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[社会] 地理の恵みと先祖の稲作技術が皇室の認定を受けた歴史

《御粮田》碑、立てられる



地中に埋もれ、歴史の中消えつつあった 《御粮田》碑が、豊年の歌、節日の歌とともに黄金色の稲穂が揺れる泉坪平野の旧・ 光宗村3隊、下泉坪村に建てられた。 開山屯鎮政府の主催で 22日、除幕式を行った。

渤海史の記載にて有名だった魯松米、皇室の指定御粮としてまで有名だったその米が、まさにここで作られたという歴史、まさに我が先祖たちの 稲作が、皇室の認定まで受けたという歴史でもあった。 下泉坪という所は地理条件に恵まれ、農作物が毎年毎年豊作になる所と伝えられて来た。 65年前、朝鮮の吉州から崔鶴黜という農民が噂を聞いてここに引っ越して来たが、確かに地理条件が良い所であり、制限された土地で収穫を 挙げることができなくて惜しい思いをしていると、油紙温床稲苗育成技術を研究して米の生産を倍にしたという。 白米のご飯の味も特別で、近隣数 百里に顔が売れ、当時の満州国皇室にまで伝わったと言う。 皇室で崔鶴黜を上京(今の長春)させ、 1000元の賞金を与えて1000坪 の田を委託 し、皇室専門に供給する白米を生産するようにしたというのが下泉坪 《御粮田》の由来だと言う。

当時、崔鶴黜が田に牛を入れた他、田植から精米にまで無公害のために最善をつくした話が子々孫々そのまま伝えられている。当地の政府や村民 は泉坪平野の米の無公害と米飯の味を残すために多くの努力をして来たはずで、今も泉坪平野の米はそれなりの強みを見せている。

当時、その 泉坪田に垣根を作って区分したことが、地理条件と先祖の稲作技術が始終ここの農民たちの自慢として伝えられ、市場経済時代の今日、 農民たち自ら 《御粮田》という標示看板を道端に掲げたこともあったという。 鎮政府と泉坪平癒の農民たちの努力で、遂に延辺州該当部門の批准 を受け、歴史の 《御粮田》の場所に碑が立てられ、米と地名の広報物として、無公害優良米基地という称号にて落ち着くようになった。

《御粮田》碑は龍井幹部養老院・呉ヨンムク院長の支援で立てられたが、 《御粮米》の前売りがこれまでになく順調だという。

(吉林新聞 キム・ヨンジャ記者 2006年9月22日)
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