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[社会] 中途半端な朝鮮族の敬語について

150年の歴史を持つ朝鮮族は、独特の言語文化を形成して来ながら、本来先祖が使った敬語を随分と 忘れてしまうことになった。 そのうちに韓国の門戸があき、相互交流が頻繁になるに従って、敬語が 回復しつつある傾向になっているが、これは非常に望ましい現象だ。 ところがこの回復段階にある朝鮮族の 敬語は、非常に中途半端で、甚だしくは滑稽な言語表現まで現われているというのが現実的な問題だと思われる。

それではまず、朝鮮族社会が敬語を喪失することになった理由から簡単に見てみよう。

第一に、19世紀 60年代から満州の地に移住して行った朝鮮族一世たちは、朝鮮時代に自然災害と朝廷の腐敗 のために破産した農民の出身だった。そのため、知識修養が非常に不足した彼らは、後世代に体系的で礼儀的 な敬語教育を伝授してあげることが出来なかった。日帝時代に立派な知識人が満州の地に数多く行ったが、 彼らは解放を迎えて絶対多数が韓半島に帰り、残った人々は血の汗で開墾した土地が惜しくて去ることができなかった 農民出身であり、やはり敬語を後世代に正確に教える知的水準を持つことができなかった。

二番目に、朝鮮族一世たちは他郷で定着生活をする過程で子を育てただけに、‘鞭’で厳しく躾けようとはせず、 したがって先祖が使って来た敬語も徐々に消えるようになった。

三番目に、特に延辺朝鮮族は咸鏡道出身が大多数であり、咸鏡道の言語は訛りがひどく、敬語が脆弱だ。

四番目に、敬語体系がない漢族と交わって暮しながら、徐々に言語体系も同化されて、朝鮮族は自らの敬語を喪失するようになった。

五番目に、 10年動乱と称される文化大革命を経験した朝鮮族は、ただでさえ脆弱だった敬語が完全に崩壊してしまった。 当時、弟子が師匠を打倒し、子が親に敵対し、兄弟間でも背を向けるなど、伝統礼儀は立場を完全に失うようになり、 したがって敬語はシベリア寒波を受けた如くに萎んでしまった。

以上、さまざまな理由のために敬語を喪失した朝鮮族は、韓国人との相互往来を通じて敬語を回復しようと 努力してはいるが、 敬語が韓国語であるという錯覚を持って韓国語を真似る過程で、朝鮮族の敬語表現が下手で甚だしく はコメディーのような表現が飛び出し、笑いを催す場合が多い。

現在、朝鮮族の誤った敬語表現について、次のようないくつかに整理することができる。

第一に ‘〇〇さん(氏)’の概念が分からずに間違えて使う場合

〇〇さんは相手を高めるために使う敬語だ. 例えば苗字にさんを付けて‘金さん’‘李さん’‘崔さん’と呼ぶ時、 これは相手を高めるために使う敬語だ。 しかし朝鮮族はよく相手が “苗字は何か?”と聞くと、 “私の苗字は‘鄭氏’、 ‘柳さん’”などと答えるが、これは失礼な言葉だ。 何故ならば自分の苗字を言う場合、苗字にさんを付けたら自分に礼を 尽くし、自分を高めるということになってしまうので、適切に “私の苗字は‘金、‘林”という具合に答えなければならない。

そして名前の後にさんを付ける場合も、同じく相手を高めるために使われる敬語だ。 だから相手には名前の後にさんを 付けることができるが、自分を相手に紹介する場合は絶対に自分の名前の後にさんを付けてはいけない。 しかし朝鮮族は電話する時や他人の前で自己紹介する場合ら “私は辛オクファさんです.”と言ったりするが、 これは非常に失礼な言葉だ。 また他人の前で “私は辛オクファ姉さんです”などという表現も失礼な言葉だ。

二番目に ‘方(かた)’の概念が分からずに間違えて使う場合。

“もしもし、私は韓国の方(かた)ですよ。”“韓国の方ではなく朝鮮族だな。”“あら、 どうして分かりますか?” “韓国人は自然に〇〇の方とは言わないです。”

‘方’も ‘さん’と同じく、相手に使って尊敬を現わす敬語だ。 しかし朝鮮族はよく “私がただいま電話した方です”、 “この方が私の弟(妹)です”などと言うが、これは非常に誤った言語表現だ.

三番目 ‘僕’と ‘私’の使い分け

朝鮮族社会は ‘私ども’という言葉が消えてから久しい。 たとえ相手が教授でも老人でも、全て ‘僕’ ‘俺’という言葉を使って来た。 そうするうちにここ10余年来、 ‘私’ ‘私ども’という言葉が蘇りつつは あるが、まだ非常に下手だ。 見知らぬ人や上司の前では ‘僕’を使わず ‘私’ ‘私ども’という表現を使わなければならない。

四番目 ‘様’の表現に慣れていない

朝鮮族社会は本来、先生に対する以外の場合に ‘様’を使う場合がほとんどない。 最近になって ‘様’と言う 言葉も他の敬語と同じく蘇りつつあるが、やはり非常に不慣れであり、 ‘様’を使えばまるで相手にへつらう ための表現のように見做し、よほどのことがない限り使うことを憚る。

五番目 ‘なさる’を間違えて使う場合

“もしもし、 私は今、新聞社にいらっしゃるのですが、” これは確かに間違った言葉だ。 去る冬、筆者は延吉 アリラン放送を聞きしながらアナウンサーさえ‘なさる’という敬語を間違えて使っているのを発見した。すなわち、 アナウンサーが聴取者と対話を交わしながら言うことが “私たちも大きく感動をお受けになりました。” また記者が 歌クラブを取材する時、“このクラブに通うようになってから、どのくらい経ちましたか?”と聞くと、“はい、私が お通いになり始めてから、既に 3ヶ月になりました。”と答えるのだった。 また筆者が中国同胞タウンセンターで 同胞たちから “私、朝にいらっしゃった方です。” に似た表現の電話をたくさん受けた。 結論を言えば、‘なさる’ と言う相手を高めるための敬語なのだから、自分の行為に使ってはいけない。

六番目 ‘ヨ’を付ければ韓国語になるという錯覚

何年か前に延辺のコメディー俳優・呉ソンオクが “韓国語は後に ‘ヨ’さえ付ければ韓国語になるという内容のネタ を披露したことがある。 これは朝鮮族社会の普遍的な認識だからこそ、こんなネタも出るようになったということを 物語っている。 結果から言えば、これは確かに間違った認識だ。 韓国語の標準敬語は私たち朝鮮族の言語と同じく、 やはり ‘イムニダ(です)’ ‘イムニカ(ですか)?’であり、 ‘ヨ’はお決まりの一般言語であるだけのことだ。 大多数の同胞が韓国人と対話を交わす時、言葉尻に ‘ヨ’のみを書いて標準敬語を使わず、相手に反感を感じさせる 場合が多い。

最後にもう一度強調するが、敬語は私たちの先祖が使って来たものであり、敬語はイコール韓国語という認識を捨てな ければならない。敬語というものは相手を尊重するためにできた言語体系だから、自分の行為に使ってはならない。 したがって敬語は礼儀民族の必須な言語体系だからといって、敬語を多く使えば社会生活は円滑になるが、 間違えて使えば笑い物になってしまう。

(北東アジア新聞 2006年12月5日)
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