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[経済] 梅河口・河南村、大学村で機械化農場に

国家補助金と個人投資で稲作の全過程で機械化実現


▲河南村の機械化収獲

2004年末、多くの朝鮮族が韓国へ行ったため、村の土地を新たに譲渡しなければならないという問題 が生じた。 河南村の指導部では村民大会を 5回召集して、村全体の土地を集中して一人に譲渡することで総意を集めた。

梅河口市山城鎮から南に河南橋を渡って 2km歩いて行けば、河南朝鮮族村に到着する。

まっすぐなセメント舗装道路の両側には並木が生い茂り、道の南側のレンガ家は定規で引いたように一直線に 納まり、河南村を尋ねる人々にこの村の文明を感じさせる。

家ごとに大学生あり

河南朝鮮族村には 113戸の農家に 435人の人口がある。 この村の朝鮮族は文化大革命の前から教育を重視する伝統が あり、文化大革命の前、朝鮮族高校である海龍二中が山城鎮にあったので、 60歳ほどの村民の大部分が高校を卒業している。

文化大革命前、梅河口市の多くの朝鮮族村に大学生が 1、2人しかおらず、いくつかの村には大学生が一人もいなかったが、 河南村では大学生を 25名も輩出し、 《大学生村》と呼ばれた。特にこの村の金グァンキルさんの家庭からは 4人の 兄弟が大学に入学し、 《大学生家庭》と呼ばれた。

文化大革命の後 1979年から河南村からは毎年 4、5人の学生が大学に入学したが、 1983年にはこの村の 11人の学生 が大学に入学することもあった。今、河南村には家ごとに大学生あるいは大学卒業生がいて、子ども二人が大学在学中 もしくは卒業したという家庭が 5戸にもなる。

教育を重視する伝統を持っている河南村は、村指導部で教育を重視し、さまざまな奨励政策を出したことから、村全体 に教育を重視する機運が形成され、 《大学生村》と呼ばれている。

全過程機械化の農場に様変り

朝鮮族の海外進出と都市進出は、河南村の朝鮮族の生活基盤にも衝撃をもたらした。今、河南村には 30戸に 90人余り の人口しか残っていないが、大部分は老人と学生たちだ。 主人の去った 83戸の農家は門に釘を刺しており、 主人のない家であることが一目で判る。 他の村は村民が家を捨てて去って行けば、他村の村民たちが入居して暮しを 始めるが、河南村は 90年代初期から村民大会を開いて、家を他村の村民に売ることが出来ず、貸すことも出来ないという 村の規則を作っており、現在、空いている家が多いが、他村の村民が入居することは出来ない。河南村が山城鎮から近い ため、その人々も家賃を払って入りたいと要求するが、村の指導部では村民大会の決定により許可出来ないとしており、 一戸も賃借することが出来ない。

河南村の朝鮮族の海外進出と都市進出は、大量の土地譲渡を引き起こし始めた。90年代初期には譲渡する土地が多くなく、 村では村民同士での譲渡を承諾したが、 2000年に入ってからは大量の土地が無秩序に私的に譲渡されるようになり、 村の指導部で問題の深刻さを感じ、整理事業に出た。河南村指導部では村民大会を召集し、土地譲渡時には村指導部 の同意を得なければならず、本村村民への譲渡を優先し、本村村民の大面積での耕作を誘導したが、その結果、 河南村には 200畝以上を耕作する朝鮮族農業専門家が 3戸が出現した。

2004年末、元々稲作を活発にしていた朝鮮族も、韓国に出るために村の土地を新たに譲渡しなければならないという 問題が出て来た。河南村指導部では村民大会を 5回召集し、村全体の 1500畝の土地を集中させ、一人に譲渡すること で総意を集めた。この時、梅河口市にある漢族の企業家が河南村の土地を賃貸することを要求し、 2000年から本村の 300畝を耕作していた金正煥も村全体の土地賃貸を切望した。

経済力を見れば、梅河口市の企業人の実力が金正煥よりずっと強かったし、譲渡費も金正煥より畝(666平米)当り10元 高かった。 梅河口市の企業人は畝当り譲渡費が 320元に毎年、村の幹部に 1万元の組職費を支払うものとしたのに対し、 金正煥は畝当り譲渡費が 310元だった。

河南村・南基福党支部書記は、朝鮮族村の朝鮮族大面積稲作の名手を村に根付かせてあげなければならないという 趣旨の下、村民の説得に出た。

何回かの村民大会と、家ごとに訪問を繰り返しながら、村民を説得した結果、大部分の村民は金正煥の土地譲渡費が 多少少ないものの、本村の村民が耕作することの意義、他人は皆海外に出て行くのに一人で村全体の土地を耕作すると いう金正煥の抱負に感動し、金正煥に土地を譲渡することに同意した。村民委員会で村民たちと土地譲渡契約を締結した 基礎の上に、村民委員会が村民全体を代表して、金正煥と 20年の譲渡契約を締結、金正煥は 2005年から大規模な稲作を始めた。

2005年から金正煥は 1500畝の土地に上質米の 《秋田小町》を栽培して日本へ輸出し、去年からは国内市場を開拓して 国内販売を始め、経済的効果が高かった。2006年から金正煥は機械化農業を始めたが、今年までに国家の農業機械補助金 と個人投資 240万元余りにより、稲作全過程の機械化を実現した。

(吉林新聞 2008年11月8日)
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