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[社会] 紅色教養基地、延辺革命烈士陵園

敷地面積9万平米、民族特色と時代精神を具現

 

編集者の話:今年は建国60周年になる意味深い年だ。 新中国の誕生と共に、過ぎ去った60年間の 華麗なる歴史は、中国共産党、社会主義、改革開放、偉大な祖国の素晴らしさ、各民族人民が立派で あることを雄弁に示唆してくれる。 新しい時期の挑戦と機会を前に、より一層素晴らしいより一層早い 経済社会発展を推進し、理想社会の全面的な建設という勝利を成し遂げるのは国民の念願であり、時代が 私たちに付与した使命でもあり、目標でもある。 この遠大な目標の実現のため、中華民族の愛国主義の 情熱を一層喚起し、民族精神を一層奮発させ、信心をより一層培う作業が前提として必要になる。 本紙は 今日から、時代のリズムに同調し、我が州の愛国主義教養基地と紅色観光風景区、英霊たちの史跡に関する スケッチとともに、改革開放30年間の輝かしい成果をシリーズで扱う。 読者の多くの参加と愛読を期待したい。

陵園の本来のイメージは王や王妃など王室の墓を通常的に指す言葉であるが、社会主義圏では革命烈士、 愛国烈士の墓や位牌を作り、特別に管理する地域についても称する。

延辺で最初の烈士記念碑が図們市内に作られたロシア(旧ソ連) “赤軍烈士記念碑”とすれば、最初の烈士陵園は “延辺革命烈士陵園”(以下、陵園と略称)だ。前任中共中央総書記・江沢民、前任中央顧問委員会副主任・ 宋任窮、中共中央政治局委員兼国務院副総理の張徳江の親筆による題字が総動員された陵園は、延吉市人民公園の 北側の丘に位置し、敷地の総面積が9万平米に達し、建築総面積は6165平米で、雄壮な牌楼、烈士記念碑、大型 彫刻群像、烈士記念館、烈士陵、烈士納骨堂で構成され、その規模は膨大で民族特色と時代的な精神を謳歌している。

記者が陵園を訪ねたのは8日午後2時頃であった。 朴恩周主任(49才)が勤務中にも関わらず記者をにこやかに迎えて くれた。 関係者とともに陵内の掃除をしていた朴主任は、軍人出身らしく性格も快活だった。 朴主任は陵園に ついての資料を提供し、陵園について簡略に紹介をしてくれた。 “烈士建築物全国重点保護単位”と命名されただけに、 烈士陵園は牌楼からして荘厳だった。 牌楼は、以前から中国の大きな通りや施設、墓、公園などの入り口に建てられた 大きな正門だが、陵園の牌楼は施設の象徴といっても過言ではないほどに荘厳だった。 牌楼には前任中央顧問委員会副主任 だった宋任窮が書いた“延辺革命烈士陵園”という扁額があり、青空を突いて聳え立つ烈士記念碑には前任中共中央総書記 ・江沢民が書いた“革命烈士らは永遠に不滅である”という文が縦に彫られていた。 そして後方には中共中央政治局委員 であり国務院副総理の張徳江が“延辺革命記念館”と書いた記念館が記念碑を背景に丁寧に位置していた。 記念碑の前に ずらりと新しく建てられた花崗岩の彫刻群像があるが、長さが10mほど、広さが5.20m、高さが5.80mの群像には突撃銃を 握って火薬の束と手榴弾箱を頭に載せた朝鮮族婦女と老人の群像が彫られている。 突撃ラッパを吹く戦士の姿もあり、 当時の壮烈な戦闘風景をリアルに表現している。

前任国家文化部副部長だった賀敬之詩人が延辺の視察時に“山ごとにつつじ、村ごとに烈士碑…”という 有名な詩句を残す程、延辺は光復後から烈士碑を建てたが、これは旧ソ連の記念碑文化の影響に起因したものだ。

50年代の統計によれば、延辺の革命烈士は1万 3千人で、そのうち朝鮮族烈士が吉林省烈士総数の40%を占め、 朝鮮族女性烈士は吉林省女性烈士総数の95%を占める。 延辺では、抗日戦争で3125人が犠牲になったが、朝鮮族が 3026人で99%を占め、3年間に及ぶ解放戦争で4313人が犠牲になり、朝鮮族が3713で86%を占め、抗美援朝戦争 (朝鮮戦争)で8014人が犠牲になり、朝鮮族が7773人で97%を占め、中国革命と共和国の創建に不滅の功績を打ち 立てた。 社会主義革命の時期に烈士として追認された人々まで合わせれば、我が延辺の烈士が1万 5970人と通計 される。 現在、我が州には520ヶ所に及ぶ烈士記念碑がある。 陵園はこれらの記念碑の総体として1964年から建設 し始めたが、文化大革命の影響で中断され、1992年11月30日に定礎式を挙行して施工され始め、現在の陵園が建設された。

何年か前から、陵園では“9.18を忘れるな” “抗日戦争60周年記念”等、一連の愛国主義大型類同展覧20回ほど 開かれ、州内の学校、機関、企業と部隊将兵らを対象に、革命烈士の足跡を探り、先人たちの残した業績を現場で 視覚的に見て回顧する教養基地としての役割を高めた。現在まで、韓国、シンガポールをはじめとする他国人と 国内観光客40万人が陵園を訪れた。その他にも、彼らは旧紅軍戦士たちをたずねて、報告会、巡回展覧など各種 の教養活動を絶えず行い、陵園を名実共に愛国教養基地として浮上させた。

陵園は、牌楼から記念碑、記念館、彫刻群像に至るまで、あまりにもよく似合い、陵園のイメージを如実に見せて くれており、紅色観光基地としても遜色がない。陵園は国家民政部、省、州から次々に愛国主義教養基地と命名 され、中共中央宣伝部から“全国愛国主義教養モデル基地”の称号を授与された。 その他にも“吉林省党史教養基地”、 “延辺州党史教養基地”と命名され、国家民族事務委員会から“全国民族団結進歩教養基地”と命名され、 延吉市党委から“民族団結進歩モデル団体”の称号を授与された。

紅色観光は国家が推奨する事業だ。 延辺烈士陵園は、自らのイメージとその独特・雄壮な建築の特色で、 紅色観光基地に浮上する条件も充分に整えている。 延辺での観光コースには延辺革命烈士陵園が必ず含まれる べきであり、またそれにともなう記念品も必要だと指摘されている。 そんな日が来ることを期待したいものだ。

(延辺日報 チェ・ククチョル記者 2009年6月8日)
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