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![]() [社会] 本当に韓国へ行きさえすれば大金を稼げるのか? 第15回実務韓国語試験を受けて ▲試験が終わるやいなや複雑な心情を現わした受験生たち こんなに多くの人々がすべて韓国へ行ったら、どうなってしまうんだろうか? 4月 19日午後 2時、吉林大学附属中学校で実務韓国語試験を受けることになった。 小学校教員なので、訪問就業が 目的ではなく、訪問就業ビザを取っておけば休み期間に韓国に出入りしやすくなるだろうと思うからだ。 午後 1時 20分をやや過ぎて試験場に到着すると、学校の庭先は試験を受けに来た各地の朝鮮族でごった返していた。 顔が炎天の日差しに焼けたかの如く紅潮した彼らを見た瞬間、私は優越感を感じた。 試験場の庭先で私は、以前に教えた学生の父兄にも出会った。私に試験監督をしに来たのかと聞くので、ちょっと 恥ずかしかった。 私のために、彼らが韓国へ行く機会が少なくなってしまわないだろうかと心配になった。 午後 1時 30分になり、私は満ち潮のように押し寄せる人波の中に挟まって、ほとんど押し流されるように試験場 に入って行った。 《こんなに多くの人々がすべて韓国へ行ったら、どうなってしまうんだろうか?》 《誰もがすべて韓国へ行けるわけないでしょ?》 彼ら同士で交わす話もポツリポツリと聞こえる。 田舎風のお爺さんお婆さんたちも試験場へ 6階にある試験場に入ると、田舎風のお爺さん、お婆さんたちが座っている。 私も密かに胸が切なくなった。 韓国へ行けば大金を稼げるという夢一つで、その年齢にもかかわらず試験場に来た彼らだ。 また若者たちは、それでも韓国へ行けば中国で稼ぐより何倍も多く稼げるはずだという確信を持って試験場に入って 来たはずだ。 多分誰もが、試験さえ受かれば韓国へ行って大金を稼げると思っているのだろう。 午後 2時、試験が正式に始まった。 午後 2時から 3時 30分まで、まず 《挿絵》 試験を受けた。 試験監督の先生が試験用紙を配ると、教室の中は異常な 雰囲気に包まれた。 20〜30年ぶりに受けた試験なので、受験番号が何番か、どこにどのように書くのか真っ暗闇だ。 私は元々 《つまらない事》に干渉するのが好きな性格なので、監督の先生に、この人たちは初めて試験を受けるのだろう から、初めから細かく説明をしてあげて欲しいと頼んだ。 監督の先生は、吉林大学の修士研究生だった。監督の先生は漢族だったので、漢族の言葉で説明してくれたが、延辺人、 特に老人たちはそれを聞き分けることが出来なかった。 実のところ、その時私は、私が直接前に出て説明したかったが、 出しゃばり過ぎに見えて、喉元まで上って来た言葉を無理やりに堪えた。 聞かれればそのまま答案を読んであげたいような気持ち 《挿絵》試験は 60題だった。 私には朝飯前の問題だった。 前に座ったおじさん、そばに座った梅河口から来た お婆さん、後に座った琿春から来たお婆さん、その後に座った延辺のおばさん、その横の少女に至るまで、誰に聞かれても 一つ一つ答を教えてあげた。 いや、そのまま答を読み上げてやりたいような気持ちだった。 子供たちが皆韓国に行っているので、ただ見物のために韓国に行って見たいという動機で試験を受けに来たという琿春の お婆さんは、試験を受けるとなると手が震えるという。 私が後ろ向きに座って答を見せてあげた。 間違った答えは直してあげた。 この時間、私は遠く広州にまで行って試験を受けている父が、どのように試験の答案を書いているのか、60歳の年齢で 鉛筆を握った手が震えないかと心配になった。 韓国に行くのだと言って、その長い道のりも厭わずに汽車に乗り、 乗り込んだ父、その後姿が切なく思い出される。 午後 3時 35分、《聞き取り》試験が始まった。 聞き取り問題は 30題だった。 聞き取りは録音機で一問を二度ずつ読み、 その時間がかなり長かった。 余裕があったので、私は聞き取り問題を解きながら、同時にその後の読み取り問題も解いた。 ところが、聞き取り 17、18番の問題を解いていた時だった。 17、18番からは一問を聞いて二つの問題を解かなければならず、 問題の内容をしっかりと聞かなかった方々が、問題が間違っていると文句を言い出したのだ。 監督の先生は私の方を伺う。 私が 《間違っていない》と言うと、そのまま続けた。 聞き取り問題が終わる頃には、私は読み取りの 24題もすべて解いていた。残った基礎素養問題 6題もすべて解いても、 時間が 40分程残った。 前に座ったおじさんは、最初の問題から私の答案を書き写した。 会話も聞き取ることが出来ない人々が韓国へ行き、恥ずかしい思いをしないか心配 問題をすべて解き終わり、残った時間の間、私は何かを書かずにはいられなかった。 《韓国へ行けば必ず大金を 稼いで来られるのか? お金が必要だからといって、明らかに多難な道であることを知りつつ、それすらも行くことが 出来なくて苦労しなければならないのか。》 3年前、私は冬休みを利用して韓国へ行き、一ヶ月半ほど滞在したことがある。 中国朝鮮族だからといって向けられる 妙な視線、それでも私は教員という自負心があったので耐えることが出来た。 しかし、会話もまともに聞き分けることができない人々が、韓国式の英語を自国語のように多く使う韓国へ行ったら、 どんなに蔑まれるかと思うと、本当に胸が痛かった。 午後 5時 5分、試験が終わって身分証を返してもらってから退席しようとすると、後に座った琿春のお婆さんは、 私に出会えて運が良かったとお礼を言った。 横に座った梅河口のお婆さんも感謝すると言った。前に座ったおじさんは、 夕飯をご馳走してあげると言う。 私のおかげで試験がうまく出来たといいながら・・・。 私はただ彼らに《無事に韓国へ行って、お金をたくさん儲けて来て下さい》と挨拶だけして試験場を出た。 試験場の外では、自分が乗って来たバスを探し回る朝鮮族を見ながら、私は彼らの韓国行きが訳もなく心配になる。 自分が乗って来たバスさえもなかなか捜すことが出来ない人々が、韓国へ行ってから一体どうすればいいというのか・・・。 (吉林新聞 2009年5月8日)
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