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[文化] 労務者出身、延辺おばさんの世界優勝神話

女子格闘技世界王者になった延辺生まれの沈英姫氏



◇年齢とは関係なく絶えず挑戦する精神
◇夢に向かい目標をたてて不屈の意志と精神力でその夢を成し遂げた人
◇それがまさに沈英姫氏の精神であり私たちの朝鮮族女性の精神だ!
◇そのような精神があったので労務者出身の平凡な延辺おばさんが世界チャンピオンになり、
そのような数多くの延辺女性が延辺の発展と家庭の幸福のために中国や世界の津々浦々で絶えず挑戦している。
◇成功に向けて夢を見る延辺おばさんのあくなきチャレンジ精神は、本当に偉大だ!

今、6万人余りの中国朝鮮族訪問就業制待機者が静かに待っている。

6月22日、韓国訪問就職の上半期抽選で、新たに1万 2800人余りが韓国行きのビザを受けることになるためだ。

韓国法務部の最近の統計によれば、今、韓国にいる中国朝鮮族はおよそ40万人に及ぶ。

故郷や親戚を離れ、異国他郷でより良い生活を求めるという素朴な夢一つを大切に抱いたまま、 懸命に生きている中国朝鮮族の労苦に拍手を送りたい。

2月、世界女子格闘技チャンピオンとして世界の頂上に駆け上がった延辺生まれの沈英姫(46才)氏が、故郷の 延吉で自身の成長過程を振り返る特別講演会を開催した。

講演会で沈英姫は、自分でもやはり韓国での出稼ぎだけで満足せず、夢とビジョンを抱いて毎日毎日熱心に 努力したからこそ、成功した今日に至ることが出来たのだと思う、という虚心坦壊な話を聞かせ、人々に深い印象を残してくれた。

格闘技といっても、実のところ私たちには馴染みが薄い。

蹴ったり、殴ったり、とにかく人間が使えるあらゆる技術が許され、地球上のスポーツの中で最も残酷な競技だという。

それゆえ、格闘技といえば一人前の男たちですらぞっと鳥肌が立つほどなのに、韓国へ出稼ぎに行った延辺の女が、 このような競技で世界の頂上に駆け上がったというのだから、想像もしにくいだろう。


▲韓国の有名な政治家・朴槿恵が2007年6月に米国を訪問した時、密着警護をした沈英姫氏(左から2番目)。


▲チャンピオンへの挑戦競技で、沈英姫選手がマルチネス選手の腕を取り、タッピングを奪った瞬間。

ジムへ食べ物の配達に行き、格闘技と出会う

延吉生まれの沈英姫氏が韓国への出稼ぎに出たのは1988年。目的はただ一つ、他の労務者たちと同じように金 を儲けて幸せに暮らしたいとの思いからであった。

格闘技と縁を結ぶことになった過程を、沈英姫氏はこのように回顧した。 《金を儲けるためならば、手当たり次第に 何でもしましたよ。 食堂、美容院、ひいては日当3万ウォンを払うというので男でも敬遠するタイル貼りまでやりました。 食堂で食べ物の配達をしていた時、一度、あるスポーツジムへ配達に行き、格闘技チャンピオンの李珏秀(現世界格闘技連盟 事務総長)館長の大きな写真を見て、私もチャンピオンになりたいという思いが突然沸き起こりました。食堂のお手伝い如きが、 概念さえ分からない格闘技をするとは情けなかったのか李珏秀館長は、何が出来るのか、一度足で蹴ってみろといいました。 幼い時に器械体操を習ったことがあったので、足が上手くまっすぐに頭上に上がりました。 やりたければやってみろといわれ、 本当に感謝しました。 その時から格闘技に没頭するようになりましたよ。》

テコンドーを習うためにはお金が必要だった。彼女は昼間は仕事をして、夜はテコンドーを習いつつ、野心に充ちた格闘家へ の夢を育てた。

世界王者に挑戦…延辺の気迫を見せたかった

記者:《韓国から米国へ行ったのはいつですか? どのようにして王者に挑戦することが出来るようになりましたか?》

沈氏:1998年に米国に行きました。 韓国でいくらやっていても、所詮は井の中の蛙にしかなりませんからね。 世界チャンピオンになりたければ、米国へ行かなければならないです。 その時はすでに結婚して息子までいました。 年齢三十を越えてからでしたね。 世界の頂上へ上がれたのには、世界合気道連盟・金ユンベ総裁の助けが大きかったです。 当時彼は米国にいて、ジムも持っていました。 その時も私はお金を稼ぐために、ものすごく苦労して仕事をしており、 その一方で夕方になれば武術を習いましたよ。 2002年末でしたか、ある日、友人と一緒にコーヒーショップへ行って、 韓国にいた時に知っていた金ユンベ師匠に出会いました。 師匠は私の情況を聞いて、格闘技チャンピオンに一度挑戦して みないかとおっしゃるので、私は2003年から彼の下で合気道を習い始めましたよ。 その時、事業を始めてみようかと思って 何万ドルかを貯金していたのですが、運動のために全て使いました。 家も安いところに移り、車まで売りましたよ。

