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[社会] 煙台−消え行く韓国人《風呂敷包み商売》通り


▲消え行く国際埠頭が寂しい

一時は賑やかだった北馬路国際埠頭の町並み

国際埠頭と駅が並んで位置している煙台《北馬路、韓国人が船に乗って最初に煙台の土を踏む場所が、 まさにこの国際埠頭である。 彼らが出入りするようになって、この一帯には何よりも韓国と朝鮮族の 《風呂敷包み商売人》たちが次第に集まって来始めた。 そこに似合う韓国料理店と農産物特産品店と物流、 貿易業者たちが集まって来た。紙屑のようなみずぼらしい平屋は、賃貸料が安い反面、韓国の風呂敷包も商売人たちが 頻繁に出入りし、古くなった店は殆どが家を建て金持ちになった。 韓国料理業が1995年、そして農産物贈物センターを 中心に経営する商社が入居し始めたのが1996年度であった。 その後、物流会社が進出し始めた。 その他の市場と 健康院、職業紹介所などのサービス企業が進出し、これまで総計50〜60店ほどで韓国街を形成した。 何年か前に 設立された煙台国際埠頭の建物の4階にある煙台韓国人教会には、日曜日になると数百人余りの韓国人が殺到するという。

2007年、水陸空を通じた煙台訪問客が1億人を越えた。 ここには国際埠頭があるが、煙台空港も外すことは出来ない。 また毎年正月には他の地域の食堂や商店街は門を閉めるようになっても、ここは経済シーズンを迎えて嬉しい悲鳴を 上げていた。普段の2倍、3倍程度の収入を上げることが出来たためだ。 この時こそが、また彼らには最も忙しい時期 でもあったのだ。

賑やかだった《食べ物通り》−今は昔話

しかしこのように韓国人《風呂敷包み商売人街》として賑やかだった通りが、砲撃を受けたかのように崩れ始めた。 新しい駅を建設して都市化計画によって古い建物を全て撤収し始め、朝鮮族の商売人たちと韓国人の風呂敷包み商売人たちは 窮地に追い込まれ始め、その上、韓国経済危機と国際埠頭への規制が厳しくなり、韓国人街は完全に消えることになった。

わずか1年余り前の2008年旧正月、筆者が直接取材した時まででも、北馬路国際埠頭はとても閑静な姿とは言えなかった。 その時の私たちの民族街の風景がまだ記憶に生々しい。

韓国街が形成される所はいつも《食べ物通り》が大きく拡がる。最初に開館した漢陽会館から始まり、釜山家、美味香、 民俗村、済州道、韓家プルコギ、全州会館、トンガネ、ワンカルビなど15余りがぎっしりと並んでいた。

13年前から韓国料理店を経営して今日に至った釜山家の任ケスン社長は、和龍市八家子生まれであった。 彼女は煙台〜釜山の 就航を狙って料理店をオープン、名前も釜山家とし、親切をモットーとする営業を試みた。 彼女の成功の秘訣は、安い食事代と 親切なサービス態度にあった。 任社長の話によれば、始めたばかりの時は、およそ半分程度が残った利潤が、最近は20%程度に しか残らないという。 お客もさらに多く増えたものの、代わりに税金、物価などがぐんと跳ね上がったとのことだ。 現在、 彼女は北馬路国際埠頭がダメになったので、付近にあるバス停留所に屋台式の食堂を作って継続している。

3年ほど前に開業した全州会館の社長は、間もなく還暦を迎える韓国の女性料理人だ。 彼女は、煙台への観光へ2回来て、 ここが気に入って居座ることになった。 彼女は、テグタン、アグタンなどスープ類の食べ物をよく作る。 韓国人より 中国人が多く訪れるといい、今回の旧正月前には普段より二倍程度のお客が来て、忙しく過ごしたと語りつつ微笑を 浮かべた彼女の姿も、今は生々しく記憶に残っているだけだ。

商社、今はグッバイ

最盛期において最も古くからの商社・テリョン商事を始めとして、帰郷会商事、長白山商事、煙台ウォルヘ商事、釜山商事、 クムウォン商事、ハンチプ商事など、薬材や農水産物の商売をする15余りの店が国際埠頭を囲んで立ち並んでいた。

