xxxxxxx
朝鮮族ネット 中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト Search by Google:
ホーム 朝鮮族概要 地域紹介 政治 経済 歴史 観光 ショッピング コミュニティー お問合せ



[特集] 新羅坊、高麗営、朴氏村... そして新鮮族


▲ 赤山法華院にある張保皐像

山東半島の最東端である威海市成山頭から韓国の公海までは 94海里に過ぎない。このため、白島の鶏の鳴く声が成山頭で聞こえたと言うほどだ。

この成山頭から遠くない栄成石島には赤山法華院がある。 海神・張保皐が立てた寺だ。 巨大な青銅仏像が音楽噴水に合わせて回っ ている。 また張保皐記念館も多様な史料を揃えている。 彼に無国籍人のイメージを被せて中国化しようとする傾向を伺うことができる。

もちろん今、法華院には当時の面影はほとんどない。 ある水産会社が大部分の資金を投資して復元したプロジェクトによる剥製化された 歴史だけだ。 とにかく張保皐記念館前の展望台から海を眺めれば、胸がスッとする。

今から 1200年前、ここに韓民族の集団居住地である '新羅坊'が存在した。 張保皐の海上権掌握により賑わった所だ。 しかしもう今は、 ここで韓民族の痕跡を捜すのは難しい。


▲ 赤山法華院の正門。 ある水産会社が建てたハコモノに近いものだ。

それなら新羅坊にいた人々は皆、故国に帰ったのだろうか。 いや、歴史的に中国に渡って来た流民たちのうち、かなり多くの数が故国へ帰ることが できなかった。 劣悪な交通手段のためだ。 それでもこの近くで韓民族の文化を見つけることはできない。

1200年余りの長い歳月、 我が民族の痕跡が消えた理由は何だったのだろうか。 以後、韓国人の中国進出史を辿ってみよう。

[古代] 高麗営、朴氏村... 変化の中に韓国人

韓半島から遠くない華北地方には、韓国と係わる地名が多い。 高麗軍が陣を張ったという意味の高麗営、高麗の人々がとどまった堤防地形の地名 といわれる高麗堡など。 実際に 1780年、燕行団として北京を訪問した燕巖・朴趾源が当時、韓国の流民たちが住む所を訪ね、その記録を残している。

燕巖は <熱河日記>で、彼らが丙子胡乱などの時期に中国に渡って来た人々だが、 動くことができずに定着していると書いている。 しかし韓民族 だからと言って使臣団である燕巖の一行を喜ばなかったし、 燕巖一行もまたそんな紐帯感を示さなかった。 彼らが徐々に漢族化して行く過程にあったからだ。

それではその痕跡はどのように変貌して行っているのか。 遼寧省に位置する朴氏村という所がある。 1992年、金イルキョン中国安康委員会党校副教授 によって発表された '中国 遼寧省の 朴氏村と 朴氏居民'は、関連内容をよく説明している。

元々中国には朴氏という姓がない。 朴姓は新羅時代以後、韓半島だけに発生した姓だ。 ところが遼寧省には三ヶ所の朴氏姓村がある。 本渓県 山城子郷 朴堡村、蓋県 陳屯郷 朴家溝村、遼陽市 太子河区 朴家溝村の3ヶ所が、まさにそれだ。

これらの地名は、朴氏姓を持った人々が生きて行くという意味を込めており、 それぞれ 205人(1982年の調査)、 277人(1982年の調査)、 64人(1992年)が居住しているという。

これらの住民たちの間には、唐軍を避けながらこの地域に村を形成したという伝説が伝わっている。しかしヌルハチとの戦争の期間にこれらの地に渡 って来て定着した奴隷のうち、朴イル、朴オなど朴氏の子孫たちが定着したと言うのが一般的な見解だ。

この見解を前提とすれば、彼らがここに定着してから、 380年余りになる。 この村には伝説の中の洞窟などは勿論、銅製の炊飯器など朝鮮時代の遺 物を見つけることができる。 また彼らの中には密陽朴氏の系図もあるので、朴氏の後裔に間違いない。

これらは清時代に国籍を失った場合が多かった。 しかし中国共産化以後、朝鮮国籍を回復した人々が多い。 また最近も彼 らの朝鮮国籍回復要求が強い。 韓国の国力が強くなったから出て来る要求であるともいえる。

(oh my news チョウ・チャンワン記者 2006年10月25日)
Copyright(C) 朝鮮族ネット