沈英姫氏は一日10時間以上訓練したが、経済難のために十分食べることが出来ず、貧血にかかって倒れたこともあった。 しかし王者になるため、険しい山を何度も越えた。 黒人をはじめとする外国選手らと48回の競技をやったが、45勝3敗と いう好成績を上げ、それにより米国やメキシコで名を馳せるようになった。そしてついに彼女は、世界王者に挑戦することに なった。そうなるまでに米国で9年間、その時、彼女の年齢は44才だったが、相手は彼女の年齢の半分にしかならない22才の メキシコ女子格闘技のスター、マルチネスだった。

記者:運動選手としてみれば、その年齢ならば、おばあさんと言っても過言ではないと思いますが。

沈氏:多くの人々が心配してましたよ。 でも、年齢がなぜ問題になるのですか?朝鮮族にだって出来るんだという自信で チャンピオンベルトを必ず取ってやると私の抱負を語ったこともありました。

2007年3月、メキシコの首都メキシコシティで挑戦、観衆は何と7000人近くもいた。挑戦試合で、彼女は名高いマルチネスを 2回KOで破り、頂上に駆け上がった。その試合で、マルチネスは右腕が外れてしまい、たまらずにギブアップしたという。

記者:本当に凄いです。 ところで、チャンピオンベルトを巻くことが出来た原動力は何であり、社会世論の反応は どんなものでしたか?

沈氏:延辺の40代のおばさんが世界チャンピオンになった、と新聞、放送で頻繁に報道され、米国にいた同胞たちが 祝賀パーティーも盛大に開いてくれましたよ。 成功の原動力がどこから来たのかといえば、まず私たちの延辺の気迫を 見せたいという気持ち、個人的には苦労をかけている息子に堂々と成功して見せたかったということです。

その年、沈英姫氏に敗れたマルチネス選手が再挑戦をしてきた。 沈英姫氏はこれに応じ、11月18日、メキシコシティ 総合競技場で再戦競技が行われることになった。 ところが、あろうことかマルチネスが試合直前に棄権をしてしまったのだ。 沈英姫氏がそれだけ恐ろしかったということなのだろうか。

彼女は40代半ばのおばさん現役選手だ。 合気道5段、武術5段、剣道5段など、合計で15段。体の上を乗用車が通り過ぎても びくともしない、それこそ《恐ろしい女》だ。 現在、彼女は米国やメキシコでも有名だ。 2007年6月、韓国の有名な 政治家の朴槿恵が米国を訪問した時、密着警護員として活躍、その前に米国大統領賞を受けたこともあった。

武術総合ジムを運営…《障害者を育てるチャンピオン》に

沈英姫氏は現在、米国ロサンゼルスで武術総合ジムを運営し、次の世代の養成に力を尽くしている。 彼女の教育方式は、 非常に独特で、最も重要と考える4つの徳性は、《礼儀、正直、忍耐、不屈》だ。 彼女は200人余りの弟子たちに、 武術は決して《戦い》ではなく、自分に勝つことであるという点を強調する。 結局、人間教育が運動に結びついた 東洋の教育理念であり、多くの父兄たちからも賛同を受けている。沈英姫氏は当地で青少年麻薬退治会長として活動しており、 また土曜日ごとに障害者協会へ行って無料で武術を教えており、実は障害者の子供たちにも《やれば出来る》という 精神力を教えたいのだという。 自分の息子のように慈しみ、3年間努力した結果、何人かの子供たちは歩けるようになり、 《障害者を育てるチャンピオン》と呼ばれ、注目を集めるようにもなった。

一言で言えば、彼女は試合をする時は恐ろしい女、人助けをする時は慈愛深い母親だ。

記者:今後の計画はどんなもので、故郷の人々に言いたいことはあるか?

沈氏:まだまだ満足してません。 これからもジムをしっかりと運営して、次世代の養成に努めます。 条件が合えば、 延辺にもジムを開きたいです。 今、世界が不景気に瀕していますが、どんな分野でも年齢とは関係なく常にやれば 出来るというチャレンジ精神で人生を生きれば、きっと役に立つでしょう。

年齢とは関係なく、絶えず挑戦する精神、 夢に向って目標を立て、不屈の意志と精神力でその夢を成し遂げられた人、それがまさに沈英姫氏の精神であり、 私たち朝鮮族女性の精神ではないだろうか。 そのような精神があったからこそ、労務者出身の平凡な延辺おばさんが 世界チャンピオンになり、沈英姫のような数多くの延辺女性たちが延辺の発展と家庭の幸福のために中国内や世界の 津々浦々で絶えず挑戦している。成功に向かう夢を見る延辺おばさんの絶え間ないチャレンジ精神は本当に偉大だ!

(吉林新聞 2009年6月20日)
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