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[文化] 延辺図們・日光山を訪ねた水月法師と弟子たち

水月法師の足跡を訪ねた智冠法師-亡国の流浪者に施した‘慈悲の光’


▲去る 26日、中国延辺朝鮮族自治州図們市の日光山中腹に水月禅師が泊まった
華厳寺跡で、水月法師追慕の法会をする智冠法師(前列右から二番目)と弟子たち。

図們江越え、延辺日光山中腹に廃寺跡
行動のみで衆生と共に幸せ追求
“この時代、僧侶たちが模範としなければならない菩薩”

祖国はすぐ目の前だった。 図們江越しに祖国の土地を胸に抱く所。 90年余り前には国を失い泣いて図們江を越える流浪者たちが、 今は飢えに疲れ果てて越えて来る同胞たちが、最もよく見える中国延辺図們市の日光山。 水月禅師はまさにその場所で、 国を失い祖国を出て来た流浪者たちを迎えていたのだ。

去る 26日午後、水月禅師の足跡を訪ねて、韓国の僧 120人余りが日光山を訪ねた。曹渓宗総務院長の智冠法師が同行して の巡礼だった。 水月は世の中にほとんど知られない ‘世捨て人’だった。 その上、100年前の人物だ。 韓国仏教の座長格である 智冠法師が、そんな彼の足跡を直接訪ねた理由は何だろう?

水月は忠南のある村で作男をしていたが、瑞山・天蔵庵に出家した後も木を切って作男同様に暮していた僧だ。 しかし純粋な天性 を持っていた彼は、師匠・鏡虚法師の教えどおり、千手陀羅尼経を一心不乱に学び悟りを開いた。 その後、水月は三つの特別な 力を得た。 一度見たり聞いたりしたことは決して忘れない不忘念智を会得し、寝ることが一切無くなり、 病人の病気を治せる力が生じたと いう。 その後、天蔵庵を出て、自分の名前を隠したまま、あちこちの寺を回った水月は、意図しない放光(異蹟の一つで、身で輝いて 広がって行くこと)でしばしば正体が現われ、祖室に推戴されたりもしたが、そのたびに彼はまた人知れず旅立ち、 結局 1912年、 ここまで渡って来た。 ここで彼は、昼には牛を飼い夜には草履を作り、握り飯を作り、日帝の抑圧を避けて図們江を越えて来る同胞 たちのために、峠道に握り飯を積んで空腹を満たしてあげた。 また木の枝に草履をぶら下げ、痛む足の苦痛を和らげてあげた。

▲水月禅師が亡国の流浪者たちを
迎えた図們江畔に立つ智冠法師。
▲水月精舎の開院法会 ▲水月精舎の法堂にかかる
水月禅師の肖像。

老身ながらも水月がとどまった日光山中腹の華厳寺廃寺跡に上った智冠法師は、このように水月の生き方を伝えた。 まだ水月 の美談を忘れられない延辺の朝鮮族僧 200人余りの念仏の中に入って来た智冠法師は “水月禅師こそ、今の時代の僧たちが 模範としなければならない菩薩だ”と強調した。

韓国仏教は ‘大乗仏教’である。自分だけでなく衆生と共に幸せな生を追求する ‘大乗’の理想的な人間像は、 ‘菩薩’だ。 韓国仏教では、尼に対しては誰もが菩薩と称するほど、菩薩が溢れている。 しかし水月のように、ただ行動だけで菩薩道を歩む 人々はなかなかいない。

水月禅師の顕彰事業を推進していて、急逝した前任の総務院長・法長法師に続いて 2年前に総務院長になった智冠法師は、赴任 するやいなや、ソウル江南・奉恩寺住持の明真法師に、誰も面倒を見ぬまま放置されている間島の水月法師の遺跡に対する関心 を要請した。 その後、奉恩寺総務局長が延辺を行き交いながら、水月の精神を称えるために朝鮮族が延吉市内のメイン・ストリート に建てた延辺仏教会館・水月精舎の開院を物心両面で支援した。

29日、朝鮮族僧 500人余りが集まった中、 3階建の建物として開院した水月精舎で、智冠法師は、弟子たちに “なぜ水月禅師を真の 菩薩といえるのかという問いを投げかけた。

“大乗仏教において、水月とは、万物に実体がないことの喩えを示す言葉です。 月が一千江を照らしても、水の上に映った月の姿 にはその実体がないように、水月法師は私心なき菩薩行を何の痕跡も残さぬまま実践しました。 ところが彼は慈悲の化身である 水月観音菩薩のように、慈悲の影がここ間島のどの1ヶ所たりとも照らさなかった所がないという、偉い聖者なのです。”

旧韓国末期と日帝時代以後、今日までの我が民族の悲しみがこもっている <涙に濡れた図們江>に映った月が、日光山を越えて 今日も相変わらず浮び上がっていた。

(北東アジア新聞 2008年5月29日)
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