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[社会] 延吉−仁川、アシアナ航空便での朝鮮族たちの姿

'水を下さい' '少々お待ち下さい'

去る 12月 9日、 仁川−延吉のアシアナ航空便で大きな声で "水を下さい"と叫ぶある朝鮮族の声、 "少々お待ち下さい"と声は低いながらも優しく答えるスチュワーデス。

これは、食事時間になると朝鮮族の乗客とスチュワーデスの間で交わされる普通の対話だ。 航空機内の 食事の配置にも手順があることはもちろん、その狭い廊下をカートで食べ物を運ぶスチュワーデスたちが 水を先にくれと言われても、出す方法はないのが当然だ。また、航空機内では、食事の割当が来てから、 いろいろな要求をするのが礼儀であり道理でもある。それにもかかわらず、まだ自分に食事が届いていない にも関わらず、大きな声で水をくれと言えば、他の乗客たちは一斉にその人を見るのが当たり前だろう。 しかしそのお客には、申し訳ないと感じている様子が全く見られなかった。

筆者は去る 12月 7日から 9日まで 2泊3日の日程で延吉−仁川アシアナ航空便を利用した。

12月 7日の延吉空港。 およそ 50代の男性、それも180cmほどの長身で、私の背に比べれば頭一つ大きな人で、 おそらく訪問就業制でソウルに行く様子だった。汗をたらたら流し、あちこち歩き回り、慌てている姿が哀れに 見えるほどで、初めての出国に間違いないと思われた。

その男性は私の横に並んだ。私が航空券を受け取る順番だった。 ところが、どういうわけか、その人物がその列 からすり抜けて来て、突然に私の前へ来て立ったのだった。 少し不愉快だったが、初めてソウルへお出ましの方 と思って、後ろへ並べなどということは言わず、譲歩した。 これに気付いた空港職員が、中国語でどうして 割込みをするのか、後ろへ行って並びなさいと注意すると、何やらぶつぶつ言いながら後ろへ行って並ぶのだった。

延吉を出発してから、私はその男性をじっくり見てみることにした。 食事が終わると、スチュワーデスたちは 韓国入国申請書を中国人たちに分け始めた。 その男性も書いている様子が目に入った。

仁川空港に到着。その男性は国内人用の入国審査台に行って立った。しかし私からは、外国人審査台で並びなさい などとは言えなかった。もしかしたら、彼の自尊心を傷付けるのではないかと思ったからだ。

どんな空港でも、国内人入国審査台と外国人入国審査台が別々に備えられている。 もちろんその男性は、再び 押し返されて外国人入国審査台に並び直すしかなかった。 ところが、また問題が起こったようだった。 見かねた 私が近付いて入国申込書を注意深く見てみると、指定されたとおりに書かず、入国の際の韓国内住所と電話番号を 記入していなかったのだ。 それで仕方なく私が、入国申請書を見せてもらい、ゆっくりと落ち着いて教えてあげながら、 これらの項目は必ず記入しなければならないのだと言ってあげたところ、ようやく彼は懐に深く入れた紙を一枚を取り出して、 韓国での住所と電話番号を書くのだった。

この日も少なからぬ朝鮮族同胞たちが入国申請書を作成出来ず、スチュワーデスの助けを借りた上、さらに仁川空港に 到着しても作成出来ておらず、二度、三度と列から外れては再度作成している姿があちこちで見られた。

航空機内での秩序について少し述べたい。 航空座席は必ず番号に従って着席しなければならないのが礼儀で、 これも厳格な航空規定だ。 ところが 12月 9日に帰国する時、こんなことが起こった。 60代のある延吉行きの 朝鮮族男性が番号どおりに自分の座席に座らず、他人の座席へ行って座った。 座席がほとんど満席になる頃、 あるお客が肩を叩き、その 60代の朝鮮族男性の席が自分の席だと言った途端、それに対して、どこの席にでも 座ればいいじゃないか、とつっけんどんに言い捨てたのだ。 これを見たスチュワーデスがその男性のチケットを見て、 "私がご案内いたしますから、自分の座席にお座りください"と優しく注意し、その 60代の男性は席を外したが、 移った先が私と同じ場所の窓側の席だった。

