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![]() [社会] 愛される公館、暖かい領事館になるようにします 駐瀋陽総領事館・朴聖雄新任総領事が赴任 バングラデシュ大使時代に危機管理能力訓練 駐瀋陽大韓民国総領事館に呉甲烈前総領事の後任として、隣のおじさんのように気さくで暖かいほほ 笑みが印象的な朴聖雄バングラデシュ前大使が 5月初に新たに赴任した。 新たに赴任した朴聖雄総領事は、ソウル大外交学科を卒業して 75年 第9回外務考試に合格、 98年アジア ヨーロッパ首脳会議の準備企画団総務部長、99年ドイツ公使兼ボン総領事、2004年バングラデシュ大使を 歴任した。 華麗な外交官の履歴で分かるように 32年間、外交官生活をしたベテランだ。 朴総領事は大韓民国の外交官として使命感を持った外交官だ。 彼は "32年前の 1975年、 一等書記官を始め として外交業務に足を踏み入れ、その後 18年間外国生活をしたが、 国を代表して国益のために仕事をする というところに誇りを感じる"と外交官としての自負心を仄めかした。 朴総領事は "バングラデシュは全世界からの支援が必要なほどに経済が貧しく、致死率が高いデング 熱(蚊に媒介される熱帯病) など多くの疾病や危険に瀕している国だが、家族愛が特別に深く、私たちと類似の点が多く、 仕事をしたり生活したりする上で大きな苦労はなかった。 多様な事件・事故が絶えない所だったが、外交官として 意味深い仕事も多かった"と、バングラデシュ大使時代を回想した。 多方面に難しく危険な問題が多い国で、韓国人特有の情で現地人と融合し、賢明に乗り越えた結果、現在 バングラデシュには縫製産業を中心に 100余りの韓国企業が進出しており、最近は韓国の大型マートで バングラデシュ産の製品を輸入する傾向もある。 親切で暖かい領事館を作る 中国東北3省の中心都市・瀋陽。 ここは韓国人、朝鮮族同胞、北朝鮮人など '一民族三国籍'が共存する所なので、 仕事も多く、困難も多い所だ。 駐瀋陽総領事館に勤める以上は、苦労は勿論 '悪口を言われる' 覚悟もしなければならない。 ところが、私たちの在外公館の中で一番仕事が多く尖鋭な外交戦が起る瀋陽に新たに赴任して来た朴総領事の顔 には、悲壮な覚悟ではなく隣のおじさんのようなふくよかで暖かいほほ笑みが一杯だ。 朴総領事は "瀋陽領事館に来て感じた点は、皆表情が暗いということだ。 それで領事たちに、なるべく笑いなさい と強要する"とし、 "なるべく笑うようにすれば、福も訪れ、辛い仕事もうまく行くようになる。 どのように覚悟 を決めるかによって仕事も楽しく出来る"と楽天的な笑いの哲学を披露してくれた。 駐瀋陽総領事館は全世界の韓国関連ビザ業務の中で 4分の 1にあたる一日平均 200件余りのビザ業務を処理して来た。 訪問就業制の実施以後には査証業務の暴走により、待機期間が長くなり、多くの問題点と不満が発生している。 朴総領事は "このような過程に摩擦が生じて領事館で処理することができない業務制約のため、予期せずして 公館が批判を受ける状況が発生した"と説明し、 "対話を通じて理解の幅を広げて行けば、考えの違いを狭めて 行くことができるでしょう。 原則を守りつつ、暖かく親切な領事館を作り、僑民たちが領事館に対して冷ややかな 感じを抱くことのないように僑民の側に立って働くつもり"と述べた。 また彼は "一人の総領事が全体のイメージを変えることはできない"しと "総領事を含め、すべての領事が各々 引き受けた業務に対して最善をつくし団結すれば、僑民たちから愛される領事館になることができるでしょう"と強調した。 国際学校のない都市は国際都市ではない 大学生の娘と年の差が随分ある 14歳の二番目の娘を持つ家庭の父親でもある朴総領事は、 "中国はまだまだ教育に対して閉鎖的な面が多い。 正式に許可を受けた国際学校のない都市は国際都市 とは言えない"と指摘し、 "まだ許可を受けることが出来ていない瀋陽韓国国際学校とインターナショナル スクールの問題について、瀋陽市政府と中国政府に強力に建議するつもりだ"とし、国際学校の問題に大きな関心を表明した。 彼はまた "瀋陽韓国週の行事を通じて、多くの韓国企業が進出し、成功すれば、我が僑民たちの立場も上がる ことになる"と強調した。 素朴で大ざっぱな隣のおじさんのような朴総領事。 彼の赴任により、現地の我が僑民たちが領事館を隣の家へ '飲みに' 行くように気楽に楽しい心で訪ねることができるようになることを期待したい。 (オンバオ チョウ・ワンヒ記者 2007年5月18日)
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