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[社会] 高齢者の国籍回復期間“1年半はとても長いです”

90歳の同胞・蔡キルビョンさんの最後の願い


▲ 去る 9月 12日、国籍回復申請をした蔡キルビョン(90歳)さんと李スンシク(73歳)さん夫婦

国籍申請者が急増し、国籍取得期間が長くかかっている。 しかし高齢者同胞1世の国籍回復は一日も早く実現出来るよう、政府の支援が切実に求められる。

“生きている間に国籍回復が可能なのかな。 今年 90歳の私の主人は、一日でも早く国籍を回復してから死にたいと、早く調べて欲しいと、矢の催促です”

今年 9月 12日、国籍回復申請をした蔡キルビョン(87歳、実年齢 90歳)さんと李スンシク(73歳)さん夫婦、夫より 17歳年下である李スンシク さんは、夫の願いを聞き入れるため、法務部国籍難民課や警察署などを一通り回って見た。 しかし国籍回復が完全になるまでは最低 1年半から 2年 かかるという話にため息が出た。夫は中国で炭鉱の仕事をして石炭粉を吸い込み、毎晩息が詰まったり、死にそうになる時が頻繁にある。

李スンシクさんは結局、中国同胞タウン新聞社にまでやって来て、夫と家族が暮して来た話を聞かせ、 “一日でも早く国籍回復が出来るように助けて ほしい”と訴えた。

戸籍上では 1919年生まれの蔡キルビョンさんは、元々は 1917年 4月 25日生まれで全羅南道羅州郡(現在の羅州市) で生まれた。 16歳になった年の 4月頃、蔡さんは生活苦に耐えれなくなり、お金を儲ける決心をして、母親に木浦に行くという話だけ残したまま家を発った。 その後、木浦から黒山島 へ、黒山島からまた木浦、そして済州島で 2年、麗水から順天などを回って流浪生活をした後、終着地として 1946年 2月頃、図們江を渡って中国の土地 を踏むようになったと言う。

中国延辺で蔡さんは金鉱や石炭などを掘る鉱夫生活をし、32才時当時 17歳だった李スンシクさんに出会って結婚、 5人の兄妹を持つ家庭を成した。

歳月が経つにつれてますます懐かしくなるのは、両親と兄弟が住んでいる故郷だった。 しかし行きたくても行けない故国の地、80の峠を越えた蔡さん は家族に “鶴になって悠々と飛んで故郷に行って見たい”という話を口癖のようにしたりした。

1987年 KBS社会教育放送に親兄弟を捜すという手紙を出すことになった。 これは家族に送った二番目の手紙だった。 中国へ来る前、蔡さんは兄に安否の 手紙を送ったことがある。そこで兄が尋ねて来ようとする時、蔡さんは ‘お金を儲けなければならないのに儲ける事が出来ないので、後で金儲けしてから 尋ねて行く’と返事、その後は一度も連絡がなかった。

1991年、 家を出てから 45年ぶりに妻と一緒に韓国へ来た蔡キルビョンさん、彼らを迎えてくれた人々は親兄弟ではなく、顔も分からない兄嫁と甥たちだ った。 両親はもちろん、兄や弟はもうずいぶん前に死亡したという事実を、その時に知った。

弟は 1950年 6.25戦争当時、警察官として服務している時、人民軍によって惨酷に殺害された。 弟の死を目撃した兄は、精神病で苦しんだ末に世を去った。 当時腹の中にいた弟の息子が遺腹子として成長し、叔母とともに生まれて初めて見る叔父を出迎えたのだ。

70年ぶりに訪れた故郷の地に残っているものは、家族が住んでいる家だけだった。 91年当時には兄嫁と甥たちと一緒に故郷を尋ね、家を見ることが出来たが、 15年ぶりに再び尋ねて来た今は、故郷の地がダム建設で水中に沈んでしまった状態だった。

兄嫁と甥たちは、初めて会った蔡さんが本当に叔父なのか疑わしかったと言う。 実の叔父と確信を持つようになったのは、故郷で蔡さんに気付いて喜ぶ 故郷の友達のおかげだった。 その人は蔡さんに気付いた。 一言二言、言葉を交わしたら、それが 70年前に故郷を発った友達だった。 それに驚いた 故郷の友達は、夫人に新しい服を持って来させ、着替えてから “みんな死んだと言ったが、こうして生きて帰って来たよ”と喜び、丁寧に互いに差し 向かいお辞儀で挨拶を交わすまでした。 こんな出会いを見てから、甥たちは ‘この人は本当に私たちの叔父さんなんだね’と信頼がわき、 3ヶ月後、 蔡さん夫婦は韓国の地で親族を確認して中国に帰ったのだ。

“生きているうちに八方手を尽くして父の国籍を取り戻して初めて、魂もにも親兄弟にも会えると思うから、これが君たちに大しての大きなお願いだ。”

故郷に行って来た蔡さんは、節日になるたびに家族が集まった席で、必ず最後の願いであるかのように言うのだった。 そんな中、2002年 4月 15日には 長男が中国民航機に乗って中国北京から釜山に行く途中、慶尚南道金海で墜落事故にあって死亡するという悲劇まで起った。

李スンシクさんは “既に韓国の地に長男が眠っています。いつ死ぬとも知れない夫の願いを聞き入れようと、韓国に 15年ぶりに再び来ました” と 言って、さらに “このまま 1年をさらに待ちなさいとおっしゃいますが、あの人は薬で一日一日を堪えながら暮しているのです。夫が生きているうち に国籍を回復出来るように助けてください” と、家を訪問した記者に切々と訴えるのだった。

(中国同胞タウン新聞 キム・ヨンピル記者 2006年12月15日)
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