xxxxxxx
朝鮮族ネット 中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト Search by Google:
ホーム 朝鮮族概要 地域紹介 政治 経済 歴史 観光 ショッピング コミュニティー お問合せ



[教育] まだこんなに貧しい我々の子供達がいます

こんな我々の子供達がいる。 学費が払えず、やりたい勉強を続けられない子たちがいる。 真夏に 50銭がなくて、氷菓子も好きなように食べる ことができない子たちがいて、真冬に靴下がなくて足を凍らせている子たちがいる。


▲校長先生を 《叔母》と呼ぶ新陽村の崔クァンチョルくん。 家でお母さんと一緒に過ごす夕方の時間。


▲母親から愛されず、祖父母と一緒に住むある学生の家の外見


▲住家が大雨に崩れてしまい、他人が捨てて行った家に住む万宝村のある学生4の家の部屋

数日前、ある知識人から、生活が貧しい子たちを助けたいので、その対象を少し教えてもらえないかという依頼を受けた。 長春市朝鮮族第二 中学校(双陽にある。 小学校と中等部で構成)の李ミソン副校長とすぐに連絡をつけた。 生活の貧しい子たちがいるか、子供たちの具体状況を 書いた資料を送ってくれと。 待ってましたとばかりに、李校長は即時に9名の子供たちの資料を作成してメールで送ってくれた。資料を見ながら 私は非常に驚いた。 これほどに状況のひどい我々の子どもたちが、まだこんなに多いとは。

こんな我々の子たちもいます。

《学生ジュさん、 3年生、 親離婚、母親は行方不明、父親は不具で労動能力喪失、年老いた祖母と一緒に何畝かの土地で暮らしている。》
《学生金さん、 3年生、 父親は長期患者で、母親は精神分裂症患者であり、母方の祖父の支援及び政府の完全補助で生活をしている。》
《学生リムさん、親が離婚して家族が責任を負わない、70以上の祖父母と一緒に生活、 3、4畝の土地が生活資金源の全てだ。》
《学生孫さん、中学 3年生、父親は 8年前脳血栓にかかって半身不随、母親も病気で去年からは農業が出来ない、手伝ってくれる親戚もおらず、 今まで政府と学校の支援で勉強を続けて来た。》
《スンモ、5年生、母親がおらず、長期患者である父親と生活する。 父親は農作業が困難。》

実に驚くべきことだった。 長春で 1級道路に半時間もあれば行くことができる双陽市街地に位置した朝鮮族学校に、このように貧しい子たちがいる というのだ。九部の資料は大同小異、貧しい状況はそれぞれだった。

明くる日、子供達の家を直接尋ねて目撃した状況は、さらに衝撃的だった。

傘下村 * * * 学生の家、実はその子の祖父(72歳)の家だ。 母親はその子が二歳の時に家を飛び出した後、消息を絶っている。 小児麻痺の後遺症で 足が不具である父親、そして祖母まで、家族全員が何畝かの田にぶら下がって暮していた。 老人たちの部屋には テレビさえない。 貧しい暮しながらも、 家全体がきちんと整理されていたのがせめてもの慰めになった。

万宝村の二人の学生の家庭状況は、特にひどいものだった。

やはり母親が家を立ち去り、祖父、祖母と一緒に生活する * * * 学生。母親の話が出ると、すぐに目頭が赤くなる。 やはり 3世代が一緒に暮す暮し だが、ほとんど崩れかかった一間の草家作りの家だ。 暮しの足しにするためニワトリ、犬、鴨などを育てているトラックは、雨の後だったこともあり、 特に見苦しいものだった。.

