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[社会] 日帝侵略の名残−穏城大橋



切れた穏城大橋を別名、断橋とも言う。 原名は河東穏城公路橋であり、琿春市涼水鎮龍虎村南側、豆満江に位置し、北朝鮮の穏城との間にある。

1936年、 日帝は強制的に涼水きんりんの農民たちを徴集して穏城大橋を建設、翌年から大規模に日本軍がこの橋を経て中国に進入した。 この時からこの橋で日帝は琿春の石炭などの資源を北朝鮮を経て絶えず日本へと略奪して行った。

1945年 8月 10日、ソ連紅軍が対日宣戦布告をして中国に進入した。 8月 12日、慌てた日帝はこの橋を通じて琿春、図們地域の日本軍を北朝鮮へ と撤収させ、ソ連紅軍と中国軍民の追い討ちを阻止するためにこの橋を爆破した。それ以後、穏城大橋は断橋というもう一つの名前を持つことになり、 同時に日帝侵略戦争の証拠として残ることになった。

現在、北朝鮮国内に位置する橋の残骸はほとんど大部分毀損されており、中国側に約 50mほど残っている。 爆破の時点である 1945年 8月 12日以前の 橋は、全長 478m、幅 6.5m、高さ 7mの鉄筋コンクリート構造で、重さ 18t 級の橋脚構造物だ。

建設後 9年で運命を終えた、暗い歴史の錆付いた穏城大橋、今日も黙って日帝の侵略蛮行を証言している。

(延辺通信 カン・ハクソン記者 2006年7月8日)
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