その男性は席に座るや否や、前にある食卓用テーブルを広げて傘を載せるのだった。 航空規定によれば、 飛行機が離陸する時と着陸する時、万一に備えてテーブルを広げることは出来ないことになっている。 私がこっそりとその男性のテーブルをたたんでやった。ところが飛行機が離陸する時、その男性がまたテーブルを 広げた。 飛行機離陸の際に一番緊張するのはスチュワーデスたちだ。 これを見つけたスチュワーデスが優しく 顔をほころばせながら、離陸の時と着陸の時はテーブルをたたんで下さいと言って頼んだ。 ところが、 その注意に対して、どこ吹く風といった、完全に無視の態度だった(ことによると、注意した言葉の意味を 理解出来なかったのかも知れない)。 延吉空港の滑走路に着陸する直前も同じで、後でまたスチュワーデスの "世話"になる有様だった。

また、他のエピソードもある。延吉から出発する時、私の傍らの座席に韓国に嫁いだ娘の招きで 3ヶ月ビザにて 韓国に行くという龍井のおよそ 50代初盤の女性が座った。 食事が終わった後、私がコーヒー一杯を頼むと、 彼女も続いて "私もコーヒー"と注文し、コーヒーを飲んでいた。私はあまりコーヒーにクリームや砂糖を入れない 習慣があり、ストレートで飲むのだが、その女性がコーヒーを飲んだ途端、 "どうしてコーヒーがこんなに苦いの!"と 叫ぶのだった。私は彼女のかん高い声を他の乗客がどう思っているのかと心配で、顔が真っ赤になった。 静かに、 そこにある砂糖を入れなさいと教えてやった。 ところが、コトはこれで終わりではなかった。その女性がコーヒーに入れたのは、 砂糖やクリームではなく、塩だったのだ。 私が袋をよく見ると、塩と書いてあった。これにはただ笑うしかなかった。 まさに、一人の田舎女性のソウル上京の姿そのものだった。 その女性の入国申請書も、彼女は書き方を知らないというので、 私が作成してあげた。 飛行機が仁川空港に着陸すると、この女性を助けてあげなくてはならないだろうと思い、 私に付いて来なさいと声をかけた。私が入国審査を終え、後に付いて来たその女性と、またその他の延辺の朝鮮族同胞 何人かに対して、荷物をどのようにして捜さなければならないかという案内表示板を読んであげた後、彼らを荷物受け取り 場所まで案内してやり、ようやく空港を出ることが出来たが、非常に複雑な気持ちになったものだ。

アシアナ航空に乗って新聞を読む朝鮮族同胞はおらず、読んでいるのは韓国人たちだけだった。 私が新聞を読み終えて、 横に座っていた 40代中盤の延辺朝鮮族に新聞をどうぞと渡してあげたところ、受けとった。しばらく覗くように見ていたが、 折って椅子の懐に入れるのだった。 面白くないのかと聞くと、字が読めないとのことだった。 韓国城南で 5年間働いたと いうその男性、それも朝鮮族高校まで通ったという男性が、ハングルを読むことすら難しいということに私は驚いた。

航空機内では、一切の持ち込みカバンは荷物入れに入れなければならない。 ところが、搭乗した朝鮮族の大部分は カバンを椅子の下に入れるか、抱えるかしていた。 スチュワーデスが荷物入れに入れて下さいと言っても、一体どれほど 貴重な品物だというのか、頑固に拒む。航空機内へ持ち込んだカバンを全て荷物入れに入れるのも、万が一に備えた 安全のための措置であるということが分かっていない様子だった。

飛行機が滑走路に着陸しても、完全に静止した後になってから荷物入れから荷物を取り出さなければならない。 ところが、飛行機が滑走路に入るや否や、荷物入れから慌しく荷物を取り出す姿に、スチュワーデスたちが何回も注意し、 辛うじて座っている姿も惨めなものだった。

筆者は延吉−仁川線をよく利用する方だが、毎度このようなことが数十回も起こる。初めて韓国へ行く朝鮮族は仕方ないと しても、韓国に長い間滞在したり、飛行機に乗った経験のある同胞たちまでが、以前に身に付いた習慣が出てしまうようだ。 知らなければ聞けばよいのだが、知っているふりをしてそのために他人に迷惑をかけてしまうケースが多いのは、何とも残念である。

(黒龍江新聞 ユン・ウンゴル記者 2008年12月31日)
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