![]() |
中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト | Search by Google: | ||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||
![]() |
![]() [特集] 韓国のチャイナタウン 100年ほど前に出来た仁川から朝鮮族一人、二人と集まり、加里峰洞まで... 華僑たちは、人里離れた島国の日本よりも、韓国の方が排他的だと考える。彼らは今日も ソウルにまともなチャイナタウンがなく、残念だと言う。ソウル市がタウン指定を発表すると、 地域住民が反発するほどだ。 中韓修交 17年目を迎えたが、中国と韓国間の距離はまだ黄海の幅程に遠い ままだ。 華僑たちが一人、二人と集まって作り上げたソウルと仁川の多様なチャイナタウンには、私たちの生活、歴史が共にある。 ▲チャイナタウンに出来た第一牌楼(門)。中国山東省威海市が寄贈したこの牌楼は、チャイナタウン再起の象徴だ。 ◆仁川北城洞・善隣洞一帯 仁川北城洞・善隣洞一帯のチャイナタウンが今日の姿を見せるようになったのは、僅か 10年ほど前のことだ。 1960〜70年代、 韓国社会の法的、制度的抑圧と差別を避けてチャイナタウンに居住した中国人たちが、台湾やアメリカへと基盤を移した。 2000年の中国人の韓国旅行自由化と、2001年の仁川国際空港開港、 2002年の北城洞チャイナタウンに中国系メキシコ資本が 投入され、初めて仁川チャイナタウンに ‘新華僑’らが大挙入居し始めた。 チャイナタウンには合計 3つの牌楼があり、その中でも第一牌楼はチャイナタウンの再起を意味する象徴的な建築物だ。 仁川市中区と姉妹提携した中国山東省威海市が無償で寄贈した第一牌楼は、中国政府が 2億元をかけて直接製作した。 中国政府や地方自治体が、異国に牌楼を無償寄贈したのは初めての事だった。 第一牌楼から北城洞事務所を経て右側に入れば、ジャジャンミョン通りに至る。韓国初のジャジャンミョン通りであるこの 一帯には、最近、昔の伝統を受け継ぐ清朝風の料理店が一つ、二つと増えている。 30年伝統の‘風味’、昔の「共和春」 料理長の孫が運営する紫金城、大昌飯店、常源などだ。
新浦市場は韓国のグルメファンとしては外せない所だ。 今ではフランチャイズ食品として広く知られた‘新浦餃子’が、 ここで誕生し、チョル麺が最初に作られた所でもある。 今は餃子とパン類、鶏の唐揚げが有名だが、片手で掴みきれないほど 大きな饅頭は 1個でたったの 500ウォン。 饅頭を一つずつかじりながら、近くの塔洞の丘の上にある塔洞聖堂を見回るコースも お勧めだ。 ◆加里峰洞 ‘延辺通り’ 仁川チャイナタウンが 1884年協定による租界地を中心に形成されたのに対し、ソウル加里峰洞は自然発生的に出来た ‘リトルチャイナタウン’だ。 九老工業団地で働く朝鮮族が 10年ほど前から近くに巣を作り始め、通称 ‘羊串肉通り’、 ‘延辺通り’が生まれた。 夕方、帰途に加山デジタル駅と南九老駅からゾロゾロと出て来る朝鮮族たちに付いて歩いて行くと、すぐに延辺通りに至る。 加山デジタル駅の付近を派手に飾っていた現代式の建物は減り、安っぽい 2、3階の建物が現われ始める。 内壁が露出したセメントの建物やところどころ崩れた赤い建物の間に、赤い中国語の看板が目立つ。 加山デジタル駅から南九老駅の方向 5分ほどの距離に ‘同胞タウン’という名前の狭い市場路地がある。 羊串肉特有の匂いがプーンと漂って来る、まさにその場所が延辺通りの入り口だ。 加里峰洞の名物である羊串肉は、中国東北部地域で好んで食べられている土俗料理だ。 ウイグル族が好んで食べる食べ物が、 長年の遊牧生活を経て朝鮮族にまで広がって行った。 油が適当に付いたマトンの肉片を串に並べて刺し、 ‘孜然’という中国の香辛料が入った薬味をたっぷりと塗る。 焼き網でこんがりと焼けば、マトン特有の臭みが消えて、 やや辛い香りだけが鼻先に残る。 価格は一串につき 600ウォンほど。中国産の青島ビールが羊串肉店ごとに用意されている。 ◆小公洞華僑通り ソウル市内のチャイナタウンといえば、通常は小公洞を指す。2002年まで小公洞にあった中国大使館を中心に、華僑学校と 中国食堂、両替所が整然と並んでいた。ここのチャイナタウンが衰落の道を歩むようになったのは、 1970年代の初めからだ。 当時、ソウル市が 18階規模の華僑会館を建てるという名分の下、市役所広場の前の華僑商店街を撤収させた。 しかし約束は守られず、基盤を失った華僑たちはばらばらと散って行った。 華僑学校を中心に、中国人たちが集まって住んではいるものの、その数は僅かだ。 韓国華僑連合会会長・孫徳俊氏によれば、 明洞一帯の地価が大きく上昇し、一部の富裕な中国人を除いては、多くが延喜洞一帯へ出て行ったという。 華僑たちが運営した 中国飲食店も徐々に減り、今はその数が 10ヶ所もない。 華僑学校の近くで 両替所を運営して11年目という宋ミジョンさんは、 “お客さんは華僑ではない中国人観光客が大部分。中国飲食店でも韓国の人々の方が多い状態”という。 今でも在韓中国大使館の 一帯では、中国華僑たちが屋台を開いてひまわりの種など、自国の特産品を売っている。 ‘香味’ ‘山東餃子’ などの付近で、華僑たちが運営する中華料理店では、正統な山東式中国料理を味わうことが出来る。 ◆延喜洞 ‘リトルチャイナタウン’ ソウル市延喜洞と延南洞の一帯は、華僑 2700人ほどが集まって住んでおり、 ‘リトルチャイナタウン’と呼ばれる。 1969年、漢城華僑学校が明洞からここに移り、本格的にチャイナタウンが造成され始めた。 延喜洞内の華僑学校を中心に、 30〜40軒の中国飲食店が並んでいる。 ‘梨花苑’ などでは、焼き餃子を直接作って売って おり、一般の中華料理店の焼き餃子の味とはそのレベルが違う。 一回り大きくて、肉と野菜がタップリと入っている。 冬メニューの牡蠣チャンポンはスープが白いのが特徴で、たっぷり入った牡蠣が、さっぱりしながらも深い味を出している。 ソウル市は 2007年に地下鉄 2号線・弘大入口駅の付近から延喜洞までの 300mを中華風に造成し、中国人観光客を引き入れると いう ‘チャイナタウン造成基本構想’を発表した。 しかし周辺のスラム化と交通難などを理由に、住民たちが反対し、 チャイナタウン造成は公式的に中止されてしまった。 (黒龍江新聞 キム・ユンヒ記者 2009年4月21日)
|