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[社会] 故・朱徳海の遺骨、延辺に帰還

 

延辺朝鮮族自治州の初代州長・朱徳海の遺骨が遂に延辺の地に帰って来た。 17日午前、延辺州党委と州政府は、 延吉公園の後山にある朱徳海記念碑園で朱徳海遺骨安置及び哀悼式を行った。

延辺朝鮮族自治州州長・李龍煕が直接司会した今度の式には、まだ存命の朝鮮族元老政治家たちと現任の 延辺州党政指導者たちが大挙参加し、朱徳海延辺初代州長に対する尊敬と追慕の情を伝え、朱徳海の家族を慰めた。

朱徳海は 1911年 3月に生まれ、本名は呉基渉。 1929年に革命に参加し、 1949年 3月に中共延辺地委書記、 4月に延辺大学校長、5月に延辺公署専員を兼任し、 1952年 9月、延辺朝鮮民族自治区主席に就任した。 1954年 9月に中共吉林省委常務委員、省政府副省長を歴任、1955年に中共延辺州委第一書記兼延辺朝鮮族自治州州長 に任命された。 1956年 9月、中国共産党第8次全国代表大会で中共中央候補委員に当選した。 朱徳海は延辺の初代 州長として、延辺自治州を設立させ、諸般事業を軌道に乗せるための基盤を作った最大の功労者の一人であり、 今日の朝鮮族の政治、経済、文化、教育、スポーツなど諸般の事業の基礎を作るという、この上なく大きな功労を立てた。

しかし文化大革命の時期、凄惨な政治的迫害を受けて、やむを得ず 1967年 4月に延辺を去り、 1972年 7月 3日、 武漢で無念のうちに生涯を終えた。朱徳海の名誉は '四人組'が粉砕された後、中共中央によって回復され、 中共中央は彼の歴史的功績を充分に肯定してくれた。

朱徳海の遺骨は長らく長春革命烈士陵園に安置されていたが、家族の意向により、今年 4月、吉林省政府の批准を 経て延辺州党委と政府の努力で、彼が寝ても覚めても忘れることのなかった延辺の地へ遺骨が返還されたのだ。

北京に居住している元全国政協副主席・趙南起将軍が朱徳海の部下・戦友の名にて哀悼文を送った。 元国家民族事務委員会主任である李徳洙・元延辺州党委書記も花輪を贈呈した。

今度の遺骸返還をきっかけに、延辺州政府は延辺革命烈士陵園内に朱徳海同志史蹟展覧室を開館し、一般に公開した。

(黒龍江新聞 ユン・ウンゴル記者 2008年9月18日)
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