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[社会] 疲れてだるい身と心…天倫至楽はない

孫を育てながら身も心も疲れてだるい朝鮮族のお婆さん



老人たちは孫を育てることを天倫至楽と考えている。 子どもたちのおかげで笑え、活気があふれるからだ。

しかし子どもたちの離婚で仕方なく孫の面倒を見なければならない状況になった老人たちには、笑いよりも悲しみが先立ち、 心配のたねばかりが出来る。 母親、祖母の二重の役目を果たさなければならない人々は、精神上の苦痛を受けるばかりでなく、 ますます衰えて行く身体と闘わなければならず、経済上の厳しさにも打ち勝たなければならない。

幼い孫に八つ当たり

長春で暮している辛ウォルファさんは、離婚した息子のために孫の面倒を見ようと韓国で働いてから戻った。 何年かは痛い箇所もなく どうにかこうにかして過ごしていたが、 70歳を越えてからは、最近、身体が言う事を聞かない。 不便な体をひいて病院へ行ったら、癌か も知れないと言われた。 《何たることか、うちの孫をどうすればいいのか》。 親戚一人もなく、ただ孫を勉強させようと長春で借家住まい をするお婆さん。 彼女は一日中不安に震えながら涙ばかりこぼす。

お婆さんはこんなことを言う。 《体が痛いから、つい神経質になり、しきりに幼い孫を叱るようになった。 お前のお父さんのため、勉強を しなさいと言いながら大目玉を食らわせたりしました。 孫が <お婆さんが私にそんなに辛く当ったら、私はどうしたらいいの?>と泣くと、 やっと正気に返るんです。あの子が可哀想で...》、 《お金は儲けなければならないから韓国へ行った息子に戻って来なさいとは言えず・・・ 私が生きていることがただ面倒なだけです!》 お婆さんの嘆きだ。

心残りを抱いて死んだ夫婦

三歳にもならない息子を残して別れた若い夫婦。 子の父親はお金儲けに行くといって家を出てから何の知らせもなく、子供が 17歳になって も一度も子供を尋ねて来ない彼の母親。

そんな親の間で生まれた孫が可哀相で、すべての愛を注ぐ和龍市の李マンホ夫婦。二人は孫に、父さんは必ず帰って来るはずだという固 い信念を植えつけてくれたし、孫を明るく郎らかに育てるために老いた力をすべて使った。 夫婦は一年、二年と待ちながら日々を過ごしてい るうちに、ついに病気にかかり、孫一人を残したままこの世を去ってしまった。 自立できるまで育ててあげることができなかった心残りを抱いて 、永遠に孫の傍を離れてしまったのだ。

親の代りに支えてくれたお爺さん、お婆さんまで死んでしまうと、子供の夢は壊れてしまった。 それでもどこかで暮しているという母親の消息を 聞いて、いつかは自分の前に現われる母親を思い描き、一日一日を送る子供。 しかし子供の期待とは異なり、母親は遂に一度も姿を見せな かった。 母親を思い描いた子供の心は憎悪に変わり、性格も憂鬱になった。 それに、興味を持っていた勉強もやる気がなくなった。

立派に育てようと思ったけれども...

息子、娘がすべて離婚して遠く海外への出稼ぎに出たため、孫を引き受けることになった和龍市の呉さん夫婦。 子のため胸が張り裂けるようだ が、賑やかに笑う孫たちが彼らに笑いももたらしてくれる。

夫婦は、自分たちが面倒を見ている間だけでも、勉強をしっかりとやり悶着を起こさない子供に育てようと思った。 しかし始めの考えとは違い、孫 は勉強をしっかりやるとどころか、ややもすれば PCバンに通い、 PCバンを初めから自分の家のように考えている。 正しい道に戻るように引き 締めておこうと思えば、子供の方から怒ってまた家を出る。 そうのたびに悪口を言ったり叱ったりするが、母親のない子供をあまり叱り過ぎたと 後ろ向きになり、黙ってしまうお爺さん、お婆さんだ。 心が愉快だと身も元気になる。 苦労をしても孫たちがしっかりと育ってくれることだけを望む だけだが、それも思った通りにはならず、胸をいためる。

身も老け、お金もなく

延吉市に居住している今年 75歳の孫さんは、 10年余り前、三女の離婚で孫を育てるようになった。 お金儲けに苦労している娘なので、子供は ほとんど孫さんが引き受けているという。

孫が大学に通うようになると、大変なお金がかかった。 お婆さんはお爺さんが亡くなった時に残したいくばくもないお金と見舞金まですべて使って、 孫娘の勉強の支援をした。 泣き面に蜂で、お婆さんは重病にかかって治療しなければならない状況になった。 しかし彼女は孫娘のことを思って一銭のお金も使わなかった。

孫さんは 《孫が他の子供達に比べて遜色なくしっかり育ってくれたので、それだけでも大きな慰めになる》とし 《もう私は死ぬ年になったのだから、 これ以上望みはない》という。

いずれにしても、頼れる方法もないまま孫を育てなければならない老人たちの境遇。 昔、厳しい歳月に子供たちを育てるために死ぬか生きるか の生活をして来た彼ら。 親孝行をしてもらって気楽に過ごしていなければならない今になっても、孫たちを育てるために苦労ばかりしている。 それ もやっとの思いで食いつなぎ年を取って行く状況であるにもかかわらずだ。

そのため、良い人がいたら、孫を彼らに任せたいと考える老人たちもいると言う。

(吉林新聞 ホン・オク記者 2007年1月27日)
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