* * * 学生の家は住んでいた家がとても古く、大雨により壊れてしまったので、人々が村を捨てて留守になっていた家に住んでいた。 やはり崩れそうな土作りの家だが、元々住んでいた家よりはずっとましだという李副校長の話だった。 8年前に脳血栓で半身不随になった父親 が無表情で門前に座っていた。 子の母親は、何としても今年、高校に入る子を必ず勉強させるように頑張ると語った。

新陽村の * * * 学生の家。 自立が難しい知恵遅れの両親だった。 自分の家はなくて、兄が外国へ出稼ぎに行くのでと渡してもらったマッチ 箱ほどの家で暮していた。 しかし 1年中毎日自転車で子を学校へ積んで運ぶ職責だけには忠実な父親だそうだ。

こんなに苦しい環境でも父兄は、寄宿しなければ 10〜20里を通わなければならない朝鮮族学校を選択して子供を送っている。

教員たちの真心があるから

双陽朝鮮族学校は、長春市双陽区で唯一の寄宿制朝鮮族学校と言える(三家子村に学生10人余りの朝鮮族小学校がある)。 それゆえ双陽区の何十里 以内にあるいろいろな 10余りの朝鮮族村の学生たちが幼稚園児の頃からすべてこの学校に集まる。

その中で万宝村は双陽市内から 80里ほど離れており、デコボコ道にバスが一日一度通じるだけだ。 こんなに遠いところでも家庭では子供に朝鮮文を 学ばせるために近所の漢族学校を断って宿舎生活をさせながら朝鮮族学校に行かせている。

これはもちろん学校の功労が大きい。 双陽学校の教員たちは校長を含め、休みには村の隅々まで学生募集に通う。 一人の学生でも流失しないかと 捜し回り、調べて動員して、学校に入学した後にはまた家庭環境の難しい子たちがまともに勉強出来るように多方面に方策を巡らしている。

《子どもたちの家庭の難しい環境を改変できる唯一の出口は、彼らが勉強することです。》 李校長の話だ。

それゆえこの学校の教員たちは先生であると同時に、子どもたちの生活の保母だ。 校内で学生の間でお互いに助け合い関心を払うように、さまざまな 活動を行う上に、自分が身をもって実践する。 冬に靴下がなく足が凍った学生を見ては、そのまま商店へ行って靴下を買ってはかせてやる校長先生だ。 教えるクラスに生活の貧しい子がいて、食費や生活費が足りない時には、随時に加減してくれる担任の先生、さらに家庭環境のため進学をあきらめて 中退しようとする学生の家まで捜し回りながら、勧告して鼓舞してけしかけて高校進学試験を受けさせるようにしてから、自分が学費を払ってでも その子を高校に送ろうと準備している、この学校の教員や校長だ。

李チャンサン校長と李ミソン副校長の二人の先生は、学校からそれほど遠く離れている学生たちの家も正確によく分かっていたし、また彼らの父兄たち ともすべて面識があった。 彼らは普段から、このように訪問を続けていたのだ。

我々の知識人もいます

若い企業人・朴ナムヒョン氏。見ず知らずの 生活が貧しい子たちを助けるため、直接マイカーを運転して子どもたちの家々を捜し回り、状況を調べている。 学教側と連絡がつくと、長春から直ちに双陽に向かい、学校に着いて待っていた李チャンサン校長を通じて簡単な状況紹介受けてから、再びまっすぐに 学生たちの家を目指して田舎に向かった。

あいにく大修理中の道路。 それにあちこち水溜りが出来た田舎道なので、車の底がでこぼこになってしまった。 校長先生たちが引き止めるのも聞かず、 最後の子の家に着いた時はもう夕方 8時頃。 延々 10時間を道路上で過ごしたことになる。 それに家庭を訪問するたびに臨時の足しにでもしなさいと いいながら、大人たちに敢えて紙幣を差し出す彼だ。 子どもたちの始業を控えて具体的な効果的な支援計画をさらに練っている彼だ。

* * *

今日我が朝鮮族社会の特殊な現実のため、否応なく生じた弱者群体。 子どもたちには罪がない。 その子たちにも学び出世する権利がある。 その子たちは、 その上に当然たくさん学んで高く飛ばなければならない。 これこそ私たちの社会が調和を誇ることができる土台であるものだ。

双陽朝鮮族学校の先生たちのような使命感に満ちた我々の教員たちがいて、朴ナムヒョン氏のような愛情溢れる我が知識人たちがいる限り、我々の子供たち の苦しみはまもなくなくなり、愛の種子が芽吹き実を結びながら長く長く愛を引き継いでゆくものと信じてやまない。

(吉林新聞 キム・ジョンハム、キム・ミン記者 2006年8月10日)
Copyright(C) 朝鮮族ネット