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![]() [社会] 新民村の祝福−7年ぶりに赤ん坊の泣き声 三歳の知賢が活気と希望を持って来た 和龍市頭道鎮新民村の農作業真っ盛りのあぜ道で、赤い紐を結んだ女の子がぶらぶら歩いて来た。 仕事をする農民たちが、 仕事を止める。 初めから畦道に腰を据えて座り、子どもから目を離さない人々もいた。 子どもの茶目っ気は見守る大人たちの口元に笑みを絶やさなかった。 女の子の名前は車知賢(3歳)。 この村に住む村民・車スングク(42歳)、黄ジョンファ(39歳)夫婦の赤ん坊だ。知賢ちゃんは 2004年 6月に産ま れた。朝鮮族 30戸(住民 78人)が住んでいる新民村に 7年ぶりに赤ん坊の泣き声を聞かせた主人公だ。 子供が産まれると、めでたいといって町中 がお祭り気分になった。 子にめでたい名前をつけてあげようと、祖父・車ジョンボム(73歳)を含む一家親戚と町内の年寄りたちが先を争って出て来た。 多くの名前の中で、賢明に育つようにと、知賢という名前を選んだ。 去年、初の誕生日のお祝いの時には、村の老若男女が一人残らず尋ねて来て赤ん坊を 祝福してくれた。 《車さんちのおかげで 7年ぶりに赤ん坊の泣き声を聞きました。 それも上に 17歳の息子がいるのに、二番目を生んでくれて有難い。 赤んぼうの泣き声 は我が村に活気と希望をもたらしてくれる》村の大人たちは車さん夫婦を口がすっぱくなるほど褒めた。 《昔は家ごとに白いおむつの洗濯物がふさふさとかかっていました。 村の路地ごとに子どもたちが遊び回っていたし、人の住むにおいが色濃かったです。 ところが今はあまりにも殺風景です。あの頃は今よりずっと貧しかったが、私は子ども三人を育てました。 腹一杯食べながらも、子を生まない今の人々が 本当に理解出来ません》とこの村の黄チョルギュ(63歳)老人は舌打ちをした。 彼の紹介によれば 10年余り前まででも村には 45世帯に 200人を越える人が 住んでいた。そして在校生が 130人余りの村の学校まであった。 ところが今は町中に小中学生がわずか 5人、 遠く離れた龍水村へ通うので、 顔すら滅多に見られないという。 黄チョルギュさんは廃校になった村の学校は明太加工工場に変わったと言いながら、惜しさを隠し切れなかった。 金ヨングォン(38歳) 村民チーム長は 《子供を生まないから村の人口の老齢化がひどくなり、 50歳以上が 70%を占める。 60歳を過ぎる老人たち も田畑に出なければならないし、農繁期には外地から人夫を連れて来なければならない。 老人扶養問題も深刻な問題として提起されている》と心配していた。 車さん夫婦は 《初めは二番目の子を生もうとしたら心配が少なくなかった。 しかし今は子どものため家ではすっかり笑いが溢れ、家族愛がさらに深く なった》と言う。車スングクさんは息子が今年、高校に入れば経済負担がもっと大きくなるはずだが、これからもっと熱心に畑を耕して機会を見て外国へ行き、 お金を儲けられれば良いと言いながら、兄と妹を見れば力が湧くと楽観していた。 村の老人たちは 7年ぶりに赤ん坊の泣き声をプレゼントした知賢ちゃんが幸福を持って来たからか、去年、また朴ソヨンという赤ん坊が産まれ、 車さん夫婦を見習って二番目の子供を作るつもりの若い夫婦たちがかなりいると言いながら喜んだ。 (延辺日報 チョン・ヨンチョル記者 2006年6月21日)
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