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![]() [文化] 図們に《清皇室先祖由来碑》建立へ 古くから図們江流域は多国、多民族、多文化が共存する地域だった。 《図們江畔第一都市》の図們は、図們江地域文化を図們のブランドとし、新しい図們建設の成長点として 活用するため、今盛んに拡張中の図們江公園広場に 《清皇室先祖由来碑》を立てることとした。 図們江は女真語の 図們色禽から出た言葉であり、図們は「満」、すなわち「多い」という意味で、色禽は せせらぎ、鳥がたくさん集まって来るという意味に解釈され、記録されている。図們江や豆満江は、女真語の同音異義語だ。 中国は満州族が統治した清時代に、世界で最大の国に拡大した。ところが 270年以上も中国を統治した清の皇室が、 図們江流域で発祥したということが、今まで世の中にあまり知られていない。 史書には、清皇室の先祖はまさに図們江中流地域である斡朵里部落から出たと記されている。 明は 1410年に吉林省琿春と北朝鮮の慶源、会寧一帯に建州左衛を設置、清を建国したヌルハチ(1559-1626)の 6代前 が斡朵里部落の豆満人・猛哥貼木児(?-1433)だった。 猛哥貼木児は建州の首領で、図們江中流地域で活躍していたが、 女真族部落間の戦争で死に、彼の死骸は今も北朝鮮会寧市豊山面に埋葬されている。 清秘史は、満州族先祖の神話は、図們江中流で、14世紀中盤以前の時代的背景で作られたものだと記録している。図們は 図們江の名前に命名された唯一無二の国境都市だ。 この何年間、図們市では図們を 《朝鮮族文化と図們江文化を世界に知らせることを趣旨》とし 《図們江文化観光》 《図們江国際凧揚げ》 《図們江地域開発開放図們発展フォーラム》 など、様々な祝祭やフォーラムの開催に続き、 去年 6月には学術界、文学界、メディア界の一部の関係者を招いて専門的に 《延辺図們江地域文化開発研究》 の集いを開いた。 《延辺図們江地域文化開発研究》 の集いで、図們市党委・朴松烈書記は、学者たちの論文と建議を詳細に聞いた上で、 十分な歴史的、文字的記録に基づき、すぐに図們に 《清皇室先祖由来碑》を建立することを決定し、この関連事業を 着実に推進することを関係部門に指示した。 先日、図們市党政責任者たちは、まもなく設立する 《図們江文化発展促進会》に委託して、現在拡張中の図們江公園広場に 《清皇室先祖由来碑》を立てることとした。 (吉林新聞 2009年4月4日)
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