《以前は商売がうまくいきました。 今は風呂敷包も商売も旬が過ぎてしまったようです。》

吉林から来た龍虎商事の責任者が空しそうに語った話も耳に残っている。

鹿茸、人参、唐辛子、ゴマ、いしもち、油など農水産物と特産品を、一時の帰郷の際に立ち寄って、帰国土産として買って 行った韓国人たちを狙って、埠頭に我が民族が経営する商社が一つ二つと増え始めていた。 韓国での日雇い労働を無視する 韓国人たちは、風呂敷包み商売に集まり始め、彼らを相手にする朝鮮族が販路の問題がないからと商社をたくさん作り、 物品とその種類が急激に増え始めていた。 多くの店で少なくとも50種類余りの特産品を陳列していた。 しかしそれも 何年かだけで、韓国人が船のチケット代程度の儲けにしかならないと文句を言い出してからは、次第に衰退するように なって行った。

まず、煙台、釜山、群山就航が次々に碇をおろした。 相次いで韓国側の税関制限政策が大きく発動された。 同時に 韓国経済が急激に衰退し始めた。そこに、隣り合わせるように駅が新設され、付近の古い建物も撤収することになり、 国際埠頭も大きな影響を受けることになった。

仁川からの船が一週間のうち月、水、金曜日に到着すると、数百人が訪ねてくる時もあった店に、最近はお客が激減して 20人余りも訪ねて来ることすら少ないと紹介するある韓国人経営商社の社長の話が、最近は思い出される。

舒蘭から来た、プーアル茶の商売をする責任者は、現在は漢族が競争に出て来ているため、商いがさらに難しくなったと 紹介する。 現地人が社長の星光商社(社長・侯文革)は、他の店より種類の数も多くて誠実に商売をしており、韓国人も たくさん訪れ、安心して荷物を預けたりもしたとのことだ。 星光商社で会った韓国人の一人は、中国では何でも安いので、 観光に来たついでに、ゴマ油一缶買っていくと語った姿も思い出す。そして、中国製品だからといって全てが質の悪い偽物 であるということはない、と話してもいたのだが・・・。

父親の事業を受け継ぎ、3年前にゴマ油を専門とする朴氏ゴマ油店を出した朴ビョンジュ社長は、以前は店舗を構えずに 商売をしていて良い結果にならなかったものの、今はサラリーマンよりも良いと話していたが、店の看板を下ろすこと になり、どんなに辛い気持ちだろうかと思う。

地理的なメリットを受けた貿易運送業者も今は...

特に、運送業者も埠頭を持つ地理的な位置を利用して設立され始めた。 特産品の商売をする店が貿易と運送業を 兼ねて運営する場合も多かった。 風呂敷包み商売人たちも、商売をしながら運送業者を利用するためだ。 KGB宅配、 アジア貿易、仁川物流、コリョン貿易、クムミョン商事、ホンラン貿易など20余りがあった。

20年余りの経験を土台に、2006年9月に中国に進出して、中国本社を煙台に置き、全域に13の支社を設立したKGB物流グループ 煙台宅配は、昨年、北馬路埠頭に会社を移して来た。 KGB宅配は、韓国に3000ヶ所余りの営業所にピックアップおよび配送が 可能で、居間から居間まで正確で速くて幸せに運送するという経営理念で歓迎されていた。しかしKGB宅配も都市撤去計画に 対してはどうすることも出来ず、席を明け渡すほかはなかった。

この他、韓国マート、健康院、美容院、ゲームセンター、職業紹介所が出来ていた。 これらも10店程度を占めた。 マートは70〜80%が韓国食品と小物だけだったので、現地人たちはあまり訪ねて来ない方だった。

チョンヘスーパー、イルドマート、チョンヤンマートがある北馬路では、イルドマートが賃貸料では比較的高い方だが、 国際埠頭の入口という最高の位置にあって商売が最もうまくいっていたものの、やはり今は撤退してしまった。

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風呂敷包み商人たちが法を犯して、密輸している間、看板や表札もかけずに運営する店は多かった。 その上に、 商売人と商売人、店と店の競争による争いが、暴力事件に発展するケースも多く、またこの地にルームサロン、アンマなどの 退廃業者も入って来て、騒々しい社会世論を生み出したりもした。

しかし今はみな昔話になった。 新しい駅を建設することになり、2008年末から紙屑のような平屋も解体移住を免れなくなった。 さらに国際埠頭政策が厳格になり、風呂敷包み商売人たちの足が遠のき、その上、韓国経済危機を迎えて、韓国人の足が 徐々に途切れ、農産物、特産物店も《門》を閉ざすことになった。 日照りの畑に残る豆の木の如く、いくつも残って いない食堂とマートの外には、韓国人街は徹底的に消え去ることとなってしまった。

(吉林新聞 2009年7月11日)
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