞くと、なんだか胸が痛む。

だが胸の痛む日も、そう何日も残っていない。 9月28日に発布された《青島市河道管理条例(草案)》には、川底でのジプシー 貿易活動を厳禁すると明確に規定されていた。 この条例が通過すれば、100年余りの歴史を誇る李村市場も永遠に消えてしまう ことになり、またそのためにそこでメンタイ、コチュジャン、味噌などを売って生計を維持していた朝鮮族商人たちも、やむを 得ず引き返さなければならないためだ。

あちこちに分かれればまた互いに懐かしがる彼らを後にして、記者は足取りの重い帰途についた。

(吉林新聞 2009年10月7日)
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