xxxxxxx
朝鮮族ネット 中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト Search by Google:
ホーム 朝鮮族概要 地域紹介 政治 経済 歴史 観光 ショッピング コミュニティー お問合せ



[文化] 氷上に咲いた一本のツツジ

国家女子アイスホッケーチーム朝鮮族・金鳳玲選手のエピソード



'真心極まれば岩の上にも花が咲く'という言葉があるように、刻苦努力して氷上で花を咲かせた 朝鮮族娘がいる。 彼女こそが国家女子アイスホッケー主力選手の金鳳玲選手で、今度のハルピン 冬季ユニバーシアード大会で、中国女子アイスホッケーチームが準優勝という史上最高の成績を おさめる上でチームのゴール総数の 50%近くを決めた功労者だ。


▲競技の合間、睦まじい家族と共に

1982年、ハルピンで出生した金鳳玲は、幼い時代、当時国家女子アイスホッケーチームの初代監督 だった父の影響で、アイス・ホッケーに徐々に興味を持った。 16歳でハルピン体育学校アイスホッケー専門クラスに 入学した彼女は、一年後の 1998年、国家チームに選抜され、本格的な訓練とともに国際大会に参加し始めた。

当時、国家アイスホッケーチームは '投資が多くかかる割には実績は低調'なチームとして低迷しており、経費が特に 不足していた。そして中国女子アイスホッケーチームの大部分のメンバーたちは、編制もない '臨時工'として毎月 千元にもならない訓練補助金を受けて生計を立てていた。編制がないので、選手傷害保険を除き社会保険や 住宅公積金もなかったという。 そのため、一部の選手や監督までが他の職業に変える '下海ブーム(現実的生活へと走る風潮)'が 起こった。

''私がアイスホッケーの選手になったのは、お金をたくさん儲けようという目的ではなかったのです。 アイスホッケーは 小さい時からの私の夢で、人生の道連れだったのです。 だからどんな困難があっても諦めることが出来なかったのです。 '' 金鳳玲選手はこのようにきっぱりと語った。

一年中極めて冷たい氷の上で、一日中数十回倒れたりぶつかったり怪我をしたりしがらも、不屈の努力を繰り返した結果、 金鳳玲はチームの核心に急浮上した。 金鳳玲はチームを支えてアイスホッケー最高の栄誉殿堂である 1998年長野冬季 オリンピックで 4位、2002年米国ソルトレイクシティ冬期オリンピックで 7位を獲得した。当時、国内でアイスホッケーを している女子選手スが 2、30人に過ぎず、リーグ戦もない状況で、この成績は凄いといっても過言ではなかったろう。

競技には喜怒哀楽が伴うものだ。 国家女子アイスホッケーチームは、 2006年イタリアトリノ冬期オリンピックの出場権 をかけて 2004年 11月 14日、スイスと争奪戦をし、引き分けでも出場資格を獲得出来るところまで行っていたが、 競技終了 6秒前に1ゴールを奪われて脱落したという悲運に遭った。当時、観衆席には既に熱狂的なファンが 'オリンピック参加が確定'というプラカードを振っていたが、競技の結果は悲願とは無関係だった。 空が崩れるような 感じがしたという金鳳玲は、周囲から見る目が恐ろしく、国家女子アイスホッケーに関するニュースが恐ろしかった。 この時、国家女子アイスホッケーチームが解散されるという噂も飛び交い、人心も乱れ慌しく、低調な時期に入った。

国家チームと共に 2年間 '暗黒の歳月'を送った金鳳玲は、 2006年、チームのもう一人の主力選手・孫鋭とともに、フ ィンランドのある職業チームで技量を磨いてから帰国した。

2008年 4月、ハルピンで開かれた女子アイスホッケー世界選手権大会で A級チームとしてとどまることに成功し、 同年 11月 9日、上海で開かれた冬期オリンピック出場資格決定競技で日本チームに 2:0で完勝、 2010年カナダバンクーバー 冬期オリンピックへの出場資格を獲得し、国家女子アイスホッケーチームは復活した。

現在、チームで最年長の金鳳玲は、普段の趣味がインターネットでのチャットだ。彼女は 6年間恋愛した国家男子アイスホッケー チームの尹凱選手と 5月に結婚する予定で、結婚後はすぐにカナダへ行って集中訓練を受け、来年のバンクーバー 冬期オリンピックを迎える。

(黒龍江新聞 キム・ホ記者 2009年3月5日)
Copyright(C) 朝鮮族ネット